第4回 質疑応答――会場のみなさんと

第4回 質疑応答――会場のみなさんと

2019.11.01 update.

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國分功一郎(こくぶん・こういちろう)

1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は哲学。

2017年4月に医学書院より刊行した『中動態の世界』で、第16回小林秀雄賞受賞。最新刊は『スピノザ「エチカ」 100分 de 名著』(NHK出版)。


斎藤 環(さいとう・たまき)  

1961年岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。

オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。

医学書院より『オープンダイアローグとは何か』のほか、最新刊として『開かれた対話と未来』(監訳)が出たばかり。

企画:NHKエデュケーショナル・秋満吉彦/

NHK文化センター青山教室

 

國分功一郎さんの示した「中動態」という概念と、斎藤環さんが近年紹介につとめる「オープンダイアローグ」――まったく出自の違うこの二つを同じ皿に載せると、何かが起こるようです。

そこで本サイトでは前掲特集の続きとして、今年8月に都内で行われたトークイベントからおふたりの発言を再構成し、4回に分けてご紹介します。今日はその最終回。

 

《中動態×オープンダイアローグ=欲望形成支援》目次

第1回 20分でわかる中動態――國分功一郎

第2回 オープンダイアローグの衝撃――斎藤環

第3回 討議――國分功一郎×斎藤環

第4回 質疑応答――会場のみなさんと

 

 

《中動態×オープンダイアローグ=欲望形成支援》

第4回 質疑応答――会場のみなさんと

 

 

Q1 素人でもできる?

 

会場(男性1)●僕の友達が統合失調症気味でして、「ここまでさんざん譲歩したけど、これ以上は譲れない」みたいなことを言うと、「傷つけられた」という感じで逆切れされたりします。こういうのは結局、専門のお医者さんに任せるべきなんでしょうか。もし「普通の人でもできることはこうですよ」というヒントがあれば教えてください。

 

一対一でやらず、主観的に語る

斎藤 まず議論しない、説得しない、尋問しない。これらはまさに能動・受動の言葉であって、相手を傷めつけることになるんですよね。その際、大事なことは「一対一でやらない」ということです。

 極論すれば、対話は二人では無理なんですよ。二者関係ってどうしても力関係が不均衡になりやすかったり、話が深まりすぎて過剰な自己開示になったりしやすいので、健全な対話をするには「n対n」の関係が必要なんです。理想的にはこちら側も複数いて、向こうも彼の代弁をしてくれそうな人がもう一人いてくれると非常にいいと思いますね。

 対応の仕方としては、「一般論は言わない」ということですね。何が正しいかとかはどうでもいいわけです。主観と主観の交換をするわけですよね。彼が主観的なことをわぁーっとしゃべる。それを聞いて、わかったことは「わかった」と言い、わからないことは「わからない」と言っていい。「それは違う」ではなく、「わからない」と言う。「聞いてみたけど、私はわからなかった」と。「よくわからないんだけど、興味があるからもうちょっとこのへんを教えてほしい」と深めていく。

 日本語で「話を聞く」というと、耳を傾けることと、言いなりになることの二つの意味があるので誤解されそうですけど、あくまでも耳を傾ける。だけど、同意はしなくていいんです。同意しないで「僕はそうじゃない考え方を持っています」と。I(アイ)メッセージと言いますけど、“私は”を主語にして言うと、一般論ではないから傷つきにくいということがあります。

 こんな感じで工夫していって、それで平和な対話ができるんでしたらいいですし、こじれるようなら専門家にという話になりますけど、まずは試してみる価値はあると思います。

 

複数という問題系

國分 一対一はこじれやすいというのは面白いですよね。僕は数の問題に非常に関心があるんです。

 最近、ずっとハンナ・アーレントに関心をもって彼女の著作を熱心に読んでいるんですが、彼女の思想の根幹にも数の問題があると思っています。アーレントは一と多を対立させて、一なる真理を扱う哲学と多なる人間達の営みとしての政治を対立的に捉えるんですが、彼女の議論の中に抜けているものがあって、それが二の問題なんです。

 実はこれも言語の問題なんです。英語やフランス語を勉強すると、単数形と複数形しかありませんね。一と多です。でも、ギリシア語にもありますし、現代のアラビア語にも残っていますが、二を著す変化形を持つ言語はたくさんあって、これを双数形と言うんです。二は一とも多とも区別されていて、特別な地位を与えられている。ずっと構想だけあるんですが、『中動態の世界』の次に『双数形の世界』って本を書こうかなと思っているんです

