maggie's tokyo リアルストーリー (3)

maggie's tokyo リアルストーリー (3)

2015.3.25 update.

マギーズキャンサーケアリングセンターを東京につくろう!ーーマギーズキャンサーケアリングセンターとは

“がん患者と支える人々が自分の力を取り戻すための居場所”が英国のマギーズキャンサーケアリングセンターです。造園家であったマギー・ケズウィック・ジェンクス氏らが、がんと向き合い、対話ができて、医療の専門家もいる場所をつくろうと、入院していたエディンバラの病院敷地内につくった素敵な空間が始まりです。
建築とランドスケープが一体化したやすらげる空間が患者の不安を軽減するという考え方に基づき、フランク・ゲーリー氏や黒川紀章氏など著名な建築家がボランティアで設計した個性的かつ居心地のよいセンターが現在、英国内に15か所設立されています。
現在、このマギーズセンターを東京につくろう!という活動が進行中です。ものすごい勢いで進んでいるこの活動にまつわるリアルストーリーを、本シリーズではすこしゆっくりご紹介していきます。
今回は2009年に秋山正子さんが訪英してマギーズの3つのセンターを見学し、その理念と環境の素晴らしさに触れ、帰国後にマギーズの日本での実現に向けて仲間たちと活動を開始するまでの物語です。

【文】神保康子(医療ライター)

【写真提供】藤井浩司(ナカサ&パートナーズ)

 

(前回はこちら)

さて一方,「Maggie’s cancer caring centres」(以下,マギーズセンター)をこの目で見なければ」と2009年に急きょ英国へ向かった秋山正子さんチームはどうなったのでしょうか。

 

2008年の国際がん看護セミナーで,マギーズセンターのことを初めて聞いた時,秋山さんは,Maggie’s Edinburgh (マギーズ・エジンバラ)センター長のアンドリュー・アンダーソンさんと会場の人々に向け,こう言いました。

 

「私が大金持ちだったら,すぐにでも日本にマギーズセンターをつくりたい」

そして,会の終了後のレセプションで,アンドリューさん(註1)と,連絡先を交換します。

 

その3か月後,秋山さんと志を同じくする仲間たちは,マギーズセンターの発祥の地,エジンバラにいました。

 

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◉マギーズ・エジンバラの自由にお茶を淹れられるキッチンカウンターと大きなキッチンテーブル

 

 

 

■英国へマギーズセンターを見に行く

1)マギーさんのこと

 

“発祥”というと,その土地から自然発生的に生えてきたように聞こえてしまうかもしれませんが,マギーズセンターは,がん患者としての経験をした1人の女性の,強い願いで設立されたものです。

 

女性の名は,マギー・ケズウィック・ジェンクスさん。著名な造園家で著述家でした。彼女は,1988年,47歳の時に乳がんの診断を受け,5年後には再発と転移を経験します。その時の病院での厳しい経験から,患者ではなく1人の人として過ごせる家庭的な環境の中で,欲しい情報や心理的なサポートが得られる場があってほしいと発案します。

 

そして,担当看護師のローラ・リーさん(現・マギーズセンターCEO)や夫で世界的に知られる建築家であり建築評論家のチャールズ・ジェンクスさんと共に,マギーズセンターの構想をあたため,設計しました。

 

1996年,マギーさんが亡くなった翌年に完成したのが,マギーズ・エジンバラです。病院の敷地内にありながら病院からは独立しており,がんと診断された人だけでなく,その家族や友人,そして医療者も,がんに関わることを相談したり自分で調べたりすることができます。相談や調べものをする気持ちではない人にとっては,まずは自分を取り戻すために,お茶を淹れじっとその場の空気に身を委ねていられる“居場所”でもあります。

 

その建築は,自然の素材をふんだんに使った,自然光の差し込むゆったりと落ち着ける空間です。入口を入ると大きなキッチンカウンターや,数人がくつろげる大きなキッチンテーブル,個別に過ごすことのできるソファなどがあり,窓からは庭が見渡せます。造園家であったマギーさんは,空間や環境の持つ力にも着目していたのでした。

 

2)友人のようなフラットな関係のなかで

 

