医療者のための心の技法 第11回

医療者のための心の技法 第11回

2011.3.10 update.

名越康文 イメージ

名越康文

1960年生まれ。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院精神科主任を経て、99年、名越クリニックを開業。専門は思春期精神医学。精神科医というフィールドを越え、テレビ・雑誌・ラジオ等のメディアで活躍。著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書、2010)、『薄氷の踏み方』(甲野善紀氏と共著、PHP研究所、2008)などがある。

 

解離的な怒り(1)

 
 
突然怒り狂うゴモラ
 
 
以前、大学の講義で「怪獣と思想」というテーマで話をしたことがあります。そのとき、「あ、これは今の世界を読み解くキーワードだな」と思ったのが「解離」という言葉です。
 
 
講義では、ウルトラマンシリーズの映像を何本か見たのですが、そのなかで僕が非常に興味深かったのが、ゴモラという怪獣でした。ゴモラは、画面に登場するやいなや、怒っています。実は日本人って、こういう「いきなり怒っている」怪獣が好きなんですね。
 
 
たとえばハリウッド映画の怪獣やエイリアンたちは「人を食べる」とか「人の身体に卵を産みつける」といった、何らかの目的をもって人に危害を加えてす。キングコングが暴れるのも、美女を守るためですよね。
 
 
ところが、ゴモラは、なんで怒っているのかさっぱり意味がわからない。しかし、そういう意味のわからない、解離的な怪獣を、日本の視聴者は好みます。
 
 
なお、ここでは「解離」という言葉を、精神医学用語の「解離性人格障害」の定義からはずれて、少し大雑把に「文脈なく怒る、爆発する」という傾向のことを指すものとして使います。
 
 

ゴジラから神様まで、解離する日本

 
 
こういう傾向は、ゴモラに限らず、日本の怪獣に共通しています。
 
 
たとえばゴジラはどうでしょうか。ゴジラは、水爆実験で目覚めた体験から、人間に恨みをもっているのだと説明されます。しかし僕は、ゴジラ自身は、自らの怒りのメカニズムに自覚的ではないように感じます。海から上がって、東京のネオンサインを遠くからみて、ゴジラは怒り、まっすぐそちらに向っていく。でも、ゴジラ自身はなぜ、ネオンサインをみると腹立たしくなり、そちらに向うのかはわかっていないのではないか。
 
 
なぜわかっていないか。ゴジラは水爆実験のときのすさまじい光とともに蘇りました。しかし、そのときの恐怖体験は抑圧され、自覚されなくなっているんじゃないでしょうか。その抑圧が、怒りとなり、東京の夜の街並みのネオンを見るとめちゃくちゃ攻撃的になって、破壊しまくる。ゴジラはそういう存在なのではないか。
 
 
非常に興味深いのは、ゴジラを楽しむ僕ら観客は、何の説明もなく、そのことを理解していることです。「ゴジラが暴れているのは水爆実験への恨みだ」と解釈してみる人はどちらかというと少数派で、「いきなり、何の文脈もなく大暴れする存在」としてゴジラを楽しむ人のほうが多い。そういう解離的なあり方が、日本人のツボなんです。
 
 
これは、日本の神道に登場する神様のありかたにも通じてきます。たとえば、菅原道真は有名な天満宮ですが、この神様は元々祟り神です。平将門もそう。日本の神にはけっこう多く「祟る」ということで、神格を高めていらっしゃる部分があります。「祟るぐらい大きな力をもっているから、もしも味方についてくださったら大きな力を得られるだろう」という転倒した論理が、ある気がしてきます。
 
 
相手が強大で、暴力的であればあるほど、そういう存在と和解し、自らの庇護者として取り込み、親密感を深め、尊敬もする。あるいは心の支えにまでする。こういう祟り神と和解していく信仰プロセスは、僕たち民衆の精神の歴史として何度となく繰り返されているのではないかと思うのです。
 
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抑圧した感情の爆発
 
 
日本に比べると、欧米の悪役はもう少し論理的というか、文脈依存的ですが、もちろん例外はあります。有名なところでは、「13日の金曜日」のジェイソンは、僕の解釈では解離的です。
 
 
ジェイソンは若者を襲いますが、なぜ襲うのか、ということについてはほとんど明らかにされません。ただ、シリーズをじっくりみていると、どうも金髪の女の子が男漁りして、セックスをはじめると、ジェイソンが登場する(笑)。これについて、「アメリカ人男性の、女性に対する潜在的な怒りを表現している」というのは、比較的筋の通った解釈といえるでしょう。
 
 
潜在的な抑圧があり、そのエネルギーが、僕らの目に見えない地下水路のようなところを通って爆発する。だから、表面的にはほとんど文脈を無視して突然怒っているようにみえる。
 
 
ジェイソンは別に、自分が襲った女の子に個人的な恨みをもっているわけではありません。というよりも、ジェイソン自身、「なぜ、自分が怒っているのか」を、まったく認識できていないんじゃないか。13日の金曜日シリーズは、そういうつくりになっています。
 
 
解離とともに生きる
 
 
文脈なく、抑圧された怒りが爆発する。僕ら日本人はもともとこういうありようがすきなのですが、近年、つとにこういう解離的なあり方に向っているようなところはないでしょうか。
 
 
身近なところでは、ワイドショーがそうですね。タレントの大麻所持とか、破滅的な行動をみていて興味をもち、意外にちょっとわくわくする。このわくわく感の特徴は、なぜ自分が興奮しているのか、うまく説明できないことにあります。かわいそうだとか、腹が立つというのとも、微妙に違う。そこには、僕らが抱えている解離的な感情が隠されているのだと思います。
 
 
あるいは秋葉原の無差別殺傷事件などにも、僕らは解離的なあり方を感じることができると思います。いずれにしても、こうした解離的なありように向き合っていくことが、これからを生きていくうえではポイントとなるような気がしています。
 
 
 
次回

に続く
 
 

<医療者のための心の技法 バックナンバー>

第1回 3年で辞めないために(1)

第2回 3年で辞めないために(2)

第3回 3年で辞めないために(3)

第4回 愛情欲求から自由になる(1)

第5回 愛情欲求から自由になる(2)

第6回 共感は可能か(1)

第7回 共感は可能か(2)

第8回 共感は可能か(3)

第9回 夜勤というアンチクライマックス(1)

第10回 夜勤というアンチクライマックス(2)

第11回 解離的な怒り(1)

第12回 解離的な怒り(2)

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