 

斎藤 ぜひぜひ。

 

國分 二だけを特別扱いするというのは感覚的にもよくわかるところがある。しかも斎藤さんによると、それはこじれやすい、と。

 

斎藤 すごく面白いですね。ちょっとだけ追加させてください。精神療法って、一対一が基本なんですよ。なぜかというと精神分析が一対一だからなんですよ。精神分析がなんで一対一かというと、カソリック文化の影響と言われています。告解室で司祭が信者の罪の告白を聞いて許しを与えるという形式に置き換えて、トラウマを聞いて癒しを与えるというように置き換えたのが精神分析なわけですね。

 この形式がずーっと続けられてきて、今でも精神療法というと、個人精神療法が当たり前になっている。これは独特の治療文化で、本当は偏っているんですよね。なぜかというと、私の考えでは一対一という二者関係に対等性はありえない。必ず権力関係がある。実は――この場に腐女子がいたら喜びそうなことをフロイトが言ってるんですが(笑)――無意識における関係というのはSとMしかない。攻めと受けですよ。これも対等な関係ではないですよね。二者関係は必然的に力関係をはらんでしまうので、それはすごく反治療的な契機になりやすい。あるいはフロイトが重視している「転移」という現象が起こってくる。それは二者関係で、しかも非対称的だからなんですよ。本当に対等だったら転移は起こらない。権力差があるからこそ起こってくるという問題です。

 精神分析家は、この転移は治療に使えると主張しますが、私はオープンダイアローグをはじめてから「転移はいらない」とはっきり考えています。対等性を担保するには、複数対複数しかないという発想にいま至っているわけです。そういう意味でも、今の双数形については、ぜひ書いていただきたいと思います。

 

國分 まだアイディアだけなんですけどね。あと、複数性について言うと、それに注目していたのはフェリックス・ガタリですね。彼は集団的な主体とか集団的アレンジメントに強い関心を示していましたが、当事者研究などはそれじゃないかと最近思うんです。

 

斎藤 みんなでやると、すごく中動態っぽくなるんじゃないかと思ってるんです。しかし、それこそ日本の政治システムが「御神輿(おみこし)は軽いほうがいい」みたいな御神輿論になりやすいじゃないですか。それで無責任の体系になりやすいですよね。つまり「こういう法律がなんとなくできました」みたいになりやすいのは、やっぱりコレクティブなロジックで展開していくからというものあるのではないかという気もします。

 

國分 治療現場の話を、容易に一般化するのは危険ということですよね。

 

 

Q2 病棟で何ができる?

 

会場(女性1)●「欲望形成支援」という考え方を知って、すごく感銘を受けました。しかしそれをいざ病棟で実践するとなると、具体的にどうしたらいいんだろうと。療養病棟だと10年以上入院されてたりとかして、もうどうしたらいいのかわからない。欲望形成のためには細やかなかかわりが必要かなと思うんですけど、精神科病院の人員配置がすごく少なくて、具合が悪い患者さんと介護が必要な患者さんに手がとられてしまっています。

 そういう状況のなかで、欲望形成支援とか、中動態的にかかわるというのを、具体的にどうしたらいいのか教えていただけたら助かります。

 

まずは安心・安全な空間を

國分 ありがとうございます。ただ、具体的にというのは僕もわからないのです。この言葉は言葉だけを吟味して生まれたものです。「意思決定支援」が多く語られているという現象を知って、その言葉しかないとそれが当たり前になってしまうから、それに取って代わる言葉が必要だと思って僕がつくり出したのが「欲望形成支援」という言葉なのです。概念だけを操作して出てきた概念と言ってもいいです。でも、これを実践されている方々は、この言葉を知らないだけで実際にはたくさんいらっしゃるでしょう。実践の中でこの言葉がヒントや道しるべになればよいなと思っているのですが。

 

斎藤 「欲望形成支援」という言葉を聞いて臨床の人たちがハッとした理由は、「意思決定しろ」って言われてできる人はほとんどいないからです。少なくとも初診段階で、「あなた何したいの?」って聞かれて答えられる人ほとんどいないという事実がある。大事なことはその手前だと。意思決定するためには、欲望をまずつくらなければならないと。

