かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2021.2.17 update.
1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。
子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。
だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
2021年に上梓する予定の当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。
Twitterアカウント https://twitter.com/macoto_y
(注)本作品に登場する人物や問題は、特定の個人をモデルとしていません。
当事者研究会「銀河」にようこそ。まずは「銀河の掟」、つまりこの会のルールについて説明します。
まずは「自分自身で、共に」――参加者各自が自分の問題は自分で背負うということ、ただし同じように苦しんでいる仲間の力は遠慮せず借りましょうということ。
「傾聴」――周囲の人の話によく耳を傾けましょうということ。ほかの人の話が、自分の苦労へのヒントになることがよくあります。
「守秘義務」――このような自助グループは大概そうですが、ここで聞いた話は原則として他言無用、SNSなどに書きこむのも禁止ということ。とはいえ、一般的な情報や経験に基づいた知恵などは自由に御活用ください。
「入退室自由」――気分体調が悪くなることもあると思いますから、出入りはいつでも自由になさってください。
「自分にも他人にも優しく」――苦労を抱えていると、自分に厳しくなったり他人に厳しくなったりしやすいですが、優しさを大切にしましょうということ。
それから「他者を否定しない」「説教しない」「上から目線で助言しない」という3つの「ない」。よろしくお願いいたします。
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深刻ではありませんが、あります。元カノとの関係も恋愛依存の傾向があった気がします。
具体的なエピソードはありますか。話せる範囲で良いのですけれども。
たとえばLINEの返事をじーっとひたすら待って、授業中も心ここにあらずでした。未読スルーや既読スルーが怖くて。
それはSNS疲れをしますね。
SNSはどれも雰囲気が苦手なので、LINEを除いてやっていません。「いいね」を義務的にしている人も多くて、息苦しくなります。でも、御指摘のとおり、ぼく自身も誰かからの「いいね」を待ってしまってるんです。いわゆる承認欲求です。
私は藤井聡太くんのファンで、Twitterで将棋関係のアカウントをいろいろフォローしていますが、なかなか楽しいですよ。自分から「いいね」やリツイートはまったく押しません。
私も依存傾向が強かったのですが、年齢が上がるとマシになってきました。感受性が下がってきたのかな。
歳を取って鈍感さが増すのは、本当にありがたいことですよね。私も若いころは感じやすすぎました。
私は多重人格で疲れるから、依存しているものは多いです。Twitterをやってたときはやりすぎて、いわゆる「ツイ廃」でした。Instagramに夢中だったころは、当時話題だった「インスタ映え」のことばかり考えてましたね。
私にも恋愛依存の傾向があります。浮気されたら相手を殺してやりたいです。
レンツさんはさっきロマンチストだということを言っていましたよね。
はい。
「ソウルメイト」って分かりますか。
はい。
分からないかたもいると思うので一応説明いたしますと、宇宙のどこかに自分と魂を分けあった誰かがいる、親友や恋人がそうかもしれないと考える人が世の中にはたくさんいます。その求めている理想の相手をソウルメイトと言います。
レンツさんはずばり言うと、ソウルメイトを探してるんじゃないですか。
そっか、じゃあぼくは違うということになるんですね。
はい、でもこの会は特別な「属性」で説明できなくても、困っている人みんなに門戸を開いている会ですから、安心してください。なんとなくの生きづらさも、ちゃんとした苦労です。
さて、今日はどの研究テーマから始めましょうか。
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さあ野郎ども、覚悟はできたかい! 黙ってオレに付いて来い!
