かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2011.2.28 update.
1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『母が重くてたまらない』(春秋社)など多数。最新著に『ふりまわされない』(ダイヤモンド社)、『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ、理論社)がある。
[前回まで]
ようやく病院のゆったりモードに慣れてきた木川嘉子の病室に、二人の新しい同室者がやって来た。ひとりはベッドを軋ませて眠り続けるロシア人、もうひとりは、買い物途中で転んでしまったノジマさんというお年寄り。これで「最後の晩餐」の静さんを合わせて四人そろったことになる。
ターミナル駅を降りた真衣は、嘉子の入院している病院行きのバスに乗った。荷物が重いのは、近々会社で昇進試験を受けるための参考書一式が入っているからだ。そこにはもちろん、嘉子のために購入したパジャマも入っている。
土曜のお昼近い時間のせいか、道路は大渋滞だ。いっこうに進まないバスにいら立ちながら、あと20分早く電車に乗っていれば道も空いていたはずだ、これもすべてパジャマがみつからなかったせいだ、と真衣は思った。
昨晩病院のラウンジでおしゃれな女性を見たときから、どんなパジャマにするか、頭の中ではすでにデザインがありありと描かれていた。インディゴ風で張りのある素材、ボタンは鮮やかなブルーか、いっそ真紅がいいなぁ。イギリス映画に出てくる少年がはいていたズボンのように、裾はたっぷりと深く折り曲げてある。60歳を過ぎたママだけど、それくらい派手なパジャマ姿で病棟を練り歩かなくっちゃ……。
次々と想像をふくらませていくところは、母親の嘉子にそっくりだ。そのことに真衣は気づいていない。
十時の開店と同時に近所の寝具店に入ったのだが、「おばさん仕様」としか思えないパジャマばかりがぶらさがっていた。薄くプリントされた模様は、どれもピンクかブルーの花柄なのだ。まるで病院の売店みたいじゃない、と憤然とした真衣はユニクロに入った。ところがいくら探しても、前開きのパジャマは一枚も売られていない。
一縷の望みを託して入った無印良品で、やっとのことで前開きのパジャマが見つかった。イメージしていたものとは大違いだったが、グレーの木綿地にボタンの代わりにマジックテープが使用してあり、襟が高校の制服のように丸くカットされているところがまずまず気に入ったので、急いで購入した。
11時を過ぎても真衣はやってこない。メールも届かない。
イライラしながら携帯をチェックしていると、「見舞いに行くと自分の入院時のトラウマがフラッシュバックしてしまう」という絵文字まじりのメールが届いていた。夫からだ。ああ、情けないとつぶやきながら、たしかに2年前に夫が手術したときの病院と建物の構造はよく似ていると思った。
しかし、何かが違う。
ほぼ全員が手術を受けるので外科医が関与している病院と、嘉子が入院している病院のフロアとは空気が違っている。この二日間で経験した患者の出入りの多さ、年齢や国籍の多様性、ラウンジに満ちている個性の輝きは、まるで宮沢賢二の「注文の多い料理店」のような雰囲気を醸し出している。
それに比べると、夫の入院していたICUや術後の病棟は、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。冷え冷えとしているのに、そこはまぎれもない戦場であり、医師を突撃隊長とした戦闘部隊が常時待機しているのだった。看護師はその部隊の一員にすぎず、医師の背後に隠れてその姿が小さく見えたことをありありと思い出した。
ふたつの病院のあいだに横たわる温度差は、「死」との距離の違いによるものかもしれない。たしかに日々なにごともなく働いていたときに比べると、心臓カテーテル検査を控えた嘉子は、生命の危機に直面していると言えなくもない。しかし目立った苦痛もなく、退院日も決まっていることがどこかで気楽さを生んでいる。なにより嘉子の飽くことなき好奇心が、生命の危機という言葉を凌駕していた。
ロシア人女性はいびきをかきながら眠ったままだ。お隣のノジマさんは看護師さん二人を相手に話し疲れたのか、黙っている。最後の晩餐のキリストのような静さんからは、いびきの音すら聞こえてこない。奇妙な沈黙に満ちた病室でじっと横たわっているのは居心地が悪く、嘉子は校正の原稿を抱えて、ラウンジに行くことにした。
