面白くないわけがない!(斎藤環氏『みんな水の中』書評)

面白くないわけがない!(斎藤環氏『みんな水の中』書評)

2021.6.17 update.

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斎藤環(さいとう・たまき)

精神科医。岩手県生まれ。
筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。
オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。

主な著書に『社会的ひきこもり』(PHP 新書)、『オープンダイアローグとは何か』(著訳、医学書院)、『開かれた対話と未来』(監訳、医学書院)ほか多数。『心を病んだらいけないの?』(與那覇潤氏との共著、新潮選書)で第19回小林秀雄賞を受賞。

最新作は、水谷緑氏との共著『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(医学書院)。

 

ずっと不思議だったのだ。発達障害当事者の書く本はなぜあれほど面白いのか。テンプル・グランディン、ドナ・ウィリアムズ、綾屋紗月、東田直樹らが教えてくれる彼らの世界は、いわば「別の世界線」をかいま見せてくれるようなスリルがある。その系譜に連なる新たな傑作が本書である。

 

著者はASD(自閉スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)の診断を受けている。彼は、先人の「当事者研究」を踏まえつつ、彼自身の世界のありようを詩のように、論文のように、小説のように記していく。著者自身による漫画やイラストも満載だ。複数の形式を用いることで、彼自身の世界が立体的に立ち上がる。

 

この奇妙なタイトルも、彼自身が常に感じている、水の中を漂っているような感覚に由来する。これに限らず、彼の感覚はわれわれの日常的な感覚とはかなり異質だ。彼らは何が起きるか予測がつかない「魔法の世界」に生きている。水への強い憧れと水に関連する青色を好み、周囲の世界との隔絶感、孤独感をしばしば抱いている。過集中による至高体験をしばしば経験するが、いわゆる「タイムスリップ現象」(トラウマのフラッシュバックに近い現象)にも苦しめられている。また性自認に関しては、男女いずれとも定めがたいXジェンダーが多いという。

 

本書でもっとも興味深いのは、こうした特異な世界の記述に際して、数多の文学作品が縦横に引用される点だ。従来の当事者研究が自然科学的な記述を目指すのに対して、横道は「文学および芸術と関係づける」ことを目指す。近年注目を集めている「中動態」概念も、発達障害者にとっては日常的なモードということになる。彼らはまるで、哲学の概念を感覚的に基礎づけ、観念の受肉を試みるかのようだ。

 

そう、私たち定型発達者(マジョリティー)にも、文学や芸術を通じて発達障害者の世界の一部を共有し、横道のいう「脳の多様性」に思いを馳せることができる。その時過去の傑作群は、まったく異なる相貌をもって立ち現れるだろう。これが面白くないわけがない。その意味で本書は批評の書だ。

 

作品や作家を診断するのが「病跡学」なら、ここにあるのは病跡学を反転させた「当事者批評」という新しい可能性の端緒なのだ。

(日本経済新聞2021年6月5日 書評欄より全文転載)

 

 

 

みんな水の中 イメージ

みんな水の中

脳の多様性とはこのことか!

ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)を診断された大学教員は、彼をとりまく世界の不思議を語りはじめた。

何もかもがゆらめき、ぼんやりとした水の中で《地獄行きのタイムマシン》に乗せられる。

その一方で「発達障害」の先人たちの研究を渉猟し、仲間と語り合い、翻訳に没頭する。

「そこまで書かなくても」と心配になる赤裸々な告白と、ちょっと乗り切れないユーモアの日々を活写した、かつてない当事者研究。

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