【第1話】密やかな愉しみ

【第1話】密やかな愉しみ

2010.10.20 update.

信田さよ子 (原宿カウンセリングセンター所長)

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。
著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『母が重くてたまらない』(春秋社)など多数。最新著に『ふりまわされない』(ダイヤモンド社)、『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ、理論社)がある。

 カウンセラーの嘉子は、東京の中心地で開業している。

たまの休日も講演やシンポジウムなどで数か月先まで埋まっている売れっ子だ。

そんな元気印のポスカン(ポスト還暦)女性だが、

あるとき心臓に違和感を覚え、検査入院することになってしまった。

百戦錬磨のベテランカウンセラーが病室で見たものは……。
 

 

しわになった一万円札

 5時半に最後のクライエントのカウンセリングが終わった。それほど疲れを感じないのは、体力がついたせいなのか、それとも疲労を感じる脳の中枢が還暦を過ぎて退化したせいなのだろうか。

 部屋を出るクライエントの後をついて、受付の窓口に行く。そこには事務長がでんと控えている。カウンセリング終了後はここで料金を支払ってもらい、必要なら次回の予約をとることになる。カウンセラーとして30年以上も働いている嘉子は、事務長にまかせずに、自分でクライエントから料金を受け取ることを原則としている。

 明るい声でクライエントのシンヤさんに言った。

「次回までの宿題、忘れずにね」

 もちろん笑顔も忘れない。どんなに疲れていても、どんなにつらいことがあったとしても、その笑顔は絶やしてはならない。これがプロとアマの違いなんだから、と嘉子はいつも自分に言い聞かせてきた。

 たぶん、アルバイトのお金を貯めたものだろう。31歳のシンヤさんは上着のポケットから銀行のATMに備え付けられてある紙袋を取り出した。袋がしわになっているせいで、その中に1枚だけ入っている一万円札を取り出すのにひどく手間取っていたが、ようやく革製の現金受け渡し用の皿に、取り出したばかりのお札をそっと載せた。

 嘉子はいつも不思議に思う。多くのクライエントはなぜおずおずとお金を出すのだろう。お金をもらうほうがへりくだるはずなのに、カウンセリングを受けたクライエントのほうが腰を折るようにしてお金を払う。まるで「どうもすみません、お願いですからお金を受け取っていただけますか?」とでも言うように。

 嘉子はおもむろに両手を出して、皿ごと一万円札を受け取った。

「ありがとうございました!」

 はっきりとお礼を言って、丁寧に頭を下げる。

 

私だけの悦び

 アメリカやヨーロッパではもっと堂々としているのだろうなあ。カウンセラーは正当な対価としてお金をもらうのだし、クライエントはそのお金でカウンセラーを1時間独占するという契約が徹底しているはずだから。クライエントから窓口でお金をもらうたびに、毎回嘉子は想像した。

 それにしても、だ。あの精神科医たちはいったい何なんだろう。患者からこうやって直接お札をもらったことがないから、あんなに尊大で無神経な態度をとるんじゃないだろうか……。

 思わず靴のかかとで床を蹴ったところで我に返った。

 いけない、いけない。精神科医にやつあたりしたって意味がない。血圧が上がるだけ損するのは自分なのだ。クールダウンしながら、嘉子はロッカーの扉を開け、帰り支度をはじめた。

 狭いスタッフルームでは、同僚たちがいつものように三々五々話し合っている。女性だけの職場だからあけっぴろげだ。もうすぐ6時だというのに、クライエントについての打ち合わせや苦情などが飛び交っている。話しながら同時進行で、どっさり積まれたクライエントからのいただきもののチョコやおせんべいを食べている。

 横目でそんな光景を見ながら、嘉子はもう上の空である。

――みなさんご熱心ですこと、わたくしは一足先に失礼いたします、だってこれからうんと楽しいことをするのですから。

 聞こえないようにつぶやいたあとで、大きな声で挨拶した。

「おつかれさま〜、お先に〜」

 嘉子は上着を羽織りながらかろやかにドアを開け、風のようにエレベーターに乗った。

これから、嘉子の唯一の楽しみである水泳とサウナが待っているのだ。

 

 

一念発起

 

 もともと歩くことも走ることも大嫌いな嘉子だった。まして水泳は筋金入りのカナヅチだった。ところが、還暦にもうすぐ手が届きそうになって、一念発起して水泳を一から習いはじめた。理由はいろいろだが、カナヅチのままでは往生できないような気がしたのだ。オリンピックの平泳ぎ決勝で北島康介が優勝した瞬間をテレビで見ながら、突然そう思った。