通りすがりに、カーテンの隙間からノジマさんを見た。不意に、学生時代の記憶がよみがえった。下宿近くの総菜屋に嘉子はよく買い物に行った。漬物や惣菜、乾物類を売る狭い店は、お世辞にもきれいといえなかったが、そこの白菜漬けは実においしかったからだ。
店先から丸見えの居間では、古ぼけた石油ストーブの上で薬缶の湯気が立っていた。いつ行っても白髪の女主人はそこでテレビを見ていた。大音量なのは耳が遠いせいなのだろう。客が来ると、物憂げに「いらっしゃい」としゃがれ声で立ち上がって、のろのろと店に出てくるのだった。両方のこめかみには小さく切った白い膏薬が貼ってあった。嘉子の記憶の中にあるその女主人とノジマさんの姿が重なった。
ノジマさんの顔の下半分は紫色だ。おそらく転んだ際の内出血なのだろう。時が経つにつれて額からだんだん下に降りてきたのだ。仕事柄、嘉子はDV被害を受けた女性の内出血の変化を見ていたので、そのことが容易に推測できた。
目をつむったノジマさんの口元は、生きることに飽き飽きしたかのようにへの字に結ばれ、眉間には深いしわが刻まれている。あの総菜屋の女主人とそっくりだ。
通り過ぎるほんの一瞬の光景で、嘉子はノジマさんという老人が入院に至るまでどのような人生を送ってきたのかがわかる気がした。
日当たりのよい窓際の椅子にゆっくりと座った嘉子は、カフェにでも行った気分で赤のボールペンとA社の原稿のゲラを取り出した。
昼食まであと30分ある。どうしてこんなにお腹がすくのだろう。朝食はパンにバターとジャムがついていた。コーンスープはおいしかったが、フルーツは酸っぱいので残してしまった。納豆ごはんだったらここまで空腹に苦しむこともなかっただろう、と嘉子は少し恨めしく思った。
なかなかゲラのチェック作業に身が入らない嘉子は、東京タワーも見慣れてしまったので、周囲の会話に耳をそばだてた。
土曜の昼のラウンジは、どこか華やいでいる。ウィークデイよりはるかに多くの面会者が訪れているせいだろうか。右斜め後ろの丸テーブルから、50代らしい女性の声が聞こえてくる。
一瞬目を遣ると、女性の前にはパジャマ姿の男性が目を伏せて座っている。その隣には歩行器が置かれている。自力歩行が難しいのだろうか。
「……なんてヘンよ、だめじゃない!どうして主治医に聞かないの!」
まるで幼稚園児を叱っているような口調だ。たぶん夫婦なのだろう。訝しまれないように原稿と東京タワーを交互に見やりながら、嘉子は内容を逐一聞き取ろうとした。
腰のヘルニアの手術をした夫だが、どうも痛みが残っているらしい。それを主治医に報告しなかったことで妻から責められている。夫は、退院が遅れることを恐れて妻にそれを黙っていたことで、さらに怒りをかったのだ。妻の憤りは、夫ばかりではなく、そのことに気付かない主治医にも向けられている。
「だいたい、セカンドオピニオンを求めなかったのが悪いのよ。B病院のC先生のほうが腕が良かったんじゃないの?」
夫は憮然としている。ラウンジでは怒鳴るわけにもいかないのかもしれない。歩行器を使ってしか歩けない夫と、ウォーキングで足腰を鍛えているに違いない小太りの妻とでは、誰が見ても勝負はついている。妻の言い分はこうだ。
《病院選択に際してあなたは怠惰であった。どれほど忠告しても聞く耳をもたなかった。こうして問題が明らかになった以上、主治医、ひいてはこの病院の治療方針を信じることはできない。退院して再発すれば、結局私の負担が増えることになるのだから……》
頬を紅潮させて夫を責めているだろう妻のことばを、まるで私立探偵のようにそ知らぬ顔をして聞きながら、嘉子は突然はっとした。
「私はセカンドオピニオンを求めなかった!」
それは新鮮な発見だった。しかしその驚きに浸る暇もなく、そこからむくむくと問いが湧きあがってくる。
《クライエントのひとたちにセカンドオピニオンを求めることを勧めることも多い自分が、なぜ自分の心臓の検査に際してそれを求めなかったのだろう。そればかりではない。狭心症についてインターネットで検索したり、関連書物を読むこともしなかった……》
あらためて自分の行為を振り返りながら、嘉子はしばらくその問いについて考えた。大きな謎のように思われたが、意外と早く、4秒間ほど考えただけで答えはすぐに見つかった。
「私は主治医を信じていた。だから、セカンドオピニオンを求めようなどと考えてもみなかったのだ」
