かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2022.9.22 update.
2019年に、43歳で若年性認知症の診断を受ける。自閉スペクトラム症のある長男と、夫との3人暮らし。自身が診断された当時に強く感じた「当事者に会いたい」という思いは、ほかの認知症当事者も共通して持つものだと知ったことから、認知症当事者としての発信活動とピアサポート活動に力を入れている。活動を通して、自身もまたほかの当事者から「チカラ」をもらっている。
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「おれんじドア」は、認知症当事者による、認知症当事者とご家族のための相談窓口です。
JR八王子駅近にある市の施設で月1回開催される「おれんじドアはちおうじ」。そこで起こるエピソードや運営のあれこれを、若年性認知症当事者スタッフであるわたし、さとうみきの目線でお届けします。なお、本連載に登場するスタッフ以外の方々は、個人が特定されないようにお名前やご年齢等を改変しています。
この日はあいにくの雨のお天気。
認知症の診断を受けて3年が経った、70代の女性がお1人で来てくれました。
何気ない会話の中で私が自己紹介をすると、「とてもお元気そう!」と素敵な笑顔。
最初は、雨の中、会場までどんな交通手段を使ってきたかなどの話題から始まりました。
やがて不安が語られ、お互いの「もの忘れあるある話」になり、安心感が生まれ、一緒に笑い声。その場が和やかな空気に包まれました。
だんだんと心を開いてくれているかな、と感じ始めた時でした。
女性がかばんの中をゴソゴソと探り、何かを取り出します。
それは、丁寧に折り畳まれた書類の数々でした。
「わたしは大きな病院で診断を受けたのです。その時、先生から『3年後には何も分からなくなってしまいます』と言われました。でも3年が経って、もの忘れはあるけれど、さほど進行していないことが逆に不安になってしまって......。『進行してないけれどいいのかしら? 私、大丈夫?』と思うようになったのです」
思いもよらないご相談に、共感の想いで胸が締め付けられました。
私も講演会などに出ると,皆さんが励まそうとしてくれるのか、「全然、認知症らしく見えないから大丈夫」「誤診じゃないの?」「うちの人とは違って進行してないね」と声をかけられることがあります。
そんな言葉を聞くたびに、「私はもしかしたら誤診では?」「進行すれば、私の話も理解されるのか......」という思いが頭をよぎりました。
あまりにそう言われるので、あらためて検査入院もしました。
その時は、もしかしたら「認知症ではありません」という言葉が聞けるのではないかという期待と、「認知症でなかったら、今までの活動はどうお詫びしたらいいのだろう......」という複雑な思いで診断を待ちました。そして3度目の「若年性認知症で間違いありません」という結果を聞いた時の気持ちは、言い表すことができません。
そんな私の思いと女性の気持ちが重なったかのように感じて、胸が痛くなりました。
「3年後には何も分からなくなる」。そう医師に言われてから3年間、どんな思いで今まで過ごされていたのでしょうか。
実は私はこの日は体調が優れなかったのですが、その女性の言葉を聞いて、一気に自分の中で何かが目覚めるようでした。
「それはつらかったですね。3年の間に、どなたかに気持ちをご相談できましたか?」
「離れて暮らす子どもにも伝えられなかったのです」
女性は涙ぐみ、ハンカチで涙をぬぐっていました。
彼女は、「進行しない自分」が心配になり、おれんじドアはちおうじに行けば、自分と同じように認知症の診断を受けた人の様子を聞いたり、診断を受けた時の話ができたりすると思って足を運んでくれたのでしょう。
私は、自分が診断を受けた直後に感じたことをお話ししました。
当時は認知症のイメージが今よりもよくなかったことから、インターネットで検索して見つかる情報はとてもつらいものだったこと。
認知症にはたくさんの種類があり、個人差があるため、人によっては進行してしまうこと。しかし現在では、たくさんの方が、認知症という診断を受けた後も生き生きと生活していること。
どんな病気にも初期の状態があり、認知症も同じように、いきなり重度にはならないこと。
そして、今、私の目の前にいる女性は、とても笑顔が素敵であることをお伝えしました。
「その笑顔の裏には、進行しないご自身について悩み、笑顔ではない時間もきっとあったことでしょう。それでも、認知症には個人差があり、その個人差こそが大切だと私は思います。何より今日、この雨の中、足を運んでくれたことが私はうれしいです」
そんなふうにお話しすると、女性は「不安」という憑き物がストンと落ちたような表情になり、丁寧に畳まれた書類を広げて見せてくれました。
それは、病院でもらったらしい検査結果の用紙でした。
その裏には、びっしりと、彼女が書き記したであろう不安の言葉が並んでいました。
私はその文字が目に入りましたが、話題にはしませんでした。
なぜならば、その時目の前にいた彼女は、同じ診断を受けた者同士の会話や、ファシリテーターの助言などを通して、安心感あふれる表情をしていたからです。
女性は最後に、「そうよね。個人差はありますよね」と言いました。その瞬間、折り目のついた検査結果は、彼女にとってただの「記録」になったように見えました。
女性は、来た時よりもさらに素敵な笑顔と軽やかな様子でおれんじドアを後にしました。お見送りする私が「いつでもまたいらしてくださいね」と声をかけると、ちょっと照れながら小さく手を振ってくれました。帰り道では、きっと軽やかに、雨の日のステップを踏んで歩いているのではないでしょうか。そう感じられる、上品で素敵な女性でした。