 もっと言えば精神医療の現場では、ニーズというのはどんどん変わるんです。これが手術だったら、「この腫瘍を取ってください」で、最初からニーズは最後まで一緒ですよね。しかしたとえば、ひきこもりだったら、最初のニーズは「働きたい」じゃないんですよ。最初のニーズは「俺に構うな」だったりする。治療を受け容れてからのニーズは「家族関係をよくしたい」、家族関係がよくなってきたら、今度は「家族以外の仲間が欲しい」とかね。マズローの五段階説みたいに、段階的に変わってくるんです。

 この変わりゆくニーズに合わせるのが医療の仕事なんですけども、内科モデルで考えるなら、最初に言ったニーズがすべてなんです。「あなた、このニーズで契約したでしょ」「だったら最後までこういう契約でいきますよ」という発想になりやすい。だから、最初のニーズにこだわってしまうと、その後のニーズはとらえきれないということになる。精神医療では「ニーズは変わるもの」というのが前提ですし、そもそもニーズがない状態からニーズを育むところまでが医療の仕事でもあるということを考える必要がある。そういうところにすごく響いたと思うんですよね。

 では具体的に、意思がない人をどうやって支援するか。「ない」っていうと語弊がありますけど、今までさんざん否定され続けてきた人が、いまさら「何がしたいんですか」と聞かれて答えようがないわけですよね。なので、そういう人にもう一回欲望を回復してもらうためには、まず安心と安全な環境をつくって、「自分の言いたいことは何を言ってもかまわない」という状況をつくるところから始めないといけない。だから、今のご質問に具体的なアドバイスで言うとすれば、まず「安心して自分の言いたいことが言える環境をつくってほしい」ですね。

 統合失調症の慢性期の人は、人格が荒廃して欠陥状態になっているとか言いますけれども、長いあいだ収容されてきて、欲望も否定され続けてくると、人間は欲望がなくなっちゃうんですよ。それこそ「常同行為を延々と繰り返すだけの廃人」に見えるわけですよ。見えるだけで、実は欲望が消えてないかもしれないのに。

 病棟生活で何十年もいれば当たり前ですよね、当たり前。アガンベンが書いているように、アウシュビッツの収容所に収容された一部の人が、それこそ「ムーゼルマン」と言われる廃人同様の人になってしまうのと同じメカニズムがはたらいているわけです。かつては、統合失調症のプロセスの一つで、「統合失調症は進行する病だから長く経過すると廃人になります」と言われてきたけれども、それはむしろ収容主義がもたらしたものかもしれないという中井久夫さんの指摘もあるわけですよね。私もまったく同感です。

 極論すれば、もし統合失調症の人が無人島に漂着したら、進行するどころか治ってしまうかもしれない(水と食料があればですが)とすら考えています。否定も批判も行動制限もされないわけですからね。

 だから仮に荒廃しているように見えても、欲望は回復ができると思っています。その際に大事なことは、まず安心安全の環境。でもすごく難しいと思います。なぜかというと、そういう病棟ではしばしば、なにか問題行動を起こすと保護室が待っている。そうなってくると、安心なんかできませんよね。だから何を言っても大丈夫という状況をつくることがまず大事なんですけど、そのためには「安易に隔離拘束はしない」ということを保障しないといけないということが必要だと思います。

 

尋問と非自発的同意

斎藤 それから、尋問しないこと。「どうしてほしいですか」とか、「何がしたいですか」とか、ついつい支援者が口にしがちな質問は、欲望がない状態の人にとっては“尋問”にしか聞こえない。そういう尋問で傷めつけないということが大事になってくると思います。

 医療の原則として、「いちばん痛いところには最初から触れない」ということがあるわけですから、周辺からこうだんだんと近づいていくアプローチを考える。となると、普通の、何気ないおしゃべりのほうがはるかに重要で、何気ないおしゃべりをいっぱいすることが欲望形成支援につながる。そういうふうに私は考えています。話すときりがないので一応このへんにしておきますけれども、参考になれば幸いです。

 

國分 あともう一つ、『中動態の世界』のなかで、「非自発的同意」という概念を出しています。たとえ同意していたとしても、別に自発的だったわけじゃないでしょということです。当たり前ですよね。でも、この単純なことが性犯罪等においては深刻な問題を引き起こします。「あなた、同意していたんでしょ。だからあなたが自発的にそうしたんでしょ」となってしまう。実はちょっと考えればわかるようなこんな簡単なことも概念化されていないんです。

 そして、この言葉を出すことで、「ならば、自発的同意はありうるんですか」という問いもまた生まれます。そこから「自発性とはなんだろうか、自分が自発性と思ってきたものはなんだったのだろうか」と問うことが大切なんです。「欲望形成支援」についても、この言葉を通じて「自分が意思決定支援と思っていたのはいったい何だったのだろうか」と問うていただけたらいいなと思います。

 

 

Q3 欲望形成支援とエンパワーメントは何が違う?

