名越康文講義録(1) 心は一瞬にして変わる

名越康文講義録(1) 心は一瞬にして変わる

2011.6.09 update.

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名越康文

1960年生まれ。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院精神科主任を経て、99年、名越クリニックを開業。専門は思春期精神医学。精神科医というフィールドを越え、テレビ・雑誌・ラジオ等のメディアで活躍。著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書、2010)、『薄氷の踏み方』(甲野善紀氏と共著、PHP研究所、2008)などがある。2011年4月より「夜間飛行」(http://yakan-hiko.com/)にて公式メルマガスタート。

本稿は、2011年1月26日、医学書院で行われた「ナーシング・カフェ 医療者のための心の技法」での名越康文氏の講演をまとめたものです。

 

心の成り立ちについての共通了解をつくる

 

名越康文です。はじめまして。よろしくお願いします。

 

医療職に限らず、人事や営業といった対人関係のお仕事をされている方に聴いて頂く講座では、僕は必ず「人間の心の成り立ち」からお話を始めることにしています。それを抜きにして各論的に、「こういうときはどうしたらいいですか」「それはこうするといいでしょう」という話をしても、結局、根拠の欠けることになってしまうからです。

 

対人関係については、現場での経験を積むことで、個人差はありますが「だいたいこうすればいい」というコツのようなものを感覚的につかむことは可能です。しかしそれではどうしても個人的な経験論に流れてしまいがちです。そこで、この講座では「心の成り立ちについてのある程度の共通了解」を作ることを目指します。それによって、心を巡る議論があまりにも各論的に流れることを防ぎたいと思います。

 

ただ、「心についての共通了解」といっても、いわゆる物理科学のような手続きで根拠を求めることは難しい。ですから、時間をかけて僕の考えをお話したうえで、皆さんとの間に「このあたりは共通了解としていってもよいのではないか」という部分を見出していきたいというのがこの講座の目的です。

 

例えば大学では前期13回、後期13回の授業があります。僕は、前期の13回のうちの6回、ぐらい「心の成り立ち」をテーマにして講義をします。90分×6回ですから、約9時間くらいですね。それくらい時間をかけて「心ってなんなのか」という知見について共通了解ができてくると、いろんな問題に対して応用が利くようになってきます。

 

でも、必ずしも僕の話に100%同意していただく必要はありません。もっといえば、こうやって講義をするほんとの目的は、僕の考えを伝えることそのものよりも、皆さんの思考を煽り立てたいというところにあるんです。皆さんの中にある人間観を、5%でもいいから揺り動かしたい。だから、今日の話をヒントに展開できそうなところは、できるだけ皆さんがそれぞれ自由にやってほしい。

 

それこそ、僕の尊敬するミシェル・フーコーのような、あるいはラカンのような、わけのわからんことばっかり話すような講義をほんとはやってみたいんです。ラカンの講義録なんて、いくら読んでも、いや、読まなくていいですよ。全然わからないですから(笑)。でも、フーコーやラカンの言葉には、そこからいろんな空想が起こってくるような力があります。

 

僕の講義は、力及ばずで、そこまでわけのわからない話はしません。それは心底、僕の才能のないところだと思うんですが、それなりに四角四面の話になる部分も出てくると思います。

 

人の心は一瞬で変わる

 

僕は、病院で精神科医として13年間仕事をしてきました。その間、それなりに多くの本を読み、講義を聴きましたが、自分が「あ、これは使いやすい」と納得できる「心の成り立ち」に関する説明になかなか出会えませんでした。精神分析の考え方には比較的共感できましたが、それでも「では臨床でどうしたらいいのか」ということの答えはわからなかった。

 

佐々木孝次さんと伊丹十三さんの対談本に『快の打ち出の小槌』というものがあります。もし精神分析を臨床に応用したいという人がいたら、これと橋本治さんの『蓮と刀』をお勧めします。何十冊、精神分析の本を読みましたが、精神分析の専門家ではない方がかかわられたり書いたりしたこの2冊が、僕にはいちばん臨床とのつながりが感じられました。ただ、それでも僕の臨床実感との間には少し乖離がありました。

 

※6月10日、読者からのご指摘により、橋本治さんの書名を訂正しました。

 

