第3回 逮捕!

第3回 逮捕!

2011.4.22 update.

尾上義和 (社会福祉法人藤沢育成会、PSW)

2009年に障害者団体向け割引郵便制度を不正利用したとする容疑で、当時の厚生労働省村木厚子局長らが大阪地方検察庁特別捜査部によって逮捕・起訴された(その後村木氏は無罪確定)。
その後捜査を進めていくなかで、社会福祉法人全国精神障害者社会復帰施設協会(全精社協)との関連が浮かび上がった。大阪地検特捜部は2009年10月20日、精神障害者福祉施設「ハートピアきつれ川」(栃木県さくら市)の運営費などに流用する目的で厚生労働省から調査研究名目の補助金計約5100万円の交付を受けたという容疑で全精社協の会長、元副会長、元事務局次長、元常務理事(尾上義和氏)を逮捕した。
2009年11月、会長と元副会長は起訴処分(2010年に執行猶予の判決となる)、元事務局長と尾上氏は起訴猶予処分となった。
 
――本稿は、本件について大阪地検の取り調べを受けた当事者の尾上氏に、実際の体験を記していただいたものである。

「ガチャ」と音を立て、

茶色っぽい手錠が

両手にはめられた。

 

大阪地検を出ると、すっかり暗くなっていた。

帰りはなぜか行きよりも荷物が重く感じられた。

ホテルに到着し、ベッドに横たわり、検事から受けた任意の事情聴取の内容を思い返してみた。

 

検事は思ったより友好的な印象だった。

事件以外のことでも、私の仕事の話を興味深く聞いてくれるので、こちらも緊張がほぐれるような気分にもなった。

だが一方で、きちんと伝えきれただろうか、変なふうに思われているんじゃないだろうか、同じことを何回も聞くということは私の発言は疑われているんじゃないだろうか、という不安な思いがもたげてくる。

 

しかしすぐに「友好的な印象があったのだから、こちらから丁寧に話をすればきっとわかってくれるはず」となんの根拠のない願いに思いを馳せていた。何かにすがりたいという気持ちだったのだろうと思う。

 

 

「繰り返し」という恐怖

 

 

検事は手元にある分厚いファイルを重たそうに持ち、付箋のついたところを広げ、そのページを私のほうへ見せる。それは補助金の申請書だった。

 

「これは誰が作られたんですか」と検事が言う。

「私です」

「ではこれは誰の指示で作られたんですか」と淡々とした口調で私に聞く。

「Aです」と答えると、

「Aさんから、いつごろ、どのような指示がありましたか」とふたたび聞かれる。

 

私は見えない記憶の糸を辿るように、「たぶんですが、△月△日ごろに、××と言われたと思います」と答える。検事は手元にあるA4判の白い紙にボールペンを走らせながら聞く。

 

「では尾上さんは、そのときどう答えたのですか」

 

私はたぶんこう答えたという内容を伝えると、検事はA4判の白い紙を見たまま、「そうすると△月△日ごろに、Aさんから、こういう指示をされ、こう答えたんですね」と確認する。

発言までは細かく覚えていないと思いながら「そうだと思います」と答える。

検事は今度はパソコンの画面を見ながら「この補助金の申請は、いつごろ、誰に申請したのですか?」と聞く。

 

パソコンには何が書いてある? と思いながらも、私は「たぶん▲月▲日ごろに、Bさんへ提出しました」と答えると、「そのときにBさんとどんな話をしましたか」と聞く。

「特に話はしていません。申請しただけです」と答えると、私の答えに頷くこともなく、検事はもう一度パソコンを見ながら聞く。

 

「この申請の内容については、誰と相談したんですか」

「Cさんです」

「それはいつごろですか。そのときにCさんは何と言いましたか」

 

私は、この人たちの名前を出してしまうことで迷惑がかかってしまうのではないか、少なくとも全精社協のためにとても尽力してくれた人たちを売ることになるのではないか、と自問自答を繰り返していた。

でも私は私のわかっている事実を答えることしかできない、無力な存在なのだ。

 

調べの途中で休憩が入る。

休憩というと、普通は緊張した状態から解放される瞬間でもあるが、ここでは違う。

あのときはこうだったのではないか? いやこうだったんじゃないか? と私は私に向けて、取り調べと同じように自問自答を繰り返していた。

 

ふと目の前にある窓から外を見ると、きれいなオレンジ色の空が広がっている。それを見ながら「私はいつ帰れるんだろうか」と寂しい気持ちが湧きあがってくるのがわかった。

 

「尾上さん、こちらへ」と事務官から呼ばれ、我に返った。

 部屋に戻ると、検事は手元にある紙と、パソコンの画面を見ながら「ではもう一度聞きます。Aさんはこう言って、尾上さんはこう答えたのですね」と少し強い口調で聞いてくる。

 

このことを聞かれるのは2回目である。

なぜ同じことを何度も聞かれるのか……私が何か間違っているのか……そこにあるパソコンと、手元にある紙には何が書いてあるのか……。

 

そうなのである。このことについて確認できる仲間はこの閉ざされた空間には誰ひとりとしていない。私は一人なのだ。正確には検事と、事務官、そして私の3人であるが、私だけ違う人間なのだ。

そう思うと一気に強い孤独感と不安感が襲い、私は知らぬ間に「はい……」と答えていた。

 

