看護師のち研究者になったナースが『摘便とお花見』を読む、その第1回。

看護師のち研究者になったナースが『摘便とお花見』を読む、その第1回。

2013.10.10 update.

「臨床を知らない現象学者」によって書かれた

看護師についての本、『摘便とお花見』。

看護研究書とも、哲学書とも、インタビュー集とも言い切れない

この摩訶不思議な本を、

看護師であり、臨床を知る現象学の研究者たちが読む。

短期集中4回連載。週一更新です。

 

 

細野知子

首都大学東京人間健康科学科 看護科学域成人看護学博士後期課程

 

 「現象学ってどんな研究方法なの?」「インタビューはしたんだけど、どうやって現象学的に分析したらいいの?」という悩みをお抱えの看護研究者、現象学初学者には必読本です!

 この本では、現象学者である村上さんの4名の看護師へのインタビューから、実に個性豊かな彼らの看護実践が、いきいきと描き出されています。

 

 子ども時代から障害を持つ妹と看護師でもある母親に置いていかれた苦々しい現実に囚われてきながら、妹の死によって、その囚われは看護師として経験を重ねた自分が患者の希望を実現するという行為へ、そして、母親は自分の目指す看護師としてのモデルへと反転したFさん。透析室から地域で勤務するようになって、慢性期の患者への医療による「干渉」から患者の希望に沿うための「交渉」へと、看護の行為を組み立て直したDさん。病の受容から終末期に至るまで、がん患者にとって「新しいこと」としてある死の孤独を回避しようと一貫して関わるがん専門看護師のCさん。小児がん病棟での無力感のなかでの実践に、子どものころからの「トラウマ」を織り込んでいるGさん。

 

 そんな彼らへのインタビューから浮かび上がってきた看護実践は、典型的なパターンに則ってまとめられたものではなく、ある部分は個人史のようであったり、患者の病の経験のようであったりもします。しかし、個人史のなかに登場する幼いころのある出来事や同僚の失敗、病を受容していく患者のプロセスといった具象の語りは〈地〉となり、彼らの看護実践を〈図〉として浮かび上がらせます。

 

 一人ひとりの記述が読み手にもたらす臨場感は、それぞれの語りに即した分析がそのつど発見されているからなのでしょう。そのプロセスを、本書は丁寧に記述してくれています。哲学史の議論を通奏低音として、個別の現象の背後にある複数の文脈やそれらが織りなす構造を描き出し、普遍性をもって読み手にも開かれることが実感できる、方法論としての現象学が成せる業を教えてくれる1冊です。

 

 必読なのは、付章にひっそりと置かれた「インタビューを使った現象学の方法」です。特に、現象学初学者にとっては、研究における方法論や具体的な方法を検討するうえで、これからの行路を示してくれるコンパスとなるはずです。

 

 臨床では日々淡々と営まれる「摘便」や「お花見」といったケアですが、現象学によって解きほぐしていくと、こんなにも分厚かったんですね(まさしく本の厚みが示す通り!)。

 

 日常に埋もれていってしまう一つひとつの看護実践に新たな彩りを足してもらったようで、ほっこりとした気分になれます。

 

執筆者略歴

看護師として消化器・循環器病棟での臨床経験を経たのち、修士課程で2型糖尿病者の病の経験に関する研究に取り組む。その後は、保健所や保健センターなどでの保健指導、そして看護教育に携わる。さまざまな立場から「生活者」の「健康や病」に向き合っていく中で、個々人の生活の営みの分厚さや濃密さに惹きつけられ、それに居合わすことができるような看護のあり方の確立を目指して現在に至る。
 

 

[リンク]

 

朝日新聞(2013.10.20)書評欄に掲載されました。評者は出久根達郎さん(作家)です。

 

北海道新聞(2013.10.20)書評欄に掲載されました。評者は浮ヶ谷幸代さん(文化人類学者)です。

 

図書新聞』に著者、村上靖彦さんのインタビュー記事が掲載されています


 


 

摘便とお花見 看護の語りの現象学 イメージ

摘便とお花見 看護の語りの現象学

誰も看護師を知らない。
とるにたらない日常を、看護師はなぜ目に焼き付けようとするのか??看護という「人間の可能性の限界」を拡張する営みに吸い寄せられた気鋭の現象学者は、共感あふれるインタビューと冷徹な分析によって、不思議な時間構造に満ちたその姿をあぶり出した。巻末には圧倒的なインタビュー論「ノイズを読む、見えない流れに乗る」を付す。パトリシア・ベナーとはまた別の形で、看護行為の言語化に資する驚愕の1冊。

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