かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2015.12.01 update.
日本赤十字広島看護大学、北海道医療大学大学院博士前期課程修了。浦河赤十字病院の精神科をはじめ外科病棟やICU病棟で働く。現在、東北福祉大学で精神看護学を教授。現象学や臨床哲学の面白さにハマり、ACT研究の傍ら、てつがくカフェ@せんだいのスタッフとして、また「東日本大震災を〈考える〉ナースの会」を自ら立ち上げ、毎月どこかで「てつがくカフェ」を開催するという日々をおくっている。最近はまっているのはアラブ文学。
2015年夏。震災後、はじめて被災地で開催された日本災害看護学会のワークショップで、看護師さんたちとともに、てつがくカフェ―震災と専門職を開催しました。災害看護に関心のある方が多く参加されるということもあり、専門性についてどこまで問うことができるのか、開始前は内心ドキドキしていました。
しかし、そんな不安はどこへやら、いざ始まってみると、看護師さんたちは思い思いの言葉で自らの専門性に対する悩みを率直に話し、対話し、気がつけばあっと言う間に時間が過ぎてしまいました。
今回の対話を通して驚いたのは、災害看護に関心の強い看護師さんたちですら、みずからの〈専門性〉に思い悩んでいる方が大勢いたという事実でした。しかも、この〈専門性〉という枠が自分/社会と様々な側面からの規制を受け、複雑に絡み合っているという状況がだんだんと見えてきました。1つひとつ振り返ってみましょう。
もっと自分は何かしなきゃいけないんじゃないか
震災後、理容師の仲間とともに陸前高田市に赴いたある看護師さんは、当時の心境についてこう話して下さいました。
「自分はちょっと足をマッサージしてさしあげたり、血圧を測って、ちょっとお話を聞いたりって、まだ中途半端なことしかできないままその日は帰ってきたんですけど…。今自分がしなければいけないのは何なのかなっていうのが分からないまま(中略)…もっと自分は何かしなきゃいけないんじゃないかなって、こう自分の中で落とし込めないままその日帰ってきたというのが、体験としてありました」
「中途半端」という言葉に、彼女の〈看護師〉として為すべき行為があるのではないかという不確かさが現れています。この看護師さんに、足をマッサージし、血圧を測定し、話をうかがってもなお、為すべき行為があるのではないかと思わせるものは一体何なのでしょう。このような思いは、被災地に赴いていない看護師さんたちの中にも見受けられました。例えば、青森から参加したある看護師さんは、周囲の看護師が被災地に赴くなか「自分は何もしていないんじゃないか」、「何もできていない」と強く思っていたそうです。そして、こうした思いは、「したい」という欲求レベルから「すべきである」という規範まで様々でした。
(日本災害看護学会第17回大会でのワークショップ―てつがくカフェ「震災と専門職」のファシリテーション・グラフィック)
どこまで看護できるの?
次に、社会からのイメージについて語って下さった方のお話を聴いてみましょう。
ある看護師さんは、今回の災害看護学会の会場に行く途中、乗車したタクシーの運転手さんにこう言われたといいます。
「災害看護学会? 今でもね、多くの人が自殺したりするらしいんだよ。あなたたちは、どこまで看護できるの?」
看護師さんは続けてこう話しはじめました。
「まぁ、ちょっと冗談交じりに言われたんですけど、なんかね、いや、もちろん何も答えられなかったなって。うーん、専門職、人としてっていうところもある、あまり職業として仕事、仕事としてやってきて私はいなくって、好きだからというか、やっているので、まあ周囲から、医療じゃない人たちの目から見た私たちの役割とか、自分の役割とか、求められるものとかっていうのは、うん、もっとなんかいろんな人と話していかないと分からないんだなあって…(中略)すごく本当に日々もやもやっとした中で、難しいなっていうふうに考えています」
タクシー運転手さんの〈看護〉として何が出来るのかという問いに対して、看護師さんは、看護=職業という立ち位置ではなく〈人として〉好きだからやっているという想いを語って下さいました。だからこそ、そのギャップに戸惑い、とっさに「何も答えられなかった」のでしょう。タクシー運転手さんのこの発言は、専門的知識と技能によって資格化された〈専門職〉に対する期待の表れとも言えます。