心について、僕らが臨床現場で感じていることとは何でしょうか。僕の場合、研修医として最初に精神科病棟に訪れたときの体験が、いつも心に残っていました。詳しいことは以前、『週刊医学界新聞』の連載に書きましたが、こんなエピソードです。

 

精神科病棟に来て初日、思春期病棟に行ったときの出来事です。ものすごく緊張して、何もわからないなか、とりあえず自己紹介をしようと患者さんに一人ずつ挨拶をしていたんですね。そうすると、ホールのところに一人ぽつんと座っている女性がいたので、「あ、この人にも挨拶しよう」と思って真正面に座った。その子はニコニコ笑っているので安心して「今日から研修医でここにきました。なこ……」ぐらいまで口にしたところで、すごい衝撃が走った。何が起こったか最初はまったくわからなかったんですが、その子が、全力で僕の左頬をバシッ! と叩いてきたんです。目から火が出るというのはこのことでした。

 

僕はこの体験の意味をずっと考えてきました。その後も、臨床でさまざまな体験をして、そのたびに考えて得たひとつの結論が「人の心は一瞬にして変わる」というものでした。実はこの結論は、子どもの頃からなんとなく、僕の中にある種の確信をもって存在したものではあったのです。むしろ、心理学や精神医学を学ぶ過程で、大きく迂回してようやくこの結論にたどり着いたというほうが、自分自身の実感に近いと思っています。

 

人の心は一瞬にして変わる。次の瞬間には、まったく連続性なく、ほかのことを考えるのが人の心、あるいは脳のありようである。精神医学や心理学を学んでいると、心というのが固定したもの、安定したものというイメージで捉えてしまいがちです。自我があって、超自我があって……と、図示できるような形で心は無時間的に固定しているという印象があります。例えば「性格」というのもそうですよね。変わらない、不定のものと、どこか考えていないでしょうか。

 

でも、それは現実とはかなり乖離した認識です。瞬間ごとに、ころっと変わるのが心です。このことは、経験的には思い当たる方が多いと思うんですが、少なくとも、精神医学の専門書ではそんなことは書かれていません。

 

「この人に会いたい」とずっと思ってきて、実際に会って「やっと会えた!」と喜んだ10分後には「あぁ、退屈……」と気分が萎えてしまうことだってある。それどころか、30分も経てば大げんかしていることすらある。逆に、朝から「しんどい、最悪な気分」と思ってたのに、身支度して外に出て太陽の光を浴びたらぱっと元気になることもある。

 

むしろ僕らは、それだけころころ変わるとまともに社会生活を営むことができないから、心が変化しないように、一定の状態に保つために、かなりのエネルギーを割き続けて生活している。心について考えに考え抜いた末に、僕はこういう認識にたどり着いたわけですね。

 

実は、この論の難しさは、非常に言語化しにくいということにあります。それほど瞬時に変わるものは、ほとんど言葉で記述しようがない。僕程度が思いつくことは、これまでにも誰かが思いついていたはずなのに、「心は一瞬にして変わる」という視点で心についてまとめた本というのは、調べたかぎり、西洋精神医学、心理学の中では見受けられません。それだけ、言語化が難しいということなんだと思います。

 

ところが唯一、「心は一瞬で変わる」という視点で書かれたものがあった。それは僕が「東洋の心理学」と捉えている仏教だったんです。

 

数年前に仏教の教えに「心の速度は光の17倍ある」という言葉があると聴いたことがあります。この言葉にはかなり興奮しましたね。「これこれ!」と思いました。仏教こそ、僕の知りたいことを教えてくれる知の体系なんじゃないかと思った。それ以来足掛け3年ぐらい、ずっと仏教の研究をしています。そうすると、僕が想像していた以上に、仏教の体系は本当の意味で科学的なものだということがわかってきました。

 

皆さんは西洋医学を学んできた方がたなので、僕が話す仏教の話は、多少アヴァンギャルドに聞こえるかもしれません。僕はものすごく慎重で臆病なので、誤解を受けないように少しずつ、段階を踏んで説明をしていきたいと思います。
 

次回に続く)

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コメント

佐々木孝次さん、伊丹十三さんの「快の打ち出の小槌」はずっと愛読してきた本で、ここで紹介されてびっくりしまいた。両先生の予言の通りに日本はぐちゃぐちゃになってしまいましたが、名越せんせいの言葉をかみしめて、毎日生きております。

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