愛情欲求から自由になる(2)
愛情欲求を飼いならす
愛情欲求について、もう一度ミクロな視点に戻ってみると、そこには大きな個人差があります。愛情欲求が強い人もいれば弱い人もいる。境界例の人など、そういうものが非常に強く出てしまい、人間関係や仕事で苦しんでいる人もいます。かなりの個人差があることと、その間には明確な境界線がなく、グラデーションを描いている、ということに注意する必要があります。
世の中を見渡すと、自分の中に広い意味での人格障害的な側面を抱えている人って、少な目にみても10人に2人、多めに見れば10人に4人くらいはいると感じます。内面に強烈なさびしさとかむなしさ、あるいは熱狂と落胆の間で激しく揺さぶられるような衝動を、強靭な自制心でコントロールしている人は、そう珍しい存在ではありません。
人格障害的な素養をもっていても、そうやって自制できる人は、他人や、パートナーに迷惑をかけません。ただ、日常的に自分にロックをかけているわけですから、どうしてもストレスはかかります。このことを自覚しているかどうかというのは、けっこう重要なポイントです。
解離に注意
若い頃、苦悩を繰り返し、感情や気分のアップダウンで苦しんでいたけれど、いろんな経験を経て、いまは落ち着いている。そういう人の中には、過去の自分から解離することで今の状態を保っている人がいます。苦しんでいた頃の記憶を消していたり、記憶はあってもどこか他人事で、当時の感情と今が結びつかないような状態です。
注意してほしいのは、こういう場合、そのときの強い愛情欲求がもたらした枯渇感みたいなものは、忘れたつもりであってもどこかに染み付いているということです。それが何かの拍子に顔を出してしまうことがある。
過去を振り返ってみて、たとえば恋愛体験のなかで、自分を制御することが難しくて傷ついた経験があったとします。そういう人は、折に触れて、そのときの体験や自分の感情に冷静に目を向けることを勧めます。
その際には決して自分のことを卑下したり、異常なんじゃないかと思う必要はありません。多かれ少なかれ、人間は心の中に地獄を飼っているわけですから、大切なことはそれをより細かく、敏感に観察することです。そうすれば、そういう衝動をよりうまく飼いならすことができる可能性が高まるんです。
心は隠すもの
心のいちばん基本的な機能って実は「隠す」ことなんです。ちょっとしたことですごく傷ついたり、エゴイスティックになったり、自分のことが大嫌いになったりする。そういうふり幅の広い感情を隠している頑強な壁、それが心だと私は考えています。
たとえば、「狂気」とは、壁を失った状態ともいえるでしょう。もちろん、中身も含めて心なんですが、殻がきちんと機能しているかどうかが、心のありようを決めてしまうわけです。原子炉にたとえると、わかりやすいかもしれません。原子炉は核融合でエネルギーを生み出すわけですが、大事なのは中のエネルギーが外にもれないようにしっかりと守ることと、ゆっくりと、コントロールされた形で核融合を起こすことです。
心も同じで、その本質には、感情の激しい動きがある。けれど、大事なのは殻の働きなんです。結構うまいこと言ったかも知れないですね(笑)。
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