ちょっと待ってください。私は納得できないです。人間関係を構築できる具体的な方法が知りたいです。
形から入ってみるのはどうでしょうか。人との関わり方をうまく回せるようになることで、あとから人を信じやすくなるかもしれません。
コミュニケーション用のテンプレートをたくさん蓄えていくと良いですよ。
メールの冒頭で「いつも大変お世話になっております」と書くのと同じ要領ですね。人間関係を円滑に回すための決まり文句を、会話の場面で使っていくんです。
真面目に考えすぎないことも大事かもしれません。ぼく自身もそうなんですが、人間関係について重く考えすぎることで、身動きが取りにくくなってしまいます。
場所によっては表面的な人間関係でまったく問題ないと割りきると良いのかもしれません。たとえば職場では事務的な関係だけを築くようにして、人間関係の満足はSNSで満たすとか。
あとは余裕を持った生活を送ること。そうすることで、他人に対してもゆったりとした気分で接することができるようになります。そこから実りある人間関係が築けるようになるのかもしれない。
いま☆乃さんが言ったことなんですが、余裕を持った生活って、どうすればできるようになるんでしょうね
日常的な自分のメンテナンスに気をつけることではないでしょうか。よく食べて、よくお風呂に入って、よく寝る。
⇒[011]へ進んでください。
すみません、いまはレンツさんのお話に集中したいところですので、いましばらくお待ちくださいませ。
大学に入学したとき、しばらくのあいだ軟式野球部に入っていました。軟式を選んだのは、気楽に野球を楽しみたかったからです。それでも体育会系の人たちとあまり話が合わず、半年くらいでやめてしまったのですが、練習試合のときなんかは自分はここの一員なんだという感覚があって、気持ち良かったです。ふだんの走り込み、キャッチボール、ノック練習なども、充実感がありました。
野球をするのがお好きなんですね。
はい、見るのもやるのも好きです。でも同好会みたいな場所でダラダラやるのが好きです。体育会のガッチリした上下関係なんかには付いていけなくて、結局やめてしまいました。
Q&Aが始まりましたね。せっかくですし、刻一郎さんが先ほどおっしゃりたかったことも発言していただけるでしょうか。
はい、私は自分が所属していた宗教団体に対する嫌悪感に悩まされているのですが、入信していたときは、組織の一員だという実感が心地良かったです。自分たちは正義の側、真理の側なんだという安心感がありました。でもそれは独善的だったといまでは思います。いまはもっと健康的な形で居心地の良さを味わえる場所がないかと思っていますね。
私の友人に最近宗教を辞めた人がいるんですけど、彼女は教団のなかでの嫉妬や足の引っ張り合いが辛く、人間関係に疲れて教団に嫌気が差したということを言っていました。宗教団体といってもいろいろなんですね。
私の場合は幼いころから入信していて、教団と自分の世界とがほとんど一体になっていたというのが理由かもしれません。教団の内部の人を信じられなかったら、いったい何を信じられるんだと思っていました。
ちょっと待ってください。刻一郎さんの問題は、またのちほど、みんなで当事者研究しましょう。まずはレンツさんの話です。
発言できる範囲で構わないのですが、いちばん辛かった時期はいつですか。また、何か心に強く残っている出来事はありますか。
彼女と別れた時が人生MAXレベルに辛くて、野球もやめていたから、どうして良いのかなと。アルバイト先でもトラブルになったときには心が疲れてしまって、マンションの7階にある自宅のベランダから飛びおりようかどうかと悩みました。夜に長い時間、ベランダから地面を見つめていました。
失敗して植物状態で生きのびる、というような可能性もありますから、自殺を試みるのはリスクが大きすぎると思いますが、うまく人間関係が作れない悩みは変わりません。なかなか生きる気力が湧いてきません。
ここでひとりひとり、他者に対する不信感があるかどうか、自分の事例を言ってみても良いかもしれませんね。
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みなさん、ありがとうございます。実際やってみようと思うことをいろいろ聞くことができました。
日常のなかでいろいろ実験してみて、また困ったら、この会でみんなで話しあうようにしましょう。
はい、そうだと思います。ソウルメイトに憧れています。
そのお気持ちが、とてもよく分かります。私もロマンチストです。ただ私は、ソウルメイトは結果論ではないかなと思うようになりました。誰かと出会って、ものすごく大切だと思えたら、その人がソウルメイトだったということになるという仕組みです。
