かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2010.10.21 update.
1960年生まれ。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院精神科主任を経て、99年、名越クリニックを開業。専門は思春期精神医学。精神科医というフィールドを越え、テレビ・雑誌・ラジオ等のメディアで活躍。著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書、2010)、『薄氷の踏み方』(甲野善紀氏と共著、PHP研究所、2008)などがある。
第1回よりつづく
これはあくまで私の主観的な印象の域を出ないのですが、それでも大切なことをはらんでいると思うのでお話します。僕のキャリアのスタートは、かなり「温度の低い」職場でした。
先輩方はキャリアも豊富で技量も優れておられましたが、一方で医療を取り巻く現実に対して疲弊されていて、真正面から物事をポジティブに捉えることができなくなっておられる印象でした。
誤解を恐れずに端的にいうと、「医療の力」を信じて邁進するというイメージとは違い、ちょっと諦めの境地のような雰囲気がただよう職場という面がありました。
こういうふうに書くと何か停滞した雰囲気の、暗い職場のようですが、僕は、そこには良い面もいっぱいあったと思っています。そこにいた、ちょっとペーソスと悲哀を感じさせる医療者からは、人生の何たるかがじわじわと伝わってくる。「改革だ!」「よりよい医療を」といった美辞麗句は口に出せなくなってはいるが、現状維持を粛々と保持してゆく人だからこそ、学べることがある。
熱い理想を持ち、それを確信している人は、確かにエネルギッシュだし、よいこともたくさんあります。しかし、そのパワーは誤った方向に行くこともあります。一方で、現場のバランスシートを冷めた目で見回して「俺がやれるのはこれだけだ」と見極め、淡々とそつなく、自分のできる範囲の仕事をこなす。そういうありようというのは、僕は決して悪いものだと思いません。
たとえば、こういうあり方をしている人は、自分の存在意義を主張したいがための反論や発言はしません。世の中には、自分のコンプレックスを相手にぶつけることをエネルギー源にしている人が少なくないわけですが、ある意味傷ついて、勇気を殺がれた人は、決してそういうことをしない。なぜなら、「社会が悪い」「組織が悪い」ということを感じても、同時に「俺も悪い」「私にも責任がある」ということを身に沁みて実感しているからです。
こういう態度は、団塊世代より上の人に多かったように思います。やはり彼らは、1回戦い、そして負けた経験をもっているからでしょう。
ちゃんと「自分は負けた」ということを認識する、というのは、ある意味高い知性がなければできないことです。でも、そこから先は「それでも僕は理想を」なんていう「立派な人」に誰もがなれるわけではなく、そこそこ人と距離をとりつつ、自分の仕事をそつなくこなし、あくまで自身の立場を守って生きてゆく人間像ができあがる。
いまは、こうした「温度の低い」ありようって、あまり肯定的な評価を受けませんよね。無責任だと批判されることが多い。しかし、僕は1つの存在のバランスのあり方としては、ある種の美徳だとさえ思うし、現実的にもメリットはたくさんあると考えています。
ただ、そういう人があまりにもたくさんいると、会議なんかをやったときには遅々として進まなくなります。また、職業人としてのアイデンティティが確立していない新人のうちに、いきなりそういう雰囲気の濃い人についていくのは、どうしても要領だけよくなって、怠け癖がついてしまうから望ましくないでしょう。
でも、だからといってダメな職場、ということにはならないと思うんです。つまり、すごく熱気のある職場であれ、そうでない職場であれ、普遍的に「ダメな職場」なんかないんです。職場の熱気についていけないという場合であっても、あまりにもやる気がなくてもどかしいという場合であっても、自分自身でそのギャップを認識しながら、仕事を続けていく、というあり方をめざしてほしいと思います。
距離をとりながらも、適応していく。どっぷりと首までつからないように注意しながら、仕事を続ける。そういうふうに距離をとりながらも、職場や同僚に敬意を持ち続けることは可能だし、そのほうが仕事との付き合い方としては健全で、長持ちするように思います。
次回(第3回)につづく。
第1回 3年で辞めないために(1)
第2回 3年で辞めないために(2)
第3回 3年で辞めないために(3)
第4回 愛情欲求から自由になる(1)
第5回 愛情欲求から自由になる(2)
第6回 共感は可能か(1)
第7回 共感は可能か(2)
第8回 共感は可能か(3)
第10回 夜勤というアンチクライマックス(2)
第11回 解離的な怒り(1)
第12回 解離的な怒り(2)
第13回 解離的な怒り(3)
第14回 閉塞感と身体論
第15回 インターネットと身体