11.18UP! 【名越康文】医療者のための心の技法(4)

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第2回よりつづく


愛情欲求から自由になる(1)

愛情欲求といかにつきあうか

 

「認めて欲しい」というアイデンティティ欲求の背後にあるのは、一言でいえば「愛情欲求」です。これにどれくらい縛られるのか、あるいは自由になれるかというのは、その人が仕事を続けていくうえではもちろん、生きていくうえで死活的に重要の課題です。


ちょっと話のスケールが大きくなってしまいますが、愛情について、僕はこんなところから考えてみることがあります。地球上に生きる生命のなかで、人間を含めた哺乳類の子育てというのは、かなり特殊です。他の生き物に比べて、異様なくらいのエネルギーを、哺乳類は子育てに注ぎ込みます。

 

たとえば単細胞生物は細胞分裂するだけですし、魚類も大半は卵を産みつければ終わりで、子育てのプロセスを持ちません。鳥類はある程度、子育てしますが、哺乳類に比べれば非常に短い期間です。これに対し、哺乳類だけが数年という長期のサイクルにわたって子育てをする。

 

子育てとは、幼弱な子供の世話をすることですよね。哺乳類の場合、危険回避、栄養といった基礎的な援助はもちろん、あやしたり、教育したりという、非常に複雑なプロセスが形成されています。そして、そういう子育てに象徴的に見られる関係性を、僕たちは「愛情」と呼んでいるんだと思うんです。

 

哺乳類だから苦しい

 

「私たち哺乳類は、子育てに異様なほどエネルギーをそそぐ、特殊な存在である」ということを認識すると、愛情欲求で苦しんでいる人も、少し楽になるんじゃないでしょうか。

 

仏教は愛について、非常に端的に「もっとも強力な“執着”である」と喝破しています。仏教のこの認識は、さまざまな宗教・思想を通じてみても、かなり透徹した高みにあるものだと僕は考えていますが、それは、僕らの生物学的なあり方からかけ離れた認識だからです。

 

それぐらい、僕らは愛情欲求と密接な関係をもつ存在であり、なかなかそこから自由になれない。でも、だからこそ、アイデンティティや愛情といった厄介な案件を扱うときには、「僕らが特殊な生命体である」という事実からはじめたほうがいいと思うんです。

 

もっと端的に言うならば、愛情を要求したり、人に認めてもらいたいと僕らが感じるということ自体、地球上の生物全体からみたら「病気」なんだということを認識する。そこからスタートする。

 

哺乳類のなかでも、人間はとりわけ異常です。20年から場合によっては30年、子育てをやるわけですからね。僕たちはその間に徹底的に甘やかされて、徹底的に「愛情がないと生きていけない」と刷り込まれて育ってきたわけです。

 

もちろん、それはそれで人類学的な側面からは必要なんだと思います。でも、そのことで苦しくなっているときには、そうやって特殊な愛情を受けてきたんだな、ということを認識して、ちょっと相対化してみると、少し楽になる。

 

ものすごくさびしくてしょうがないっていうときに「ああ、私も哺乳類だからなあ」と考えてみる。「哺乳類の中でも最悪に甘やかされた人間やもんな」と思えば、ちょっと深呼吸して、風呂でも入ってみようかな、と思えるんじゃないでしょうか。

 

<医療者のための心の技法 バックナンバー>

第1回 3年で辞めないために(1)

第2回 3年で辞めないために(2)

第3回 3年で辞めないために(3)

 

次回は12月2日(木)UP予定です。乞うご期待。

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photo by 安部俊太郎

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このページは、igs-kankanが2010年11月18日 16:00に書いたブログ記事です。

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