 

会場(女性2)●私も「欲望形成支援」という言葉が前回のシンポジウム詳細は『精神看護』2019年1月号のときにすごく印象深かったです。今まで私はエンパワーメントという言葉を頭に浮かべていたんですけれども……。そこで、欲望形成支援とエンパワーメントはどう違うのか。エンパワーメントじゃなくて欲望形成支援という言葉が出てきたというのは、つまり、エンパワーメントって、実は尋問とかをしてたのかなぁとか。そのあたりよくわからないので質問しました。

 

病理モデルとストレングスモデル

斎藤 一つ言えることは、オープンダイアローグというのは、いわゆる病理モデルじゃないんですね。医学の考え方には二つあって、今は支配的な病理モデルというのと、最近言われはじめたストレングスモデルです。病理モデルは、「この人は病気でこの部分が欠けているから、欠けたものを治療で補ってあげなきゃならない」という発想。これが一般的な医療の発想ですよね。診断を下して治療するっていうのは、その発想なわけです。診断というのは、「その人のおかしいところに名前をつける」ことですから。内科とか外科とかではそのモデルでずっと回ってきた。

 精神医療もそれでいけるかと思ったら、そうでもないことがわかってきたわけです。まず、バイオマーカー(検査でわかる身体的異常)がないので確定診断が難しい。発達障害なんて典型ですよね。すごくぶれがあります。それにぴったりの治療を探すのがまた一苦労で、内科的な病理モデルで回すとうまくいかないことがわかってくる。じゃ、どうするかというと、診断はするけれどもうそれはいったん脇に置いて、その人が持っているリソースとか、強みとかそういったものに働きかけていく。

 オープンダイアローグでは、診断名や症状で考えず、その人に問題があるとしても、それは困難な状況に対するまともな反応とまず考えます。つまり普通の困り事として、一緒に解決策を考えたりする。その人の健康な部分と対話しようとすることは、間接的なエンパワーメントになると考えています。それともちろん、その人が持っている人間関係を含めたリソースを活用しようとする。

 さっき私はコナトゥスの話をしましたけど(第3回参照)、これは自己愛ですね。自己愛を補強していくと自発性が生まれてくる。その自発性に基づいて、まさに欲望が形成されてくれば、あとは欲望につきしたがっていくだけで適切なコースが見えてくる。そのときに治療者は、「こっちに行きなさい」とか指図する必要はないんですよ。リカバリーというのはそういうことです。治療者にできることは、リカバリーのルートやペースを尊重することだけです。

 重要なのはdignity of riskとかright to failure、つまり失敗する権利とかリスクを冒す尊厳、要するにつまずいたり回り道をしたりしながら回復したって別にかまわない。その人が良くなりたいと思う気持ちを尊重していくかぎりは、失敗を通じて学んだりとか、成熟したりとか、そういうことを大事にしていきましょうと。

 病理モデルだと、「そっちに正解はないからこっち行きなさい」って「正しい指示」をしてしまう。でも、正しいことを言い過ぎると自発性が阻害されちゃうんです。これが治療のパラドックスで、正しいことも言いすぎると、質の高い治療にならないという限界がある。なので、その人が失敗する可能性を含みこんだうえで、半歩遅れてついていくぐらいの感じでサポートをするのがいちばんいいと私は考えています。

 

國分 欲望形成支援についてすごくたくさんの質問をいただいて、大変うれしく思っています。

 この言葉は熊谷晋一郎さんと対談していた際に思いついた言葉だったので、『中動態の世界』にも書いていません。今はこの言葉が一人歩きしていると感じていて、それを面白いと感じています。この言葉が一人歩きして見聞してきたものを僕は教えてもらいたい。つまり、みなさんがこの言葉を通じてお考えになったことをぜひお伝えいただきたいと思います。

 今日はありがとうございました。

 

←第3回はこちら

《中動態×オープンダイアローグ=欲望形成支援》了


 

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