 それに水泳をはじめれば、「嘉子さん、偉いわねぇ、さすがよね」と褒めてくれるだろう人の顔がいくつも思い浮かんだ。そして何より、いつも「ママったら、運動音痴なんだから」とあきらめ顔で文句をいう娘の真衣に、今度こそ威張ってやれる、と思った。

 人前では元気だし、なにしろ話すことが職業なのでおしゃべり好きと思われているが、嘉子は暇があれば横になって本を読むことだけが趣味だ。まるで引きこもりのおばさんである。それがある日突然、水着を買い、ゴーグルを買い、写真入りの水泳読本を買ってきた。真衣は眼を丸くして言った。

「どうしたの? いったい何があったの?」

 それは驚嘆するというより、訝(いぶか)しむ目つきだった。

「何歳になっても水泳はできるっていうからね、目指せマスターズ!」

 勝ち誇ったように、嘉子は言った。

 

登場! 美人鬼コーチ

 水泳のプライベートレッスンのコーチは、すごい美人だった。最初に会ったときはモデルかと思い、ドキドキして目をみつめることもできなかった。おまけに見事なプロポーションで、毎回水着を換えてさっそうとプールに登場するのだ。

 そのジムは芸能人の会員も多いが、プールの脇に立つと、抜群に彼女は目立った。そんなコーチに付くのは、まぎれもなく不幸だ。おなかの出たおばさんが、美人の傍らで無様な水着姿を晒さなければならないのだから。

 でも嘉子にとってそんなことはどちらでもよかった。レッスンなんか受けなくても、プール脇のサンデッキに座ってずっと彼女の動きを見ているだけで十分だと思えたからだ。

 ところが彼女は、いざ水泳を教えはじめるとまるで鬼のように厳しかった。

「ぶくぶく〜、パッ」「ぶくぶく〜、パッ」

 プール中に響き渡るような大声で、息継ぎの練習をさせられた。その後も容赦なく、満足なフォームで手と足が動くまで何度も繰り返させられた。いったい私を何歳と思っているのだろうか。嘉子は手加減をしてもらうために、運転免許証を見せようかと思ったほどだ。

 コーチが眉を片方だけ吊り上げた表情は、美しいぶんだけ凄みがある。ときにはぞっとするほど恐しく、レッスンを受けた夜はふとんに入ってから瞼にその顔が浮かんできたこともあった。

 何度やってもバタ足の速度が上がらないときなど、コーチは眉を吊り上げながら叫んだ。「よ〜く見てから、真似をしてください!」

 そして、小麦色の長い足を蒸気機関車の車輪のように盛大に上下させながらお手本を示した。コーチの体はロケットのように進むのに、なぜか音は静かで、水も撥ねない。嘉子は天と地ほどの落差にひれ伏したくなった。

 

ご褒美にたゆたう

 真似をするつもりで緊張しながらバタ足を続けるのだが、進むどころか嘉子の体はみじめに沈んでいくのだった。ところが、衆人環視のなかで「はい、もう一度!」と厳しくダメ押しをされるのが、あるときから不思議といやではなくなった。

 頭がふらふらし、息は切れ、ぜいぜいと肩で息をしているのだから苦しいはずなのに、どこか気持ちよく感じられた。まるで頭蓋骨後頭部のふたがカパッと開き、そこから酸素が欠乏した脳に涼やかな風がスース―と吹き込んでくるような感覚だった。息切れしている自分に、もう十分やった、よくがんばった、という証を与えてくれるような気分が訪れた。

 最後の5分間だけは、いつもコーチは優しかった。

「はい、力を抜いて〜」

 言葉どおり仰向けになってコーチの手に身を任せると、ぽっかりと浮いた嘉子の背中を支えながらプールを往復させてくれる。クールダウンのためのサービスなのだが、まるで女神の手のひらでたゆたうかのようだ。薄目を開けてコーチの顔をそっと見上げると、すぐ近くに形のいい鼻の孔が見えた。

 鬼から女神へと両極のあいだを翻弄されながら、嘉子のプライベートレッスンの30分間は終わる。

 

 

 

(第1回了)

[次回は11月3日(水)UP予定です。乞うご期待。]

信田さよ子先生の著書

 

アディクションアプローチ もうひとつの家族援助論

nobuta_book1.jpgA5判・224ページ・1999年06月発行

定価 2,100円 (本体2,000円+税5%)

ISBN978-4-260-33002-2

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DVと虐待 「家族の暴力」に援助者ができること

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A5判・192ページ・2002年03月発行
定価 1,890円 (本体1,800円+税5%)
ISBN978-4-260-33183-8

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