第4回 当事者になりたい!■末井昭

第4回 当事者になりたい!■末井昭

2014.12.12 update.

末井 昭(すえい・あきら)@sueiakira イメージ

末井 昭(すえい・あきら)@sueiakira

■編集者/エッセイスト
■1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。
その“伝説の編集者”ぶりは、『本の雑誌』2014年12月号(特集=天才編集者・末井昭に急接近!」に詳しい。平成歌謡バンド「ペーソス」のテナーサックス担当。
■主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(復刊ドットコム)、『絶対毎日スエイ日記』など。本文でも紹介されている『自殺』(朝日出版社)は2014年講談社エッセイスト賞受賞。

2014年11月に東京で行われた「当事者研究全国交流集会」抄録集には、さまざまな立場の方から当事者研究へコメントが寄せられました。これが大変な力作ぞろい! 
ぜひ皆様に読んでもらいたく、「かんかん!」に再掲させていただくことになりました。 
WEB分載の第4回目は、編集者/エッセイストの末井昭さんからのメッセージです。どうぞ!
 
 
 昨年(2013年)の11月に『自殺』という本を朝日出版社から出しました。
 

 日本は先進国の中でも自殺率が高いのですが、ほんの少し前まで、マスコミなんかでも自殺の話題はタブーのようになっていました。世間の人たちも、自殺者を見て見ぬふりをしていました。せっかく自殺までしたのに、目を背けられたら死んだ人が可哀想です。自殺をタブー視しないで、自殺した人にもっと目を向けて欲しいというのがこの本ですが、自殺を勧めているわけではありません。自殺まで追いつめられている人が、生きるほうに少しでも気持ちが振れて欲しいという願いを込めて書いたつもりです。

 

 その本の宣伝も兼ねて、今年の4月に『坂口恭平 躁鬱日記』という本を出した坂口恭平さんと、渋谷のアップリンクでトークイベントをやることが決まりました。タイトルも、ベタな「スプリング・躁鬱・スーサイド」と決まりました。

 

 坂口恭平さんは躁鬱病の当事者で、トークイベントの日が躁なのか鬱なのか、そのときになってみないとわかりません。鬱がひどいときは来られないこともあるようです。逆に躁のときの坂口さんは、かなりテンションが高くて1人で喋りっ放しです(YouTubeでそういう坂口さんを見ました)。鬱であっても躁であっても、坂口さんと話すのは大変かもしれません。そういう僕の不安を察知したのか、『坂口恭平 躁鬱日記』を出した医学書院の白石正明さん(編集者)が、「べてるの家の向谷地宣明さんに司会をお願いしたらどうでしょう」というメールをくれました。

 

 しばらくして白石さんが、おそらく僕がべてるの家のことを知らないだろうと思って(実際知らなかったのですが)、『べてるの家の「非」援助論』(この本も医学書院発行)を送ってくれました。

 

 僕は読書が苦手で、本はあまり読まないのですが、この本はかなり厚い本なのに一気に読みました。ものすごく面白かったからです。目からウロコが落ちる箇所もいっぱいありました。そして、べてるの家が出来たこと、精神障害者たちで商売を始めてそれが軌道に乗っていること、べてるの家が世界的に注目されていること、そういうことすべてが、まさに奇跡ではないかと思いました。

 

 この本は、べてるの家の設立にかかわり、べてるの家の本をたくさん書いておられるソーシャルワーカーの向谷地生良さん(向谷地宣明さんのお父さん)や、べてるの家を支援している人やべてるの家の当事者の人など、いろんな人たちの文章が入っています。その中で、向谷地生良さんが書いた次の文章が、僕の頭の中にいつまでも引っかかっていました。

 

 しかし元来、人間には人としての自然な生き方というものが与えられているのではないか。その生き方の方向というのが、「右下がり」である。昇る生き方に対して「降りる生き方」である。

 現実には多くの人たちが、病気になりながらも「夢よもう一度」の気持ちを捨て切れず、競争しつつ「右上がり」の人生の方向を目指している。何度も何度も自分に夢を託し、昇る人生に立ち戻ろうとする。ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」というかたちでかたくなに抵抗する。まるで「それはあなた自身の生きる方向ではないよ」と言っているかのように……。

 その意味で精神障害者とは、誰よりも精度の高い「生き方の方向を定めるセンサー」を身につけた、うらやむべき人たちなのかもしれない。

 

『「生き方の方向を定めるセンサー」を身につけた、うらやむべき人たちなのかもしれない』というところはすごいと思いました。精神障害者をうらやむなんて言うと、世間の人から「あんたが精神病じゃないのか」と言われそうです。

 

「右上がり」という人生の方向性は、誰もがそう教えられ自然と身についているものです。「右上がり」とは、競争社会の中で勝ち抜いていくことです。そこから落ちこぼれていく人は「負け組」です。自殺者に対しては「あいつは負け組、ああはなりたくないね」と目を背けます。

 

 しかし、日本経済にしても、とっくに「右下がり」になっています。それなのに、企業はいまもなお「右上がり」の幻想を追い求めて、社員たちにハッパをかけます。そんな中でヘトヘトになっている人がたくさんいます。健常者であっても、「右上がり」の生き方をしていると、いつ自分の心身に異変が起こるかわからないのです。

