かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2010.11.22 update.
医師。専門はリウマチ膠原病科・漢方診療。2002年に京都大学医学部を卒業し、天理よろづ相談所病院ジュニアレジデント、東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター、東京都立大塚病院リウマチ膠原病科を経て、北里大学東洋医学総合研究所で漢方を中心に、JR東京総合病院リウマチ膠原病科では西洋医学と漢方を取り入れて診療している。
前回は「気」についてご紹介しました。それでは、漢方ではどういった治療を行っているのでしょうか。
気鬱や気滞には、紫蘇葉・厚朴など、香りの高い生薬がよく使われます。紫蘇は食卓でおなじみですが、紫蘇の実も同じように薬として使われます。厚朴は、ホオノキの皮です。飛騨高山の方へ行くと、朴葉焼きといって、ホオノキの葉っぱの上に味噌を乗せ。肉や野菜を焼く香ばしい料理があります。こうした生薬は気剤とか理気薬と呼びますが、鬱滞した「気」に対してアロマセラピーとして作用するようです。
私の漢方の師匠である花輪壽彦先生は、気剤を驚くほど幅広い疾患に応用され、巧みに治療をされています。花輪先生は、著書の中で、次のように書いておられます。「作用がマイルドで『物足りない』と思う方が多いかもしれない。しかしこのような薬を重篤な病態に用いる手段がある。」「ピストルの弾を受けるには鉄の鎧のような堅い強いものが必要と考えるのが一般。しかし時に重病を受けるにかえってマイルドな薬の方がよい」(花輪壽彦著「漢方のレッスン」金原出版)
気剤は、気滞や気鬱がベースになっている疲労感にも効き目があるのですが、滞った気をいわば「ガス抜き」をしてしまう作用がある、というので、気虚の人には誤って使わないようにという戒めがあります。花輪先生は、気剤はマイルドな薬が多いので、それほど問題は起こらないとおっしゃいますが、治療の原理からいえば、気虚と気滞/気鬱の治療の方向性は180度逆になります。気鬱の人に補気薬を使うべきでないのも、同じ理屈で、「補」の逆、「瀉」するべきだ、ということになります。「瀉」とは、液体が流れ落ちる様子をさした言葉で、漢方医にとって、補と瀉をいかにうまく使い分けるかが腕の見せ所となります。鍼灸治療では、気が滞っているところを特定して、鍼を刺入することで、より直接に「瀉」を行いますが、漢方治療ではもう少しマイルドに気を理(おさ)める程度なので、瀉気薬とは言わず、理気薬なのだろうと思います。
気の異常には、もうひとつ、「気逆」という概念があります。漢方医学では、気はゆったりと上半身から下半身へ、中枢から末梢へ流れていると考えますが、お腹から突き上げるように気が胸や頭に上ったり、末梢から中枢へ集中してしまうような事態を「気逆」と呼びます。エネルギーが末梢から引き揚げられてしまい、手足の先が冷え、頭や上半身にエネルギーが集中する結果、のぼせ、肩こりや頭痛、耳鳴りなどが起きます。
気逆には、桂枝(シナモン)がよいとされます。のぼせや頭痛が強い人にはシナモンティーやシナモンパウダーを勧めることがありますが、薬用につかわれるシナモンは食用に向かないような辛いシナモンがよいとされているようで、お菓子にも使われる甘いシナモンはすこし効果が控えめかもしれません。また、日本人にはシナモンが苦手な人が多いといわれていて、ちょっと処方に気を使います。そういう人は無理にシナモンを摂らない方がよいでしょう。体質に合っていない可能性があります。あと、龍骨とよばれる古代哺乳動物の化石や、牡蠣の貝殻も気逆に効く生薬とされます。それらに含まれるカルシウムやミネラルが神経を落ちつける作用があるのではないかといわれていますが、詳しいことはよくわかっていません。
このように、「気」がかかわる体の不具合は、たくさんあります。江戸時代初期の医学者、後藤艮山(1659-1733)は、「すべての病は気の異常が原因である」という説を唱えました。まさに「病は気から」という説です。みなさんもうお分かりだと思いますが、艮山は決して「病気は気持ちの問題である」といったわけではありません。「気」の異常を、当時の医学が取り組むべき中心的な課題であると主張し、その治療を研究しようとしたのです。
20世紀に入り、ハンス・セリエという学者がストレスという概念を発表して以降、西洋医学の世界でも身体の異常に精神的な要素も深くかかわっていることが知られるようになりました。心療内科のドクターを中心に、いままで西洋医学がうまく評価してこなかった、形のない、測れない患者さんの訴えをなんとかしようとする努力も積み重ねられています。いつの日か、西洋医学的に「気」の異常が解明される時が来るかもしれませんが、それは艮山以来300年以上にわたる研究が完結される時であり、「気のせい」という言葉を皆が本当に正しい意味で使えるようになる時である、と言えるでしょう。
次回は、血と水について述べたいと思います。