だから「フィーリングが合う」というくらいで友達付き合いや恋愛をすると、大きな期待がなく、落胆しなくても済むかもしれません。運よく関係が長続きしたら、この人はソウルメイトかも⁉︎と考えることにするんです。
私はソウルメイトっていう概念をいま初めて知ったんですけれど、ソウルメイトを探すんじゃなくて、誰かのソウルメイトになってあげればいいじゃないですか。
Q菜さんはソウルメイト的なものへの憧れはありますか。
いえ、もっと現実的に考えるほうです。
憧れがないからこそ、素晴らしい閃きが生まれたのかもしれませんね。レンツさんどうですか。フィーリングの会う友人や恋人と出会って、その人のソウルメイトになってあげてみては。
はい! 本当にそうですね。
ではまずは自己紹介ですね。
私のアノニマス・ネーム(自助グループで使う匿名用の名前)は馬琴(まこと)です。ASDの大学教員で、いまは休職しています。40代前半です。自助グループを運営していて、当事者研究を盛んにやっていますが、いつも何かに困っています。
玲(れい)と言います。特別支援学校で事務員をしていましたが、現在は退職しています。統合失調症を煩い、離婚も経験しましたが、現在は寛解しています。10年以上入院していたことがあります。最近は親の介護の問題で頭を悩ませていて、憂さ晴らし目的の買い物依存に走ってしまい、家計が大変な状況です。
では、いちばん前のかたからお願いしましょうか。
私のことは無ウ(むう)と呼んでください。ADHDと双極性障害を診断されています。20代のころはクローズ就労していたのですが、半年前に退職してしまいました。いまは就労継続支援のB型事業所で働きはじめたところです。
休職中の会社員で、7海(ななみ)といいます。アラサーです。私は解離性同一性障害の当事者です。自分の中に8人の人格がいますが、ひとり勝手に知り合いに変なLINEを送る子がいて、いつも迷惑しています。
ADHDと双極性障害が併発する人はとても多い、ASDと多重人格が併発する人もそれなりにいる、という印象があります。
それに対して、発達障害で統合失調症の人はあまり聞かない印象がありますね。
私はやんやんです。60代の嘱託社員なんですが、将来のことが不安です。というのも一人息子が10年以上も引きこもっています。将来は80-50問題(80代の親が50代の子どもを扶養せざるをえないという問題)の当事者になる予感がひしひしとしています。私自身は当事者と言えないかもしれませんが、家族や支援者も参加して構わない、という案内を拝見したものですから。
当事者の家族や支援者も歓迎しています。なぜなら、その人も家族や支援者として、苦労の当事者だからです。お越しくださり、ありがとうございます。
フリーターのQ菜(きゅうな)です。LGBTの問題も歓迎という説明を見たので来ました。バイセクシュアルで、いまは同性が好きなのですが、まわりに打ちあけられる人はいません。周りは好きな男の人の話で盛りあがることが多く、話を合わせるのに、とても神経を使ってしまいます。
私は本名の刻一郎(ときいちろう)でお願いします。会社員で、新興宗教の2世です。両親と兄弟はいまでも信仰を持っていますが、私は20代のときに脱会しました。いまは30代前半ですが、身についた宗教の教えがなかなか取れずに苦しい思いをしています。宗教関係のことを扱ってくれるのかどうか分かりませんでしたが、相談できるところが少なく、やってきました。
宗教関係の話題も歓迎しますよ。ちなみに特にどのようなことで困っていますか。
フラッシュバックのやわらげ方について知りたいです。
私は☆乃といいます。歳は、アラフィフです。普段は公務員をしています。私はアダルトチャイルドです。子どものころのことが原因で、愛着形成の不全が起きていると感じます。また、両親との関係をどうしたら良いのかということで、いつも悩んでいます。
村上春樹に「小確幸」、つまり「小さいけれども確かな幸せ」という言葉があります。台湾で流行語になったことがあり、現在では中国でも「すてきな日本的価値観」の例として、よく知られているようです。その「小さいけれども確かな幸せ」を集めて回るような生活はどうでしょうか。たとえば何かのサービスのポイントをちまちま収集する、短い休憩時間にスマホでゲームする時間を作る、公園に遊びに行って、四つ葉のクローバーを探す、などなど。
自分を幸せにして、余裕が生まれやすくするんですね。
ぼくは、親しくなりたい人には、自分がフレンドリーな人間だとアピールしやすい体制づくりをしています。メール、LINE、Twitter、Zoomなどのアプリで表示される自分のアイコンをユーモラスなものにしておくなど。
話下手でもうまく交流できるような仕掛けを作っておくわけですね。
