【第4話】 縦ロールとカルガモ

【第4話】 縦ロールとカルガモ

2010.12.01 update.

信田さよ子(原宿カウンセリングセンター所長)

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『母が重くてたまらない』(春秋社)など多数。最新著に『ふりまわされない』(ダイヤモンド社)、『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ、理論社)がある。

[前回まで]

検査入院の決まった嘉子は、四人部屋を選んだ。斜め前のベッドからは高いびきが、隣のベッドからは衣擦れに混じって、ときどきうめき声が洩れてくる。母娘のように見えるその二人連れに、嘉子の耳は釘付けになる……。

 

 

予想的中!

 

めまぐるしい検査をすべて終え、ホルター心電図計を胸に貼り付けて嘉子は病室に戻った。
もうすぐ昼食だと思うと、楽しみで胸が躍った。嘉子は病院食をまずいと思ったことはない。そう言うと、いつも娘の真衣から「私の入院中、いつもつまみ食いしてたもんね」と何十年も前の話を持ち出されて非難されたものだ。
入口から嘉子のベッドまで歩くあいだ、カーテンの隙間からわずかに隣のベッドが覗ける位置があった。
嘉子は立ち止まらないようにして、通りすがりにほんの一秒だけ見た光景を目に焼き付けた。ベッドには、ショートカットらしき若い女性がエビのように体を曲げて横たわっていた。そのわきの椅子に座った白髪交じりの母親は、おおいかぶさるようにして娘の背中をさすっていた。
二人の関係性、年齢、母親の行動、その服装や雰囲気は、先ほどカーテン越しに衣擦れの音を聞きながら思い描いたものとそれほどかけ離れてはいなかった。嘉子はそのことに深く満足し、心の中で「やった!」と叫んだ。

 

嘉子は横になって目を閉じ、ふたたび隣のベッドに聞き耳を立てた。サッサッと先ほどと同じ音が同じペースで続いているが、うめき声はほとんどしない。おそらく嘉子が検査のために採血や心電図などと飛び回っているあいだも、母親は娘の傍らで、同じ姿勢で娘の体をさすり続けていたのだろう。
カーテン越しに、すぐ隣で延々と続くその音を聞きながら、おそらく嘉子より若いと思われる母親の献身的な看病ぶりに感服したが、いっぽうで少しずつおそろしくなった。
その力はどこから出てくるのだろう。
何を考えながら娘の体をさすっているのだろう。
仕事のことはすっかり頭から離れていたのに、なぜか不意にカウンセリングで出会う多くの母親たちのことを思った。
もちろん娘の病からの快癒を願っての行為に違いないだろうが、過度の行為、およそ人間技とは思えない行為にはどこか不気味さがつきまとうのかもしれない。嘉子はその音を聞きながら、いつのまにか眠ってしまった。

 

マニュアルギャル

 

昼食後の担当看護師による自己紹介を兼ねた検温や血圧測定は、嘉子をほっと安心させた。ていねいな言葉づかいと余計な会話を省いた手際のよさは、それ以降もしばしば嘉子を感心させることになった。
夕方になると、病室には研修医たちが入れ替わり立ち代わり挨拶がわりの問診に訪れた。そのおかげで、この部屋には嘉子の隣とななめ前のベッドの三人が入院していることがわかった。ななめ前のいびきの主は中年女性らしく、「いったん退院してみませんか」と勧められており、隣のベッドの女性はもう三日くらい高熱が下がらないことをカーテン越しに聞くことができた。
聞き耳を立てながら、嘉子は研修医たちの言葉づかいに驚いた。看護師の対応を事前に経験していたので、余計に気になったのかもしれない。まるでファーストフードの店員のように、全員が同じ言葉づかいで話し、語尾を上げる発音も全員似ていた。
嘉子のベッドにやってきたひとりの女性研修医は、縦ロールの髪型にギャル風メイクで「心臓、苦しくないですか〜」と質問した。「はい」と笑顔で答えながらも内心ではむっとした。いかにも教科書どおりのマニュアル化された発語からは、なんの情感も伝わってこなかった。研修医の彼女も緊張しているのだろうが、医学部教育でもっとロールプレイを取り入れてみたらどうか、などと真剣に考えた。
研修医たちの力点は、診断の精度と治療技術などに置かれており、そのぶん患者に対する対応は二次的に位置づけられているのかもしれない。大学の医学部教育がどのようになされているのかが、逆算するように見える気がした。

 

夕食の直前に主治医がやってきた。
外来受診時には気づかなかったが、ベッドで座っている嘉子と立っている主治医の目線の位置はそれほど変わらないほど、彼の身長は低かった。
有名タレントと名前が同じ主治医だが、嘉子はそのことをどうしても話題にできなかった。おそらくこれまで多くの人から指摘されてきたに違いないし、そのつど苦笑しながら「いやあ、同じなのは名前だけなんで……」と返してきたことが容易に想像できたからだ。
年齢は四十歳くらいだろうか、薄毛気味の主治医は、自分の母も狭心症だと言った。クライエントは別だが、嘉子は職業柄、安易に自己開示する人には警戒心が働く。無防備な自信家か、それとも計算されつくした態度に違いない、と。
そんな嘉子には気づかず、彼はカテーテル検査の簡単な手順の説明をして、何か心配なことがあったら聞いてください、と笑顔で伝えた。その顔はまるでのび太が眼鏡を外したような童顔だった。自分の母と同じなので、率直に親近感を抱いただけに違いない。嘉子は、一瞬だけ妙に警戒してしまった自分のことをやれやれと思った。
主治医はスリッパをパタパタと鳴らし、まるでカルガモが池に戻るような足取りで去って行った。

 

消えた二人

 

夕食を運ぶカートの音が遠くの廊下からガラガラと聞こえる。テレビを見ながら嘉子は空腹を覚えた。
そのとき、急に二人の看護師が小走りに部屋にはいってきた。隣の母と娘に何か小声で話しかけているようだ。カーテン越しに内容を聞くためにテレビのイヤホンを外そうと思ったとたん、隣の若い女性のベッドは看護師さんに運ばれて部屋を出て行った。母親は小走りにベッドの後を付いていった。
急いで私はベッドを降りて、カーテンが開け放たれた隣を見に行った。ベッドのないガランとした空間と、残された多くの荷物だけがそこにあった。
――いったい何が起きたのだろう。病状が急変したのだろうか。
一般内科のその病棟では、病名を知るすべもない。唸るだけの娘と、ひたすら娘の背中をさすり続けた母親はいったいどこの病棟に移ったのだろう。
カーテン越しにわずか一秒しか姿を見ることはできなかったが、入院してからまだ八時間もたたない間に去って行った二人のことを思って、嘉子は夕焼けがわずかに残る窓の外を眺めた。

 

「木川さ〜ん、夕食です」
待ちに待った声とともに、カーテンが開いて夕食のトレイがテーブルに置かれた。いい匂いがした。嘉子は箸を手に取って食べはじめた。
 

 

(第4回了)

[次回は12月15日(水)UP予定です。乞うご期待。]

 

信田さよ子先生の著書 

 

アディクションアプローチ もうひとつの家族援助論

nobuta_book1.jpgA5判・224ページ・1999年06月発行

定価 2,100円 (本体2,000円+税5%)

ISBN978-4-260-33002-2

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DVと虐待 「家族の暴力」に援助者ができること

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A5判・192ページ・2002年03月発行
定価 1,890円 (本体1,800円+税5%)
ISBN978-4-260-33183-8

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