 

「最後の取り調べ」とは

 

 

朝食を食べて身支度を整えていると、携帯電話のバイブレーションが響いた。

 

検察から「これで最後の事情聴取」と言われ、私は前日から大阪へ来て、いつものホテルへ宿泊していた。

手ごろな値段であるわりに設備はしっかりしていて、部屋もそれなりに広いということと、検察庁とも近くもなく遠くもなくのそれなりの距離を保っていたという理由で、利用していた。

 

電話をとると、神奈川の仲間の一人だった。

 

「尾上ちゃん(私はなぜか、よく知る仲間にはこう呼ばれている)、新聞に今日逮捕されるって載っていたよ! 大丈夫なの!?」

 

とても慌てているのが感じとれたが、私には何を言われているのかよくわからない。検察からは「最後の聴取」と言われているから、「そんなはずはない!」というのが私の言い分だった。

電話口の彼にもできるだけ冷静にそう伝えた。電話を切ったあと、とにかくいろんなことが頭をよぎった。

 

「最後」というのは違う意味なのか……たしかにきのうは新大阪駅まで事務官の男性が迎えに来ていたが……。

すべてが疑わしく思えたが、絶対にそんなことはないと思いたかった。

 

私は居ても立ってもいられず、予定の時刻より早目にホテルをチェックアウトした。

何も考えたくなかった。近くにある公園や川辺をさまよっていた。

突然、携帯電話が鳴った。

 

「もしもし尾上さんですか。本日はマスコミが多いので、ホテルへ迎えに行きます」

 

大阪地検からだった。

なぜ今日はマスコミが多いのか、私はすぐに察知した。

先ほどの電話で言われたことは本当だったのだ。

そう確信していても、検事に直接それと確認をすることは一縷の望みを消すことになると思い、怖くてできなかった。情けない。

 

 

見られる人

 

 

ワンボックスタイプの車を事務官が運転し、担当検事が後ろに乗っていた。

私が車に乗ると担当検事は車を降り、どこかと電話でやりとりをしている。

しばらくして「出発しましょう」と言い、車が動き出す。

担当検事からは「全精社協の会長、副会長の絵が撮りたくてマスコミが来ている」という説明を受けたが、私がこれから逮捕されるのかどうかについてはいまだ一言もない。

 

大阪地検へ近づくと、突如マスコミが飛び出してきて、窓ガラスにカメラを押しつけてきた。

よくテレビで見る光景であるが、今の主役は私であり、見る側ではなく見られる側となっていたことが不思議だった。

 

到着するとすぐに担当検事の部屋に通され、いくつか調べを受けた。

お昼の時間帯となったころ、担当検事から「昼食はどうしますか?」と聞かれた。

私は「今日はいつごろ終わるのですか。帰りの新幹線のチケットを買いに行きたいのですが」と言うと、「今日は何時になるかわからないので、チケットをとるのは待ってください」と濁された。

不安が強くなっていく。

 

マスコミ対策のため、昼食は担当検事の部屋でとらせてもらうこととなった。

昼食後はいったん待合室で待たされて、再び部屋に戻ると、担当検事から「尾上さん、たいへん残念なんですが、逮捕状が出ました」と淡々と言われる。

 

検事の机の上のA4判の紙に私の名前が書いてあり、「補助金適正化法違反の容疑で逮捕する」という趣旨のことが書いてあった。いや、そう書いてあったと思うだけだ。

このときは言われていることがあまりにも信じられず、目の前の紙をしっかりと見られる状態ではなかったのだから。

 

私は今これを書いていて、十数年前に勤めていた精神科を思い出す。

当時の精神科では、本人が自分の変調に気づいて、みずから受診してくる人は少なかったように思う。特にその症状が重いほど自分で受診をする比率は低くなってくる。

 

ではどうするか。家族や関係機関が、綿密な段取りのもとに、精神科を訪れるのである。

当の本人は「こんなところに連れてくるとは言わなかった。おれは精神病じゃない」と言うが、まわりはもとよりそのつもりである。

本人だけがそのつもりではないのだ。知らぬは本人だけであり、最後に知るのが本人なのである。私もその状態に置かれていた。

 

しかし入院したあとに当の本人と話をすると、訳がわからず勝手に連れてこられたと一応言ってはいるものの、「自分の変調にはなんとなく気づいていた」と言うことがある。

私も仲間から、こうして逮捕されることを数時間前に聞いていた。でも担当検事の「最後の調べ」という言葉にすがりつきたかった。

そうやって、必死に現実というものを回避してきたのだ。マスコミから電話があったあの日から、私の時間は止まっていたのかもしれない。

 

「ガチャ」と音を立て、茶色っぽい手錠が両手にはめられた。

冷たくて重い手錠が心にのしかかるのが感じられた。

それとともに、時間が動きはじめた。

 

検事からは「接見禁止」であることを告げられる。

拘留中は誰とも会えないということである。

関係性を一切断たれたのである。

 

(尾上義和「拘置所の23日間」第3回了)

 

『精神看護』2011年3月号(医学書院)より。

 

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『精神看護』2011年03月号 (通常号) ( Vol.14 No.2) イメージ

『精神看護』2011年03月号 (通常号) ( Vol.14 No.2)

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