私も人を信じられません。中学校のときに、親友と思っていた子に異性も同性も恋愛対象として気になると打ちあけたら、距離を置かれて、クラスでいじめを受けるようになりました。
私には友人がいません。夫と息子に対しても、心から信じているという態度で接していますが、表面だけそうしているということが伝わってしまっているかもしれません。
私は20代半ばから30代の半ばまで、ほとんど病院で過ごしました。絶望だらけの日々でしたが、だんだんと人を信じられるようになり、心が明るくなりました。
初めは、信頼できる福祉の援助職の人たちに出会えたことが大きかったです。その人たちから助言されて、自助グループや、この会のような当事者研究会に参加するようになって、世界が変わりました。
私は、人に理解されたいという気持ちがあまり分かりません。別々の人間なのだから、みんな理解しあえなくても、仕方がないと思います。
私たちはこういう会に来るくらいですから、平均よりも脆弱性が高いと思うのです。多くの人とは感じ方や考え方が異なっていて、少数派として孤立しやすいのかもしれません。人を信じたくてもなかなか信じられない現実は苦しいですよね。
うちの息子も人付き合いができたら、引きこもりにならなったと思います。
みなさんぼくよりも年上ですし、男の人も女の人もいますが、人間関係に苦労していることを具体的に聞いていて、不思議な安心感を抱きました。ぼくだけが苦しんでいるんじゃないんだと実感しました。
自助グループや当事者研究会の魅力ですね。同じような苦しみで、さまざまな人が繋がりあえるという。
この会の仲間なら信頼できないでしょうか、弱さを見せあえる集まりなんです。
こういう会で信頼できる人間関係を作って、それである程度の満足を得るということが、ひとつの解決にならないでしょうか。完全な解決にならなくても、気が楽になりませんか。
⇒気が楽になると感じる場合は[024]
へ進んでください。レンツと呼んでください。ぼくには、これといって病気や障害があるわけではありません。発達障害の検査を受けましたが、診断に至りませんでした。でも、なんとも言えない生きづらさがあります。ぼくも☆乃さんと同じくアダルトチルドレンというのに該当するかなと考えています。
ということは、子どものときに家庭環境が壊れていたということでしょうか。
割と普通の家庭だったかな、と思います。
「アダルトチルドレン」という語は、もとは、アルコール依存症者の家庭で子ども時代を過ごして、成長した人たちを意味しています。その後、アルコール依存症者を親に持つ子どもたちの心の問題が、広く機能不全家族で育った子どもたちの心の問題と共通することが分かってきて、いまでは「アダルトチルドレン」は、機能不全の家庭で子ども時代を過ごして成長した人たちを意味しているんです。
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物心ついたときには、そんな感じだった気がします。小学生のときに仲の良い友達がいて、お互いにいちばんの親友だと感じていました。相手が引っ越しをするときに、きみはぼくの一生の親友だということを一冊のノートをたっぷり使って表現して、プレゼントしました。でも夏休みに小さな旅行をしてそいつのところに遊びに行ったときには、相手にはもうぼく以上の親友ができていて、それにとても傷つきました。ぼくにとっては、彼は変わらずいちばんの親友だったから、裏切られたような気がしたんです。
その後、友人関係などで印象に残っている出来事なんかはありますか。
はい、中1の頃から高3まで仲良くしていた親友がいて、その人がぼくの人生ではいちばんの親友だったのですが、大学に入ってから世界が変わり、価値観のズレを感じるようになりました。違いを認めあって緩やかに交流すれば良いと思うのですが、なんとなくそれができなくなりました。いつのまにか連絡を取りあわなくなって、悶々としているところです。自己嫌悪のさなかです。
そんなにお若いんですから、人間関係なんかいくらでも修復できますよ。
そうかもしれません。でも連絡を取りなおすのが、なんとなく難しく感じてしまうんですよね。お互いの心は、ますます離れてしまってるんだろうなと思ってしまって。
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それはぜひ再開すると良いですよ。楽しい趣味に浸ってない結果として、人間関係のことでくよくよしてしまう、ということがあるかもしれません。
そうか、そういうことなんですね。たしかに私も最近、好きな音楽をあまり聴いていなかった気がします。
星野源とかあいみょんとか。
ふむふむ、大好きというわけではないのですね。いちばん好きなJポップや邦ロックのミュージシャンは?