秋山さん一行が最初に英国を訪問した2009年当時,すでに英国内に6か所が設立されていました(2014年末までに,英国内に17か所,香港に1か所がオープン)。

予約なしに無料で利用ができ,建築費用や運営費はすべて寄付によりまかなわれています。そこでは相談だけでなく,食生活や運動や仕事など心理的社会的な面にも焦点をあてた,さまざまなサポートプログラムが開発され,実際に行われていました。

 

6か所のうちの3か所,エジンバラとファイフ,ウエストロンドンの各センターを最初に見てまわった時の印象を,秋山さんはこう語っています。

 

「誰が看護師で誰が利用者なのか分からないその雰囲気と,本当に話を聞いてほしいと思っている人が来ると,そっと近づいて声をかけるスタイルがとても新鮮でした」

 

看護師や臨床心理士といったセンターのスタッフが,まるで医療的知識を持った友人のようにフラットな関係のなかでそっと隣に座る姿に,感銘を受けたのです。

 

立ち寄る人たちは,お茶を飲んで帰る人もいれば,2〜3人で世間話をするようにがんの話をしている人たち,涙を流しながら相談している人など,さまざまでした。ウエストロンドンセンターを訪れた時には,バルコニーに出て赤ちゃんをあやす男性と,化学療法中と思われるその妻がセンターの中で相談する姿もありました。

 

そんな様子を間近に見て「迎え入れる医療者の心がけと,がんであることを隠さず話せるしかけ,そしてこの建築。人々がリラックスできる環境で,自分を取り戻す空間というのは,やはり他にないのでは」と強く感じ,日本にもこのようは場所をつくりたいという想いを新たに,帰途についたのでした。

 

 

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◉マギーズ・ウエストロンドンを訪れた時の記念写真。中央はマギーズセンターCEOのローラ・リーさん

                                          

 

 

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◉マギーズ・ファイフの内部。ここにも大きなキッチンカウンターとテーブルが。                   

   

 

3)多くの人に知ってもらいたい

 

帰国後,秋山さんたちは動き始めます。まずはマギーズセンターを日本の人たちに広く知ってもらうための活動でした。英国へ見学に行ったのと同じ年,2009年の10月には,長崎で「イギリスからの新しい光と風をヒントに」と題したセミナーを開催,翌2月には,マギーズセンターCEOのローラ・リーさんと,事業開発部長のサラ・エリザベス・ビアードさんの2人を招いてのシンポジウム「メディカルタウンの再生力〜英国マギーズセンターから学ぶ〜」を東京で開くに至ります。

 

ここではまず,ローラさんによる,マギーズセンターの設立までの経緯と設立後の実際の活動についての講演,サラさんによるセンターの運営方法と国内外への展開についての講演が行われました。

 

その中でローラさんは,担当患者だったマギーさんとの出会いと彼女の願いについて触れ,マギーさんの次の言葉を紹介しています(註2)。

 

「確かに病院ではいいケアをしてくれているし,臨床面,技術面ではしっかりと治療してくれる。しかし私を支援してくれる家族や友達も,同時にいろいろな心配事や不安を抱えているのに,そのことに対するサポートが十分でないと思う」

「がん患者はとても弱い立場におかれている。しかも不安は非常に強くなっている。その中で支援や情報を求めるというのは,非常に大きなストレスになる。だから,そこに行けば自分たちの求めているものすべてが手に入るような,そういう居場所をつくりたい」(註3

 

基調講演に続き行われた,日本でのがん患者支援の実践紹介や患者家族としての話題提供とパネルディスカッションを通して,秋山さんとたくさんの聴衆は,マギーズセンターについての理解を深めることになりました。

 

そして,どうにかして日本にもマギーズセンターのような場所をつくれないかという試行錯誤が始まったのです(註4)。

 

*次回に続きます!

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註1:英国の方々のお名前については,英国での呼び方どおり,ファーストネームで記しています。

註2:『メディカルタウンの再生力』(30年後の医療の姿を考える会発行,東尾愛子編集)より。

註3:通訳は,医療,福祉,教育分野を中心に活動をする通訳者で,故シシリー・ソンダース氏とも交流のあった重松加代子さん。

註4 :maggie’s tokyo projectについてはコチラ。

http://maggiestokyo.org

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