かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2022.3.10 update.
2019年に、43歳で若年性認知症の診断を受ける。自閉スペクトラム症のある長男、夫との3人暮らし。自身が診断された当時に強く感じた「当事者に会いたい」という思いは、ほかの認知症当事者も共通して持つものだと知ったことから、認知症当事者としての発信活動とピアサポート活動に力を入れている。活動を通して、自身もまたほかの当事者から「チカラ」をもらっている。
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はじめまして。わたしは、2019年1月に43歳で若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けた、さとうみきと申します。
認知症と診断されるきっかけは、2018年に、若年性認知症のある主人公を描いた連続テレビドラマを観たことでした。回を重ねるごとに、テレビの中の主人公と自分の姿が重なりました。
インターネットやお店で同じ商品を繰り返し買ってしまう。
修理などのアポイントを取って、当日訪ねて来られたとき、以前だったら「あ、あのとき電話で約束したのにスケジュール帳に書き忘れた」といったように思い出されたことが、全く思い出されない。
一歩外に出て、挨拶をしてくれたご近所のお子さんの名前が思い出せない。
お買い物中に見知らぬ人に声をかけられて、会話から、きっと息子と同じ学校に通うお子さんの保護者なんだろうけど...。
頭の中から、記憶がすっぽりと消えている。
そんなことが重なりました。
最初は、疲れているのか、それとも更年期? などと考えました。まさか自分が「認知症」であるとは想像すらしませんでした。
しかし、テレビドラマの出来事に重なる、何とも言えない感覚。心配になりゴロンと横になりながら、スマートフォン片手に「もの忘れ外来」のある病院やクリニックを探しました。医師をしている夫にも相談し、夫の知人が院長を務める近所のメモリークリニックを受診したところ、若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けました。
わが家は、夫と息子とわたしの3人家族。
ひとり息子は2歳で、自閉スペクトラム症という診断を受けています。多忙な夫を支えながら、発達障害のある子どもを相手に初めての子育て。わたしは疲弊し、入退院を繰り返す生活からなかなか抜け出せなかった時期もありました。
そんな息子もがんばり、地に足を付けてしっかりと成長すると共に、わたしの体調も回復してきました。これからは家族との時間をもっと楽しみたいと思っていた、そんな矢先の「若年性認知症」の診断だったのです。
当時は、認知症のイメージも、インターネットでの情報もネガティブなことばかりでした。
今度は「介護」という負担を夫とひとり息子に負わせてしまう申し訳なさでいっぱいで、診断を受けた瞬間、隣の席に座っていた夫に「ごめんなさい、ごめんなさい」と伝え、泣き崩れた記憶があります。
そんなわたしの膝をまるで、「大丈夫、大丈夫」と言うように、夫なりの精一杯のメッセージなのかポンポンとしてくれていたのが印象に残っています。
そんな絶望感しかなかったわたしも、認知症と診断を受け3年が経ち、少しずつ前を向いて進んでいます。
そのきっかけや、わたしが若年性認知症の当事者として果たしたいと思っている役割、大切にしていることなどをこの連載で少しずつお伝えできればと思います。
◉
「おれんじドア」との出会いは、わたしが認知症と診断を受けて間もないころでした。
「当事者の方にお会いしたい」
そんな気持ちから、仙台の若年性認知症の当事者である丹野智文さんとお会いしました。
そして、わたしと同じように診断を受けた方が、わたしと同じように「当事者と話がしたい」と思っていることを知ったのです。
丹野さんは、2017年に仙台で「おれんじドア」を始めました。認知症当事者が、認知症当事者や家族の相談にのる窓口です。その「おれんじドア」からのれん分けをしてもらうような形で、わたしのスタイルで「おれんじドアはちおうじ」がスタートしました。
この連載では、そんな当事者同士の会話やエピソードなども綴りたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。