看護管理(5)組織は人で8割決まる

看護管理(5)組織は人で8割決まる

2012.10.22 update.

中島美津子 イメージ

中島美津子

夫の転勤により各地の病院に看護師として勤務。九州大学医学部保健学科、聖マリア学院大学看護学部などの教員・研究職を経て、東京警察病院看護部長、総合東京病院副院長・看護部長後、2012年より現職の南東北グループ教育看護局長へ就任。研究テーマは「働きがいのある組織づくり」で、働き方についての認識のパラダイムシフトを図る啓発活動を全国で展開中。「すべては幸せにつながっている」「ケア提供者が幸せであることは質の高いケア提供を可能にする」という信念の下、日々仕事を楽しんでいる超positive思考の二児の母。

みっちゃんのブログ(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/)


■目標管理の前提には、自立したスタッフがある

 

前回の目標管理の話を聞いて、「話はわかるけど、うちの病院のスタッフでは無理かも……」と思った方がおられるかもしれません。確かに、スタッフ一人ひとりの目標は違っても、それぞれのベクトルをできるだけ組織の目標と合わせるという目標管理は、「自ら気づき、学び、自己アイデンティティを確立していけるスタッフ」を前提にしています。でも実際には「人生の目標や、看護師として目指すところなんてないよ……」というスタッフ、あるいは管理者もたくさんおられるでしょう。

 

自己アイデンティティが確立されていないことには、キャリアプランも立てられず、組織にお任せになってしまいます。するとどうしても、能動的プランではなく、他動的プランになってしまうので、モチベーションもあがらず、なんとなく日々の仕事を「やりすごしているだけ」という雰囲気になってしまいます。

 

一人ひとりのスタッフが人生の目標や、看護師として目指す目標に向き合って仕事をしているということは、目標管理を行ううえで、ひとつの前提になっています。逆にいえば、そのことが感じられないような状況であれば、目標管理というお題目をかかげても、なかなか成果は上がらないということです。

 

つまり、目標管理を行うためには、自立したスタッフを育てる人財育成が、どうしてもある種の前提になってしまうんですね。


■看護師は本来、自ら成長する人たち

 

確かに、すべての人が自己アイデンティティを確立して生きているわけではありません。しかし、私たち「看護師」に限っていえば、そう悲観的になることもないと私は考えています。

 

人財育成という考え方の根幹には、ダグラス・マグレガーが『企業の人間的側面』という著書のなかで提唱したXY理論における、「Y理論的な人間像」があります。

 

XY理論は、アブラハム・マズローが欲求段階説に基づいたもので、人間についての2つの異なる捉え方を示したものです。簡単に述べると、Xは「人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる」という捉え方、Yは「人間は本来進んで働きたがる生き物で、自己実現のために自ら行動し、進んで問題解決をする」という捉え方です。

 

Xの場合には、命令や強制で管理し、目標が達成できなければ罰を与える「アメとムチ」による管理となるでしょうし、Yの場合はスタッフの自主性を尊重するマネジメントが有効ということになります。

 

看護管理のベースには、スタッフがY理論的思考をもった人たちであるということを、どこかで信じる必要があります。スタッフはもともと、向上心をもって仕事をしているという前提でないと、人財育成、ひいては目標管理を行うことはできず、スタッフと管理者の間は疑心暗鬼の薄っぺらい関係性でしかなくなってしまいます。

 

師長がスタッフをX理論的な存在としてとらえていると、スタッフを「大切な仲間」と考えることができず、高飛車に命令したり、相手に威圧感を与えて本心を話せない雰囲気を醸し出したりしてしまいます。

 

……と、ここまでは半分は本当ですが、半分はタテマエの話です。

 

現場には明らかに向上心がなく、ただ漠然と働き、労働の対価を求めているだけとしか思えないようなスタッフがいるということは否定しません。そうした職業意識のないスタッフには、いくら管理者の側がポジティヴシンキングでY理論的な捉え方をしたところで、正直なところ変化は期待できないし、そんな暇があればX理論的な「アメとムチ」の管理をしたほうが、組織として統制が取れるんじゃないか、と考える気持ちもわかります。

 

ただ、そんなスタッフでも、そもそも数ある職業の中から看護職という仕事を選んだ人たちであることに違いはありません。そうはいってもケアに魅力を感じている人が多いはずなんですね。一見、給料がたくさんほしい、休みがほしいということしか口にしていなかったとしても、本音は「それだけ」ではないはずです。

 

看護師は賃金を第一に考えて仕事をするのではなく、看護師としてのキャリアの発展を求めて入職することが多いという研究もあります。

 

一見、意識が低そうに見えるスタッフでも、そうした本質的なモチベーションをどこかで持っているはず、と信じることは、やはり管理者としての出発点とすべきでしょう。

 

■看護師のロールモデルとは

 

では、そうした本来職業的熱意をもっているはずの人が、職歴のなかで向上心や目標を失っていくのはどうしてでしょうか。そうならざるを得ない家庭や個人的問題があるというケースはもちろんのこと、筆者は、「ロールモデル」の不在が、もっとも大きな因子ではないかと考えています。

 

看護師として、人として目標となるようなロールモデルに出会えないまま何十年も仕事をしていると、どうしてもことなかれ主義がしみついてしまいます。結果、アセスメントも判断も行わず、単に“作業”をこなすだけの、「指示待ちサラリーマン看護師」と化してしまうこともあります。

 

そうならないためには、キャリアの早い段階で看護、あるいは人生を楽しんで成長を続けているロールモデルに出会うことが大切なのです。

 

人は、環境によって育てられるものです。特に女性の職業キャリアは男性に比べるとライフイベントによってさまざまな影響が生じます。典型的なのは、子どもが生まれたときの、母親としての役割と看護師という職業人としての役割の間のジレンマです。こういったジレンマを乗り越えるのに必要なのは個人の能力とか知識といったものよりもむしろ、似た人生の少し先を生きる、ロールモデルの存在です。

 

離職でも、バーンアウトでも、新人のリアリティショックでも、ロールモデルの存在の重要性は実証されています。ロールモデルは、その人に希望と勇気と生きる力を与える存在であるわけです。

 

ロールモデルとなるのは、本当の意味でのワークライフバランスのとれた生き方をしている人物です。看護技術のテクニックがどんなに素晴らしい先輩でも、トータルで魅力ある人生を送っている先輩のほうが、多少、スキルは劣っても、相手への影響力はより強くなります。

 

個人を育てることは組織を育てること、組織を育てるためには個人を育てること。組織は人なり、なのです。
 

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