OGRE YOU ASSHOLE。
それ、どんどん聴きましょう! 恥ずかしながら、知らないバンドではありましたが、きっと素晴らしい音楽を作るのだと思います! そしてカラオケでも自分の家でも歌いましょう。人間関係の悩みがどうでもよくなるくらい歌うんです。
さて、ほかのみなさんで何か発言なさりたいかたはいませんか。
いませんか。すみません、私が医学的な診断めいたことを口にしたのが良くなかったと思います。この場は病院やクリニックではありませんから、診断をおこなう場所ではありません。
では、また私から質問してもよろしいでしょうか。レンツさんには、何か特別な御趣味はありますか。
山登りとバードウォッチングがそうです。
では、ぜひしばらく趣味に没頭してみる、というのはどうでしょうか。徐々に、感じ方や考え方が変わっていくのかもしれません。そうなったら、しめたものです。人生そのものが動いていく。趣味に没頭してみて、何も変化がなかったら、またみんなでレンツさんの悩みについて当事者研究する、というのはどうでしょうか。
はい。
では、これでひとまず研究を終えましょうか。
当事者研究では、結びに「今度日常のなかでやってみようと思うこと」を設定するのが本式です。レンツさんは、今回の当事者研究を受けて、何か実験できそうなことはありますか。
自己表現がうまいと言われたのが意外で嬉しかったです。もっとそれを磨いてみたくなりました。
名案ですね! そうしたら人生が変わってくるし、いま悩んでいる問題も、解決しなくても解消されるかもしれません。
まさしく、そのとおり!
それではレンツさんの当事者研究を始めましょう。研究テーマは「漠然とした生きづらさ」ですね。
では、話したくないことは話さなくて良いですから、どのように生きづらいのか教えてください。
いままでなんとなく「普通」に生きてきました。いじめにあったり、仲間外れになったりしたことはありません。友達にもいつも恵まれていたのですが、なんとなく他者への不信感があります。いつも誰かが親友でしたが、本心を打ちあけることがなかなかできません。なんとなく遊んだりして、表面的な関係に終始してしまいます。大学になってから彼女ができて、半年くらい、なんとなく付きあっていたのですが、やはり心を開くことができず、別れてしまいました。これから就活をしますが、ずっとこんな感じなんだろうかと思うと不安になってきます。
いつごろからそんな悩みを持つようになったのでしょう?
いえ、そんなことはありません。
そうですか、レンツさん、あるいはほかの参加者の方でも良いですが、ここで何か追加したいお話などはありますか。
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高校の頃からだんだんそうなった気がします。ぼくは友達よりも少し心の成長が遅くて、まわりがどんどん変わっていくのについていけない気がしていました。クラスの女子を品定めしたり、セックスについて下品なことを言って騒いだりするのも苦手でした。少し潔癖な面があるのかもしれません。
身の回りの清潔さにも敏感なほうですか。
特別にキレイ好きということはないと思います。自宅の机の上なんかは片付いていないですし、1日に何度もシャワーを浴びたりすることはありません。でも、人間関係についてはロマンチックな幻想を抱くところがあります。彼女がいたときにも、この人はぼくには運命の人なのかどうなのか、と気になりました。小学生の女の子みたいな幻想があります。
アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存。あるいはセックス依存、過食、自傷行為。深刻でなくても嗜好品依存、買い物依存など。
はい。このまえの週末はとても楽しみましたよ。
そうですか、そうなんですね。楽しいことをしているのに、毎日を冴えなく感じるのは辛いですね。
なんとなく気まずい雰囲気だったので、この場をなごませようかなと思って。
なるほど! じゃあ私も。レリゴー♪レリゴーララ。
そう、ありのまま、ありのままで良いのですよ。人間関係は解決しなくてもいい、楽しいことでいっぱいになれば、問題は「解決」しなくても雲散霧消する、つまり「解消」する、溶けてなくなってしまうんです。
