かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.12.08 update.
■浦河べてるの家ソーシャルワーカー/北海道医療大学教授
■1955年、青森県生まれ。1974年に北星学園大学社会福祉学科入学。特養ホームに住み込んだり、難病患者や脳性麻痺の障害をもった当事者たちとかかわる。卒業後、浦河赤十字病院でソーシャルワーカーとして勤務。当事者と教会の一室に住み込み、1984年に彼らとともに「べてるの家」を設立。現在は北海道医療大学教授も兼務。
■主な著書に、『技法以前』(シリーズ ケアをひらく、医学書院)、『安心して絶望できる人生』(NHK出版、共著)、『統合失調症を持つ人への援助論』(金剛出版)、『べてるな人びと第1?3集』(一麦出版社)などがある。
今にして思えば、私はずっと「研究する」という営みに助けられてきたように思います。そのはじまりは、中学一年のときです。
担任教師からの度重なる体罰と叱責に併せて、体育の授業での転倒事故が重なり、私は長期の自宅療養を余儀なくされました。そのとき、危機を生き抜くために工夫したことがあります。“悩む”という言葉を封印したのです。
それは、私自身が置かれた変えようのない危機的な状況を“悩む”のではなく、「人間として直面した大きな課題」として“考える”こと、そして誇りをもって堂々と“苦悩する”ことを選択したことを意味します。
とはいえ、考え、ときには苦悩するためには、その入り口として”悩む”ことを大切にする必要があります。以来、私は悩みごとに直面すると、「また一つ宿題が増えた」とポストイットにメモをして机の前に張る感覚で、その宿題をかかえる工夫をしてきました。
まさに「研究的な態度」に救われてきたのです。そういう意味では、私にとっての当事者研究は、2001年に始まったのではなく、ずっとそれに助けられてきたと言えます。
当事者研究は、実に「不思議」な代物です。私は、今でもときどき当事者研究がわからなくなります。それは、世の中の類似した「〇〇療法」「〇〇アプローチ」がとてもわかりやすく説明され、しかも「科学的根拠」というお墨付きを得て語られるのに対して、当事者研究は、実に説明しにくく、わかりにくく、「いいかげん」だからです。
当事者研究の不思議さはまだあります。わかりやすく方法化しようとすると急に勢いを失い、続かなくなります。教えられると興味がなくなり、研究テーマを「問題」としてかかえた途端にやる気がなくなります。
しかも研究成果や効果は、あくまでも「その人」にのみ有効です。ですから他の人は、その成果を参考に自分なりの研究を始めなければなりません。
当事者研究はこのように、徹底して「個別」を尊重します。その人自身の生きた経験をベースに、自律的に始まるしかないのです。こうした当事者研究の性格は、一般化しやすい原理を求め「方法」化しようとしている世の中の流れとまったく逆行するものです。
しかし、このような説明の難しさや見た目の「扱いにくさ」と裏腹に、当事者研究には、不思議ともいえる「持ちやすさ」「かかえやすさ」があります。そこにこそ、当事者研究の魅力や可能性があるような気がしています。その意味では、私がときどき陥る「わからなくなる」という現象は、ついついわりやすさに偏りがちな自分にやってくる、私を助ける“お客さん”なのかもしれません。
当事者研究が始まって13年が経ちます。全国各地からそれぞれの立場や体験の差異を越えて、自らの生きた経験を研究という切り口で物語る場である「当事者研究全国交流集会」は、人々の生きる場に新しい可能性をもたらす契機となるように思います。それは、対立を和解に導き、苦しみや矛盾を意味のある大切な経験へと向かわせる可能性を孕んだ壮大な「社会実験」でもあります。
今年も、一年に一度、全国の皆さんと「苦労のデータ」を交換しあい、生きる知恵を分かち合うこのときを、存分に楽しみたいと思います。
(当事者研究に寄せて「第2回 当事者研究の“不思議”」向谷地生良 了)
*第3回は國分功一郎さんです。12月10日頃UP予定。