11.2up!【小説】カウンセラーは見た!【第2話】

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息切れは気持ちいい

 


信田さよ子 (原宿カウンセリングセンター所長) Profile

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。
著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『母が重くてたまらない』(春秋社)など多数。最新著に『ふりまわされない』(ダイヤモンド社)、『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ、理論社)がある。 


 

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[前回まで]

自他共に認める運動音痴の嘉子は、一念発起して都心のアスレチッククラブで水泳教室に通う。そこで出会った美人鬼コーチに衆人環視のなかで厳しくダメ押しされるのも、そうイヤでもないかも……。

 

女神ときどき鬼

 いくら一念発起したとはいえ、遅々として上達もしないのに4年間もレッスンを続けられたのはなぜだろう。嘉子はときどきその理由を考えた。

 予想どおり友人たちは、「ほんとに偉い、その年齢から水泳始めるなんて」「クロールができるようになったの!?すご〜い」と口をそろえて嘉子をほめたたえた。そんな「報酬効果」も継続の動機になっただろう。

 娘の真衣は、プールから戻ってサウナで顔がつるつるしている嘉子に向かって「ママ、けっこうやるじゃん」と褒めるようになった。最初のころに嘉子から「コーチが厳しくってさ」と愚痴を聞かされていたので、半年ももたないだろうと高をくくっていたのだ。そんな真衣の目に浮かぶ尊敬の気配も、嘉子の継続を支えたに違いない。

 もちろん、「女神ときどき鬼」の美人コーチの存在も大きかった。美しさに理由なんかいらない、というのが嘉子の持論である。どれだけ厳しくても、眉を吊り上げようと、あの顔と水着姿を見るとすべては許すことができた。

 これまで友人からは「嘉子さんは絶対Sよね〜」と言われてきたし、自分でもそう信じていたのだが、水泳を習いはじめて自分にM的素質があることを初めて発見したのだ。新たな自分を発見した嘉子は、悪い気はしなかった。カウンセリングの効果の一つが「新たな自分の発見」だとすれば、水泳にはカウンセリング的効果もあるのかもしれないと思った。

 しかしながら、継続を支えたいちばん大きなものは、たぶんあの息切れとともに訪れる感覚だと嘉子は思った。水泳のレッスンは最初から最後まで息切れの連続だった。それだけではない。そのあとにもっと大きな息切れが待っていた。

 ふらふら、よろよろしながらプールを上がり、コーチにおじぎをすると、嘉子は一目散にサウナに直行する。

 

サウナルームの快

 ジムのお風呂はなかなか快適だ。お湯の温度、浴槽の広さ、すべてが計算しつくされている。バブル全盛期に完成しただけあって、20年近くたっても古びていない。

 90℃に設定されたサウナルームは、混んでいるときは10人ほどの女性でぎっしりになる。老いも若きもバスタオルを体に巻いてひたすら熱さに耐える。

 嘉子はいつも目をつむりながら他の女性のサウナトークに耳を澄ましている。カウンセリングでは絶対に聞けない話が、ただで聞けるのだ。夫の話、子どものお受験の話、旅行の話、会社の愚痴……ふつうの人たちの生活を垣間見る貴重な機会だ。

 そのうちに少しずつ汗が出てくる。嘉子はいつも腕に噴き出た汗が、大きな水滴になるまでを1回のサウナの目安にしていた。平均して12分かかるのだが、体調によって汗の出方が違う。サウナ、水ぶろ、サウナ、水ぶろ、シャンプー、サウナ、水ぶろを繰り返すと、ちょうど1時間になる。

 いったいどれだけ汗が出たのかわからなくなるほど、大量の水分が体から放出されてぐったりとする。ときには水風呂から上がるときに頭がくらっとする。熱くてたまらないときは呼吸も苦しくなる。もう限界だとギブアップしてサウナからあがるまでの1時間は、ぎりぎりまで自分が追い込まれる濃密で特別な時が流れている気がした。

 限界まで到達した脱水と、ふらふらになるまでの息切れは、このうえない爽快感と達成感をもたらした。すべての毒を出し切ったような、体中の血管が開き切ったかのような脱力感は、しつこい肩こりを一瞬だけど忘れさせてくれる。

 運動嫌いの嘉子にとって息切れは、これまで忌避すべき、苦しいだけの感覚だった。水泳とサウナがセットになることで、それがどれほど気持ちいいものかを還暦を過ぎて初めて知ったのだ。

 

坂道をのぼりながら

 

 会員になっているジムに行くには、大きな通りを横断し、細い坂道を登り切るまで10分ほど歩かなければならない。

 東京でいちばんおしゃれなエリアだが、住宅街のなかを縫うように伸びるその道は薄暗く、くねくねと曲がっている。その先には巨大なタワーマンションが立ちふさがるようそびえ立っている。きらきらと輝く光の柱の向かって左隣りに、20年前には近隣でいちばんモダンだった半円形の9階建てのビルがある。その4階が目指すジムの場所である。

 夕暮れの坂道をのぼる息切れも、いつのまにか嘉子にとっては水泳やサウナと同様に身近なものになっていた。わずかな苦しさが、心地よさと満足感を与えるのだった。はずみに乗って、ときには自分よりずっと若い男性をわざと早足で追い越してみたりもした。

 いつのまにか、坂をのぼりながら、サウナ、サウナ、と掛声をかけるのが習慣になった。急な坂道をそう唱えながら早足で一気にのぼると、よりいっそう息切れが激しくなり、そのぶんどこか満たされた気持ちになった。

 体が満たされるのか、こころが満たされるのか。その分かちがたい感覚がいっそう気持ちよかった。これがランナーズハイなのだろうか、と自分を観察しながら、ヘンなおばさんと思われてもかまわないとばかりに、掛け声をかけて坂をのぼった。

 ところがその日は違った。

 坂をのぼりはじめたばかりなのに、こころなしかいつもより息切れがひどい。3月末のせいか空気は生暖かい。気をとりなおして、いつものように「サウナ、サウナ」と掛声をかけて夕闇の中を歩きはじめたのだが、坂道の途中で嘉子は突然左胸に違和感を覚えた。

 今までに経験のない感覚だった。ギュッと締め付けられるような、心臓のあたりが一瞬わしづかみにされたような感じだ。

 どうしたんだろう。戸惑った嘉子は思わず立ち止まった。その瞬間、それはふっと嘘のように消えた。初めて味わう感覚は、どう表現していいのか、どう名づけていいのかわからないものだ。そのときの嘉子も、それを痛みと名付けたわけではなく、まして重大な出来事だとは想像もしていなかった。

 立ち止まったまま息を深く吸い、呼吸を整えながら、嘉子は夕暮れの闇に沈みはじめた周囲の光景をゆっくりと眺めた。

 坂道に沿った歩道の左側には八分咲きの桜が枝を伸ばして垂れていた。右側には宝飾デザインの専門学校の風変りな校舎が見えた。

 街灯の少ない歩道に浮かぶその光景は、嘉子が心臓の「痛み」を初めて感じた瞬間の記憶として、のちに何度も思い出すことになった。

 

[→第3回]

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このページは、igs-kankanが2010年11月 2日 10:44に書いたブログ記事です。

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