かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

2025.12.19 update.
小川公代(おがわ・きみよ)
上智大学外国語学部教授。著書に、『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』『翔ぶ女たち』(以上講談社)、『世界文学をケアで読み解く』(朝日新聞出版)、『ケアの物語 フランケンシュタインからはじめる』(岩波新書)、『100分de名著 ブラム・ストーカー「ドラキュラ」』(NHK出版)など多数。最新刊に『ゆっくり歩く』(シリーズ ケアをひらく、医学書院)。
斎藤 環(さいとう・たまき)
精神科医。筑波大学名誉教授。つくばダイアローグハウス。主な著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『オープンダイアローグとは何か』(著訳、医学書院)、『心を病んだらいけないの?』(與那覇潤氏との共著、新潮選書、第19回小林秀雄賞)、『100分de名著 中井久夫スペシャル』(NHK出版)、『イルカと否定神学』(シリーズ ケアをひらく、医学書院)など多数。
向坂くじら(さきさか・くじら)
詩人、小説家。「国語教室ことぱ舎」(埼玉県桶川市)代表。著書に詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)、小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)、『踊れ、愛より痛いほうへ』(河出書房新社)、エッセイ集『ことぱの観察』(NHK出版)など。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。
永井玲衣(ながい・れい)
問いを深める哲学対話や、政治や社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」などでも活動。第17回「わたくし、つまり Nobody 賞」受賞。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)、『世界の適切な保存』(講談社)、『さみしくてごめん』(大和書房)、『これがそうなのか』(集英社、11月発行予定)。
星野概念(ほしの・がいねん)
精神科医として働くかたわら、執筆や音楽活動も行う。著書に、『ラブという薬』『自由というサプリ』(ともに、いとうせいこう氏との共著、リトルモア)、『ないようである、かもしれない』(ミシマ社)、『こころをそのまま感じられたら』(講談社)がある。対話や養生、人がのびのびとできることについて考えている。
牟田都子(むた・さとこ)
校正者。図書館員を経て出版社の校閲部に勤務、2018年より個人で書籍・雑誌の校正を行う。著書に『文にあたる』(亜紀書房)、『校正・校閲11の現場 こんなふうに読んでいる』(アノニマ・スタジオ)、共著に『本を贈る』(三輪舎)、『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)ほか。
白石正明(しらいし・まさあき)
編集者。中央法規出版を経て医学書院入社。雑誌『精神看護』や「シリーズ ケアをひらく」を創刊。同シリーズは現在50冊を数え、大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞、小林秀雄賞、大佛次郎論壇賞などの受賞作がある。シリーズ自体も毎日出版文化賞を受賞。2025年4月に『ケアと編集』(岩波新書)を上梓。
BaseCamp(ベースキャンプ)
東京都豊島区千川駅のすぐそばにある就労継続支援B型事業所。精神疾患などを抱えるメンバーが集い、自分たちの生活について語り合うことから創作や発信を行っている。通称べーきゃん。「誰かの苦労をみんなで劇や即興パフォーマンスに」「モヤモヤは儀式にして置いて帰ろう」「経験をダンスに」などを合い言葉に活動中。
政治家、会社経営者をはじめ、医療者、教員、タレント、果ては昨晩飲み屋で隣になったサラリーマンまで、「大切なのは対話、必要とされるのは対話力」のようなことを口にします。ならば世の中には、さぞ対話が溢れているのだろう......。
哲学研究者の永井玲衣さんは、第17回(池田晶子記念)「わたくし、つまりNobody賞」受賞記念講演「暴力に抗して」にて、こんなことをおっしゃっています。
対話という言葉はいま、世の中に歓迎されています。ですが、おそれられてもいます。対話が重要と言いながら、対話をしたがらない社会にわたしたちは生きています。
(https://www.nobody.or.jp/jushou/17_nagai/speech_1.htmlより引用)
わたしたちは対話が大切だと意気揚々と口にするのに、実際は対話することを恐れている。ああ、これは実感があります。普段生活していて、こころが癒されるような対話に出会うことはほとんどないし、今日は一日、ほぼ誰とも話をしていない。私たちが大切だと言う対話は、いったいどこにあるのだろうか。もしかすると対話は幻想......