私は宗教に入信していたときに、教団内の人間関係を中心に生活が回っていましたから、人間関係で困った事はありませんでした。学校や職場の人たちとは表面的にだけ付きあえば良かったわけです。でも脱会してからは、何を信じて良いのか、誰を信じて良いのか判断がつかなくなりました。いまはまた自分が信じられるコミュニティをどこかに見つけなくてはと思っています。レンツさんの悩みが、私のものとどこか通じているのではないか、という気がして、発言させていただきました。
たしかに、通じているかもしれません。そして、この当事者研究のミーティングをそのような「自分が信じられるコミュニティ」として利用していただけると、嬉しいと思っています。
そういう期待があって、ここに来たことは確かです。
レンツさん、どうでしょうか。この会の仲間なら信頼できないでしょうか、弱さを見せあえる集まりですよ。
うーん。きょう初めて来たばかりなので、まだ信頼できるかどうかはわからないです。
この会には今後もお世話になりたいと思っています。でも日常生活でも人間関係を充実させていきたいです。毎日がじわじわと苦痛すぎるんです。
「じわじわと苦痛すぎる」! 良い表現ですね。
マッチングアプリなんかはどうですか。馬鹿にして言ってるんじゃないですよ。いろんな人とどんどん出会える状況を作るんです。実際ぼくもやっていますが、だいぶ救われました。
自分を助けるものなら、反社会的でない限り、なんでもやって良いのでは、と思います。レンツさん、どうでしょうか。
たしかに、よく考えると身近なところ以外で友だちや恋人を作ろうとしたことがないことに気がつきました。
レンツさんは、TwitterとかInstagramはなさっていますか。ネットで趣味の合う仲間を見つけられれば、リアルでの人間関係の悩みがやわらぐかもしれません。
山歩きとバードウォッチングです。
そういうことなら、Twitterでバードウォッチングについて呟いたり、撮影した鳥の写真をInstagramに投稿したりして、同好の士と繋がると良いかもしれませんね。
最近は山歩きとバードウォッチングはしていますか。
はい、ぜひ今後もこの場に助けられたいと思います。
ほかのかたがやっている当事者研究会も含めて、是非いろいろ参加してみてください。いくらでも成長できると思いますよ。
あの、レンツさんが話したことに対する感想を言ってみても、良いでしょうか。
他者を一方的に裁く、というようなものでないかぎり、歓迎しております。
ぼくがレンツさんくらい若いころは、もっと子どもっぽかったです。レンツさんの話ぶりを聞いていて、すごく立派だなと感じました。
本当にね。いまの若者は自己表現がヘタというニュースをテレビで見たけど、全然そうは感じなかった。
昔のほうが自己表現のヘタな若者が多かった気がしますね。盗んだバイクで走りだしたり、夜の校舎で窓ガラスを割ってまわったり。
あのころは学校生活がいまよりもずっと閉鎖的だったと思いますよ。軍隊経験を語りながら暴力を振るいまくる教師もいましたから。
とにかく日本の未来も暗いばかりではなさそうだ。
いないようですね。どうでしょうか、レンツさん。皆さんの発言をお聞きになった感想は。相手を褒めることは、評価の一種なので、場合によっては不快に感じるかもしれませんが、大丈夫だったでしょうか。
いえ、不快だなんて、とんでもありません。ありがたいと感じました。
すみません、私も是非みなさんのエピソードをお聞きしたいのですが、それをいたしますと、ホワイトボードの余白が足りなくなると思われます。ちょっと厳しいかなと......。
あっ、そうか、そうですよね。じゃ、ちょっとこれはやめておきましょうか。あとからそれぞれのかたの研究をやっていきますから、そのときに個別に聞いていけば良いですね。
レンツさん、どうでしょうか。この会の仲間なら信頼できないでしょうか、弱さを見せあえる集まりですよ。
うーん。きょう初めて来たばかりなので、まだ信頼できるかどうかはわからないです。
すみません、いまは確かに嬉しいのですが、こういう気持ちってすぐに消えると思うんです。
それでは、もっと皆さんの声をいろいろ聞いてみましょうか。
どなたか、協力して発言してくださいませんか