ではなぜ、あのかるがものように歩き、のび太のような笑顔の主治医をやすやすと信じたのだろうか。あまり権威的でもなく、頭髪の薄さから40代らしいと想像される主治医の、何を信じたのだろうか。問いはさらに湧いた。
さすがにこの問いについては、4秒間では答えが出なかった。しかし、そんな自問自答や謎解きをしているときの嘉子は、いつも秘密の小箱を覗き込んでいるようなわくわく感を覚えるのだった。空腹も忘れ、思わず体を動かしたくなって椅子から立ち上がった。「う〜
ん」と小さい声を出し、軽く伸びをした。視線を真下にやると、緊急入口から救急車が病院に入ってくるのが見えた。
嘉子はくるくる回る赤い光を見ながら、多くのクライエントの女性たちを思い出した。
彼女たちは、リストカットとオーバードーズ(処方薬の過剰摂取)の末に、家族の119番通報によって救急搬送された経験をもっていた。カウンセリング場面で、縫合された手首の傷跡を見せられたことはしばしばある。本人だけではない、娘が数度にわたり自殺企図を繰り返す母親もカウンセリングに訪れる。
彼女たちに会いながら、嘉子はずっと考えてきた。事態が好転するクライエントとカウンセリングが中断してしまうクライエントとの違いはなんだろう、と。
しょっちゅう問題を起こすクライエントとその家族が、カウンセリングに通うことで望ましい方向に回復することは、カウンセラーと本人たちにとって共通の願いであることは間違いない。それなのに、なぜそこに違いが生じるのだろう。
カウンセリングの理論や技法、カウンセラーの姿勢などを挙げることはできる。実力や相性もあるだろう。臨床心理学はそれを根拠づける学問であることはいうまでもない。しかし、身体医学のように客観的なエビデンスで効果を証明するのは至難の技だ。近年では援助の世界もエビデンスベイストと叫ばれるようになったが、嘉子はどうも苦手で、すぐに「エビドン=海老丼」を連想してしまう。
思い返せば、回復したクライエントたちは例外なくカウンセラーである嘉子とそのカウンセリング機関に対して深い信頼を抱いていた。
さまざまなカウンセリング機関が林立し、数多くのカウンセラーが誕生しているなかから自分たちが選ばれたこと、そして心よりの信頼感を寄せられ、保険診療よりはるかに高額の料金を支払われること。
――この法外とも思えるほどの付託に対して、嘉子は喜び感謝しつつも、どこかで怯えを感じていた。
有頂天になり万能感に浸ることができればどれほど楽だろう。「私はカリスマカウンセラーよ、ほほほ……」と権威をふりかざし、ご託宣を与えることができれば、無条件の信頼とどこかで深く切り結ぶことができたのだろうか。
しかし、長いカウンセラー歴をとおして、嘉子はそれを禁じ手にしてきた。涙を浮かべたクライエントから、「先生、命令してください」と頼まれたこともある。しかし、どうしてもそれだけはできなかった。
土曜の昼というのに、病院には次々と救急車が到着する。見る者を不穏な気分にさせる赤い警光灯の回転を見下ろしながら、嘉子はそのときのクライエントのすがるような顔をありありと思い出した。
《あのときのクライエントからの無条件の信頼と、私が主治医を信頼したことはどう違うのだろう。かたくななまでに私が禁じ手にしてきたことは、深い信頼の付託に答えることとどのように重なるのだろう、それとも……》
援助を受ける側に立った嘉子と、援助者=カウンセラーとしての嘉子が頭の中で正面から向かい合っている。なにより、受ける側の嘉子はすでに主治医を信じてしまっている。賽は投げられているのだ。答えが出るどころか、混乱のあまり嘉子は頭を抱えたくなった。
こんなときは先送りするに限る。謎の先送りは嘉子の特技である。そう考えたとたん、空腹のあまりお腹が鳴った。配膳車はまだなのかと後ろを振り向いた。斜め後ろのテーブルには、先の夫婦に代わっていつのまにか松葉杖の若い男性が座っている。少しひげの伸びたあごからのど仏のラインに見とれている嘉子の前に、真衣が息せき切って現れた。
(第7回了)
[次回は3月中旬UP予定です。乞うご期待。]
アディクションアプローチ もうひとつの家族援助論 A5判・224ページ・1999年06月発行 定価 2,100円 (本体2,000円+税5%) ISBN978-4-260-33002-2
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DVと虐待 「家族の暴力」に援助者ができること
A5判・192ページ・2002年03月発行 |