 

            

 熱心なべてるの家の信奉者のことを「べてらー」と言うそうですが、僕はわずか2日で「べてらー」になりました。向谷地生良さんが書いた本『安心して絶望できる人生』(生活人新書)で、「べてらー」を病気にたとえて「べてるウィルスは強い感染力を持っている」と書いています。確かにその通りで、あっという間に妻の神藏美子(写真家。2015年1月16日に『たまきはる』という写真集が出版されます)にも感染し、夫婦揃って「べてらー」になったのでした。

 

 4月の初め、べてるの家のサイトを見ていた妻が、「中野でべてるの家の当事者研究集会があるから行かない?」と言うので、一緒に行くことにしました。

 

 少し遅れて会場に入ると、向谷地宣明さんがみんなの前で、当事者が抱える問題を理路整然と分析していました。向谷地さんに会ったのはこのときが初めてでしたが、その姿を見て「この人がいればトークイベントは大丈夫!」と思ったのでした。

 

 実際、そのあと行われた「スプリング・躁鬱・スーサイド」は、坂口恭平さんは躁でも鬱でもなく丁度いい状態だったし、向谷地宣明さんが司会をしてくれたおかげで、面白いトークイベントになったと思います(このとき話したことは「SYNODOS」というサイトで読めます。http://synodos.jp/society/9846)。

 

 向谷地宣明さんが生まれたとき、ご両親ともに多忙だったので、べてるの家の人たちが子守りをしてくれたそうです。「何か覚えていることはありますか?」と聞くと、向谷地さんは小学校時代のことを話してくれました。あるとき教室の窓からぼんやり外を見ると、べてるの家の人たちが学校に来て、ジャングルジムで「およげ!たいやきくん」を歌ってみんなで踊っているのが見えたそうです。しばらくしてまた外を見ると、警察官が来てみんな連れて行かれたそうです。なんだか映画の一場面みたいな、そのときの情景がサイレントで浮かんでくるような気がしました。

 

            

 向谷地宣明さんとの出会いを書いていたら、だいぶ長くなってしまいましたが、書こうとしていたことは今年8月に行われた「第22回べてるまつりin うらかわ」のことです。「べてらー」のみなさんは誰しもこのお祭りを毎年楽しみにしていると思いますが、僕たち「にわかべてらー」も心待ちにしていました。

 

 べてるの家関係の本を読んでいると、べてるの家の当事者たちが、自分の中でだんだんスターのようになってきます。僕の一番のスターは、べてるの家設立メンバーでもある「ミスターべてる」こと早坂潔さんです。その早坂さんを29日の前夜祭の前、浦河町総合文化会館の喫煙コーナーで見かけたので、握手をしてもらいました。「パチンコはやってますか?」と質問すると、「やってない!」ときっぱり言いました。早坂さんはパチンコに行って、負けたのにみんなに「勝った」と嘘をつくと、とたんに病気が再発して入院になるそうです。「生き方の方向を定めるセンサー」だけでなく、「自分の嘘に反応するセンサー」も敏感な人なのです。

 

「べてるまつり」は、2日間に渡って浦河町総合文化会館の大きなホールで行われました。当事者研究発表やサポーターのみなさんの話や、いろんな方々が浦河の魅力を話したり、べてるの家の30年を振り返りそれを劇で表現したり、最後は恒例になっている表彰式「幻覚&妄想大会」です。

 

 僕たち夫婦は2日間にわたり、それらの発表会を見たり、お食事つきの前夜祭や後夜祭に参加させてもらったのですが、とても居心地が良かったです。僕は自意識が強くて、さらに内向的性格もあって、人が大勢いるところが苦手で、そういうところにいるとすぐ1人になりたくなります。ところが一向にそういう気分にならないのです。僕だけでなく、全国から集まったみなさんも、当事者の方々も、自分の居場所がないように見える人は1人もいなかったように思いました。

 

 いろんな人が壇上で話す間にも、突然舞台に上がって三橋美智也の「星屑の町」を歌う年配の男の人がいたり、向谷地生良さんが話していると、薄くなった向谷地さんの頭をいきなりナデナデする女の人がいたり、舞台を意味もなくゆっくり横切る人がいたり、舞台の袖で寝てしまう人がいたり、みんなが楽しそうに勝手なことをやっています。それは、これまで観たどんな演劇でも味わったことがない、面白さと解放感がありました。

 

 通常は、何かやっているときにそういう人が出てきたら、排除されるに決まっています。排除されないにしても、嫌な顔をされます。しかしべてるでは、当事者の人たちがなんの束縛もなく振る舞っていて、それを見ている僕も「面白いなぁ」と思っているのです。「自由だなぁ」と思いました。そして「僕も当事者になりたい」とふと思ったりしたのでした。

病気は「治す」より「活かす」@とうじろう.jpg

 

 

 

 

 

(当事者研究に寄せて「第4回 当事者になりたい!」末井 昭 了)

*第5回は大澤真幸さんです。12月13日頃UP予定。

 

 

 

 

 

 

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