ちょっと後ろ向きな感じで書き始めてしまいましたが、永井玲衣さんも出演された、代官山 蔦屋書店さん主催の1dayイベント「対話について対話する一日」(12月7日10:30~19:00)の参加レポートを綴っていきたいと思います。
イベントでは、計7つのプログラム(対談4本、会場参加型企画3本)が企画されていたのですが、それぞれが素晴らしい対話の空間として存在し、対話には斯くも多くの形があるということを知る機会となりました。そう、対話は存在します、さまざまな形で。
本イベントのナビゲーターは精神科医の星野概念さんと編集者の白石正明さんで、永井さんほかの出演者は、出演順に英文学者の小川公代さん、校正者の牟田都子さん、就労継続支援B型事業所BaseCampの皆さん、精神科医の斎藤環さん、詩人の向坂くじらさんです。
この豪華な面々が集まったイベントを、私のつたない筆でよきにレポートすることは不可能なように思うのですが、やるだけやってみます。もしよろしけば、お付き合いください。なお、レポートは【対談編】と【会場参加編】に分けて書かせていただきます。では、まずは【対談編】からどうぞ。
※本イベントのアーカイブを、下記にて販売中です。
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/51778-1600551215.html
先陣を切って登壇されたのは、星野概念さんと白石正明さん。これから、9時間に及ぶ長い旅路が始まるわけですが、お二人から、このマラソンイベントを理解する上で重要となることが2点示されたので、その紹介からレポートを始めます。
星野 「対話っていう言葉をいろいろなところで見かけるようになって、まあケアもですけれど。言葉が広まるのはとても重要だと思うんですが、言葉が広がって行くにあたり、広がり方がいろいろになり過ぎているっていうか......」
白石 「対話とかケアとか、誤解されている部分もあるんですが、べてるの家の人たちは、誤解されてなんぼだって言うんです。可能性があるということだから。それに誤解されたほうが儲かりますよって(笑)。
白石 「準備するとうまくしゃべれないので、なるべく準備をしないという準備をしてきました。けど9時間もつかな。」
星野 「大丈夫ですよ、だって対話の目的は対話を続けることだけですから。」
とのことです。
それでは、メインプログラムが始まります!
まずは小川公代さんと牟田都子さんの対談「『ゆっくり歩く』についてゆっくり話す」です。
突然ですが、シテとワキという言葉をご存じでしょうか? もちろん知ってますという方もいらっしゃると思いますが、これらは能における出演者の役割を表す言葉です。シテは「仕手」または「為手」と書き、主役つまり語りの主体のこと指し、ワキはシテが話す語りの聞き手を指します。脇役という言葉の語源でもあります。
もう少し詳しく言うと、シテは面をつけていて生身の人ではないという演出がされています。死んでしまったけれど、無念の思いが残っていて成仏できずいる人(お化け)で、誰かに話を聞いて欲しいと願っている存在です。
一方のワキは、シテの無念を聞き、受け止めて成仏させる役目を担います。空に向かって無念を呟いているだけではシテは成仏できず、聞き手であるワキの存在があって初めて、思いを遂げることができるという構図です。
さて、小川さんと牟田さんの対談ですが、どこかこのシテとワキの関係を思わせる雰囲気がありました。メインの話題が、小川さんのご著書『ゆっくり歩く』についてでしたので、シテは小川さんで、ワキは牟田さんですね。
小川さんが語ったのはこの世への無念でなく、難病を患われているお母さんとの生活における苦労と苦悩(ロイヤルホストでの卵サッカー、電話での遠距離介護など)ですが、苦労・苦悩は牟田さんに話されているうちに、意味のある経験へと昇華され、小川さんの顔には次第に笑みが生まれ、いつしか「アントニオ猪木はすごい!」「オープンダイアローグよ、ありがとう!」と言いながら、牟田さんと二人で笑い合っています。苦労と苦悩は、無事に成仏しました、といったところでしょうか。
そして、牟田さんのワキぶりですが、さすが校正者のそれといった感じで、次から次へと小川さんの口から繰り出される言葉たちをいったん受け止めたのち、ラッピングをして小川さんにやさしく返したり、不意に客さんに渡したり、あるいはそっと空に戻してみたり。いろいろお持ちだなあ、そんな印象です。
アーカイブを聴いていただくとわかるのですが、小川さんが関西弁で発する言葉の量とスピードは相当なものなので、それを受けとめる牟田さんの技量(というのかな?)には、感心しきりでした。
以上、小川公代さんと牟田都子さんの対談を駆け足で紹介させていただきました。互いを尊敬し合うお二人の、何とも味わい深い対話でありました。
よーお、ぽん!
