看護管理なんてこわくない!(1) 

看護管理なんてこわくない!(1) 

2010.11.15 update.

中島美津子 イメージ

中島美津子

「じ」じゃなくて、濁らない「し」の「なかしま」です。夫の転勤により各地の病院に勤務。九州大学医学部保健学科、聖マリア学院大学看護学部、東京警察病院看護部長を経て、2010年5月より東京病院副院長となりました。研究テーマは「働きがいのある組織づくり」で、働き方についての認識のパラダイムシフトを図る啓発活動を全国で展開中。
「すべては幸せにつながっている」「ケア提供者が幸せであることは質の高いケア提供を可能にする」という信念の下、日々仕事を楽しんでいる超positive思考の二児の母。
みっちゃんのブログ(http://ameblo.jp/tokyobyouin-director/

 

第1回 看護管理と看護過程はおんなじだ

皆さんはじめまして。「看護管理なんかこわくない」の中島です。

 

この連載では、師長や主任になって「看護管理、勉強しなきゃなあ」と思っている人や、長いこと管理職やってるけど、管理ってなんか苦手、という人のために、超実践的な看護管理のお話をお届けしようと思ってます。

 

最初のお話は、皆さんが学生の頃に学び、日々の実践のなかで行っておられるであろう、看護過程と看護管理のつながりについて。

 

看護過程の味わいは、学生ではわからない

 

「カンゴカテイ?? うふぁ〜まるで眠りを誘う呪文かお経のような講義を思い出す」なんて人もいそうです。今だから告白しますが、筆者も学生時代、統計学と看護理論、そして「カンゴカテイ」なるものは、ほとんど眠っているか、代返かというありさま。看護研究大好き、カンゴカテイ大好きな今の私からすると、なんともったいないことをしたと思いますが、それはそれでよかったのだと思っています。

 

なぜって、もしも学生のときに、必死に勉強していたら、きっと今頃はすごいアレルギー反応が出ていただろうから。「看護診断」「看護過程」「看護理論」といったものは、学生にとっては机上の学問に過ぎません。それらを学生のうちに体系的に学んで身につけ、さらに患者の状況に合わせて使い分ける、なんていうのは夢物語というのが現実です。

 

実際、看護過程をしっかり勉強していないからといって、現場に出てから困ることはあんまりありません。臨床に出てすぐの看護師は日々の業務で手一杯。毎日、一人ひとりのことをじっくりと考えてる時間なんてないも〜ん! というのが多くの看護師さんたちの本音だと思います。

 

管理って要するに「やりくりする」ってこと

 

そんな「カンゴカテイ」と看護管理、どうつながるの? というわけですが、看護管理というのは、「ある組織において簡単にいかないことについて、現状のデータをとり、分析し、なんとかうまくやりくりすること」です。「管理」は英語ではmangement。その意味するところは「succeed in achieving or producing (something difficult)」。簡単に訳すと、「(難しい課題に対する)目的達成または創作の方法、手順、工程、そのやりくり」となります。

 

組織というのは、師長や主任にとっては「病棟」や「外来」といったひとつひとつの部署をさしますから、看護管理とは要するに「自分の部署で生じるいろんな難しい問題に対して、うまくやりくりすること」なんです。

 

つまり、師長さんや主任さんといったマネージャクラスの人の仕事は、日々を大過なく過ごすことではなく、困難なこと「something difficult」に対して何とかやりくりすることなんですね。

 

毎日、いろいろな問題が勃発し、一筋縄ではいかない個性の強いスタッフをまとめ、1か月の半分は勤務表に頭を悩まされる、本当に大変な日々。ホントに管理って大変! って思うことでしょう。

 

でも、仮にも管理職というところにステップアップしてしまった皆さんは、そこについては観念するしかありません。管理は難しいこと、困難なことに取り組むのが仕事。そこんところは、しっかりと肝に銘じておきましょう。

 

看護師なら誰でも毎日、「管理(management)」をやっている

 

でもね、ちょっと考え方を変えてみると、それって「看護過程」と一緒じゃないですか。確かに対象は違います。看護過程の対象は「患者」ですが、看護管理の対象は「組織」です。でも、どちらも困難なこと(Something difficult)を解決するために、データをとり、分析し、なんとかうまくやりくりする、という点では同じだと思うんです。

 

「でも、わたし看護過程もまったく勉強していないし。学生の頃に教科書開いたっきりだから、同じだっていわれてもピンとこないよ」という人もいそうです。

 

でもね、臨床で働いてさえいれば、ほとんどの看護師さんは日々の実践のなかで、看護過程を展開しているんです。気づかないだけで。なぜ気づかないかというと、それはほとんど瞬時に、無意識のうちに行っているから。

 

たとえば、朝のラウンドの時、環境整備しながらベッドサイドに行くと、もうその瞬間からカンゴカテイは始まっています。バイタルサインを確認しているときも、フォーカスアセスメントしているかもしれないんです。ん? それってどういうこと? という人のために、少し看護過程についておさらいしてみましょう。

 

「看護過程」とは、何かしら問題を生じている患者さんに対し、どうケアを提供していくかについてのプロセスと、それに伴う考え方のことです。はじめに、何が問題となっているのかを情報収集します。そこから、さらに「特にここ!」というポイントに問題をしぼりこんでいくのがフォーカスアセスメント。そして、患者さんがどうなることが幸せなのか考えて、患者目標を設定します。

 

そして、その目標に到達するために、どのように日々の看護を展開していけばよいのか、看護計画を立て、実践し、それで患者さんがどうなったのか評価し、目標に対してまた新たな再計画を立て、また実践。最終的には、退院し、看護サマリーを通して外来へ継続看護を引き継ぐまで、そのプロセスを繰り返す。こういう一連のプロセスが、看護過程です。

 

こうやってあらためて見直してみると、カンゴカテイって臨床でしっかりと仕事をしている皆さんにとっては、当たり前の日常じゃないでしょうか。単に機械のように情報を集めるのではなく、患者さんの訴えや症状にフォーカスして、なんらかの判断をくだすために、情報を集め、考える。師長になるくらい経験を積んだ皆さんは、きっとそうやって看護を行ってきたことと思います。これって文字通り、管理(management)のプロセスなんですよね。

 

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組織だって生き物だ

 

こういうことを日々無意識のうちに続けている私たち看護師は、物事を客観的に捉えることに非常に慣れている「はず」です。患者の訴えであるS(subject;主観)データを得たときには、必ずO(Object客観)データで裏づけして判断します。

 

たとえば「眠れない」という患者に対して、「本当に眠れていないのかな?」という疑問をもつことがあったとします。その疑問から看護記録を調べてみると、夜間のラウンド中の記録に「鼾あり、睡眠中」の記載を見つけます。そこから、「本当は眠れているのだけれど、本人の主観として十分な睡眠ができていないのかもしれない」という推論にいたります。

 

このように、主観と客観、両面から現状をしっかりと検討してから看護行動を起こす。こういう看護過程の理論に基づいた科学的看護を日々行っている看護師にとって、看護管理なんて、本来へっちゃらのはずなんです。対象が「患者」から「組織」に変わっても、組織だって「生き物」です。その生き物をなんとかマネジメントして、やりくりしていくのが看護管理だ、というふうに考えれば「看護管理、おそるるに足らず」です。 

 

次回は11月29日UP予定です。

 

中島先生への質問、感想は下記フォーム、もしくはツイッターハッシュタグ #kangokanri まで!

 

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