看護師のち研究者になったナースが『摘便とお花見』を読む、その第3回。

看護師のち研究者になったナースが『摘便とお花見』を読む、その第3回。

2013.10.28 update.

「臨床を知らない現象学者」によって書かれた

看護師についての本、『摘便とお花見』。

看護研究書とも、哲学書とも、インタビュー集とも言い切れない

この摩訶不思議な本を、

看護師であり、臨床を知る現象学の研究者たちが読む。

短期集中4回連載。週一更新です。

 

 

 

和久紀子

首都大学東京人間健康科学科 看護科学域成人看護学博士後期課程

 
 私が感じたこの本の面白さは、読み手の側の関心や読み方によって、どんな内容の本になるかが明確に変わってくるということです。
 
 
 私は、この本から研究のヒントを得ることを目的にしていたので、まず研究方法についてまとめられている付章に目を通し、その後、一章にもどって読み始めました。でも、同じ看護実践者として語られている内容がとにかく興味深く、当初抱いていた研究のヒントを得ようという目的は頭からすっかり消え去りました。知らず知らずのうちに、個々の看護師の語りにひきつけられ、個人の物語それ自体に関心が向いていったのです。
 
 しかし、著者の記述の目的は、個々の看護師の物語を記述することではなく、看護行為の構造を発見することにあります。そのためか、一方で関心の向くまま個人の物語として読みつつも、他方で著者の記述からは、個人の物語とは別の読み方を要請されているようにも感じました。
 
 そして、その要請を感じながら改めて読み直してみると、それぞれの看護師の語りが最初とは違う意味を持って現れてきました。最初に読んだときは、登場する看護師の語りの内容が実際に目の前にある出来事のように映り、感情が揺さぶられました。2回目では、看護師の語りの記述が、徐々に純粋な分析対象として自分の前に現れ始めていました。この違いに気がついたときには自分でも驚きました。
 
 このような私の見方の変化は、本書の著者が段々と一人ひとり看護師の語りの内容から離れ、分析者の視点となる過程に似ているように思います。そのことから、私が本書を読みながら体験したことは、著者の研究過程の追体験ともいえるのかもしれないと感じています。同時にこのことは、語り手と著者のシンクロに、読者である私もシンクロしていたことをあらわしているようにも思います。
 
 そのように考えると、私がこの本を読んだ過程で経験したことは、自分では明確に意図しないままに、現象学を用いた研究を、少しずつ実践的に学んでいった過程であったのかもしれない……。そう感じ始めました。今、私は、この本から個々の看護師の実践の成り立ちの構造だけでなく、現象学を看護研究で参考にする際のヒントを与えてもらったように感じています。
 
 これまで書いてきた私の経験の通り、この本の持ち味は、読み手のその時の興味・関心によって変化していきます。読めば読むほど多様な持ち味が現れてくるという意味で、本書を手に取った方にとってこの本は奥深い味のある一冊になるのではないかと思います。
 

執筆者略歴

看護大学卒業後、産婦人科病棟などで看護実践を行う。その後、臨床で出会った人々の体験を探究するため、看護学修士課程に進学する。修士課程修了後、リハビリテーション看護やがん看護領域で看護実践を行う。

 

 

[リンク]

 

朝日新聞(2013.10.20)書評欄に掲載されました。評者は出久根達郎さん(作家)です。

 

北海道新聞(2013.10.20)書評欄に掲載されました。評者は浮ヶ谷幸代さん(文化人類学者)です。

 

図書新聞』に著者、村上靖彦さんのインタビュー記事が掲載されています



 

摘便とお花見 看護の語りの現象学 イメージ

摘便とお花見 看護の語りの現象学

誰も看護師を知らない。
とるにたらない日常を、看護師はなぜ目に焼き付けようとするのか??看護という「人間の可能性の限界」を拡張する営みに吸い寄せられた気鋭の現象学者は、共感あふれるインタビューと冷徹な分析によって、不思議な時間構造に満ちたその姿をあぶり出した。巻末には圧倒的なインタビュー論「ノイズを読む、見えない流れに乗る」を付す。パトリシア・ベナーとはまた別の形で、看護行為の言語化に資する驚愕の1冊。

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