またまた突然ですが、相撲はお好きですか? 1936年に来日し、大相撲を観戦した相撲好きの詩人ジャン・コクトーは、相撲の立ち合いを見て、「バランスの奇跡だ!」と叫んだそうです。
普段、なんとなく見ている立ち合いも、奇跡的だと言われると確かにそうだなと思います。相手より先に踏み込んで相手にぶつかればそれだけ有利を得るはずなのに、そうはせずに阿吽の呼吸でもって見事なバランスを作り中央でぶつかり合う。
さて、3つ目の対談プログラムは、永井玲衣さんと斎藤環さんの「なぜ対話なのか」です。お二人で話をするのは今日が初めてということもあり、対談開始前の会場は、やや張り詰めた空気が流れ、両雄の対決を静かに待つという感じです。繰り出されるのは、強烈な張り手か、はたまた豪快な上手投げか。
時間です。お二人支度部屋を出て、土俵、ではなくステージに上がりました。お客さん、スタッフ共々、開始の第一声を、固唾を飲んで見守ります。
斎藤 「どうも、○○○○○○○○。」
永井 「こんにちは、□□□□□□□□□。」
斎藤 「永井さんは、○○○○○○○○○○○○ですか?」
永井 「いえいえ、□□□□□□□□□です。」
斎藤 「そうなんだ、わっはっはっは」
永井 「へっへっへ」
両者、立ち合いました! 予想に反し、何だかとっても和やかです(笑)
※伏字の部分はアーカイブでご確認ください。
見事な立ち合いのあとは、それぞれのメインフィールドである「オープンダイアローグ」と「哲学対話」の共通するところ、違うところを基点に話が弾みます。対話実践を生業とされているお二人ということもあって、とても流暢に対談は進むのですが、にわかに緊張が立ち上がることがあります。そう、途中途中に小さな立ち合いが入るのです。
コロナ禍ではどのように対話をしていたかの流れで、
斎藤 「オンラインと対面で何が違いますかね?」
とか、
ある歌手(中村佳穂)の歌を聴いてぼろぼろ泣いたという話題から、
永井 「対話において、何だか泣けるということありますよね? それについてどのように理解しますか?」
言葉だけだと上手く伝わらないのですが、姿勢を正して思わず蹲踞(そんきょ)してしまう、そんな投げかけが、ちょこちょこ出されるんです。投げかけては立ち合い、もみ合って一段落すると、また立ち合うみたいな。
お二人の対話は、番付も、勝負ありも存在しない真剣勝負の相撲の如し。そんな感じでまとめさせていただければと思います。
詩人、そして詩の朗読パフォーマーでありながら、小説を書き、エッセイも書き、はたまた塾の経営者であり塾の先生でもある、そんな向坂くじらさんと、精神科医で、ミュージシャンでありながら文章も書き、ポッドキャストのパーソナリティであり、幼少の頃に相撲の才能を見出された、という星野概念さんが、この日最後の対談プログラムに満を持して登場です。
ーー対話とはバラエティVarietyである。
お二人の対談から見えた対話の形は、そうバラエティです。対話に使われるツールは何も会話言語に限られるわけではありません。まさに歌がそうですし、向坂さんは表情、身振り手振りも使って星野さんに迫り、星野さんは独特の緩衝力でもって、向坂さんのエネルギーを平らに慣らしていきます。
で、よく聴いていると、二人の会話はかみ合っているようでかみ合っていない。一方で、かみ合っていないようで実はかみ合っている。
でも、途中から、話のかみ合いのことはどうでもよくなり、この対話の時間が長く続けばいいな、そんなふうに思うようになりました。イベント開始からすでに6時間以上が経過しているのにもかかわらず。きっと会場の皆さんもそうであったかと。
これはおそらくバラエティの力によるものなのだろう、そう思いました。お二人のキャラクターのバラエティが対話に変化をもたらし、対話の場を膨張させ続けていました。バラエティは場を変化させ、そして場を存続させる。
余談ですが、看護師のフローレンス・ナイチンゲールは著書『看護覚え書き』の「変化」の章で、患者に変化(回復)をもたらす一つの手段にVarietyがあると言っています。(へー、そうなんだー。)
そうそう、写真にもある通り、実際に星野さんがギターの弾き語りを行う場面もありました。果たしてそのとき、対談のタイトルのように概念さんは困っていたのか否か。それは、、、。ごめんなさい、アーカイブで(笑)。
以上、4つの対話について、それぞれの形に着目して報告させていただきました。われながら無理くりだなあと感じることばかりでしたが、途中でやめることなく、何とか書き切ることができました。
そういえば、星野さんが冒頭でこんなことをおっしゃっていました。
ーー大丈夫ですよ、だって対話の目的は対話を続けることだけですから。
では、レポートの目的はレポートを書き続けることだけということで、内容は不問に付しましょう。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。