この看護師さんの「好きだから」という想いは、〈職業〉という枠組みを超えて人としての振る舞いとして落とし込まれているようです。てつがくカフェに参加して下さった看護師さんたちの発言の中に「看護師として」「人として」というキーワードが頻出するのは、こうした理由によるのでしょうか。
ともあれ、看護師さんの多くは、自らの欲求のみならず、こうした社会のイメージを感じ取りながら、〈看護〉の枠組み形作っていくのかもしれません。そして、この枠組みそのものが、看護師を専門職へと育て上げる強力な力でもあり、一方で〈負い目〉を生む土壌にも成りうるとも考えられるのではないでしょうか。
簡単に割り切れない
ここで、〈負い目〉を生むもうひとつの要因として、〈専門職〉以前のお話を少ししたいと思います。ここは、前回の「専門職」であることを裏付ける〈特徴的な要素〉として6つあげられていたうちの「利他(愛他)的なサービス」に関係してくるものです。
東日本大震災以降、全国の自治体や病院で、災害時の行動指針となるマニュアルを見直すという動きがありました。その多くは、原発災害にも対応できるようマニュアルを加筆したり、内容を再確認するというものです。そんな中、今後、M9.0クラスの巨大地震および10m級の津波の発生が予測されている四国のある病院では、今回の東日本大震災において医療専門職の多くが命を落としたという経緯を踏まえて、マニュアルに「1人でも多くの人を避難させるよう努力するが、自分の身に危険を感じたら避難すること。全ての患者が避難できなくても職員を責めてはならない」という一文を追加した1)といいます。この一文は、これまで患者の命を救うことが義務であった医療専門職に対して、自らの身の危険が及んだ場合は患者を残して避難することも在り得るということを予め皆で共有し、〈負い目〉によって苦しむスタッフを軽減させたいという意図がありました。しかしながら、スタッフの多くは「握られた手を振りほどいて行けるのか」、「自分を守ると判断するタイミングはいつなのか。簡単に割り切れない」と戸惑いの声があがったといいます。
このスタッフの反応は、目の前で助けを求めて苦しんでいる他者を振り切ってその場を立ち去ることが可能なのか、他のスタッフから非難されないと頭で理解していても、“人として”そのような振る舞いをとることが果たして可能なのかと問うています。このテーマは、ひょっとしたら〈専門職〉以前の話しにも見えますが、人の命に関与できる手段を持ち得ている〈専門職〉の場合、自らの役割を強く意識させられることになるので状況はさらに複雑です。いずれにせよ、この場合、目の前の具体的な(顔の見える)他者との〈関係性〉が発生します。この〈関係性〉とは、利他(愛他)的なサービスに関わるものです。
さらに厄介なのは、この〈関係性〉が構築できるという事実と〈よい看護師である〉という価値が結びついているということです。明治時代から現代までの教科書に記述された「よい看護師」の変遷を調査した小野2)によると、「思いやり」「優しさ」「正直」「忍耐」は“人との関係性”において看護師として必要な資質であるとされているといいます。〈専門職〉として〈よい看護師〉であろうと願えば、看護師は、さらに〈関係性〉を重視していくことになるかもしれません。そしてこの〈関係性〉は、看護師1人ひとりの〈専門性〉よりも“人間性”と結びつきやすいかもしれません。
こうした矛盾が、逆に看護師固有の〈負い目〉を生んでいるとしたら、どうでしょうか。
震災当時、福島県内の病院に勤務していたという看護師さんが、ワークショプで、こう発言していたのを思い出します。
「看護師は、支援者だけど被災者だったって、自分個人のことを思っても、患者さんには精いっぱいのこと、やるだけのことはやったと思うんですけど、看護職の仲間に…やっぱりすごく悩み、苦しんだ人たちに、自分はやっぱりきちっとした支援ができなかったって。で、今もそれをこう、今だってきっとそういう苦しみにいるんだと思うんですけど、まあそのことをやっぱりきちっと向き合ってないんじゃないかっていう、今現在もそういう思いがあります」
専門性を〈ほどく〉 この営みは、私たち看護職が築いてきた自らの〈看護〉をいったん解きほぐし、点検することに他ならないでしょう。そのためには、外から与えられた専門用語をいったん脇に置き、自らの経験を通して生まれた〈ことば〉を手掛かりに、対話を通し他者と共に考えていくしか道はありません。こうしたプロセスを経て、〈負い目〉は看護師個人が抱える問題から、私たちが共有すべき課題として立ち現われてくるでしょう。その時こそ、〈看護〉の新たな〈専門性〉が見えてくるのではないでしょうか。
文献
1)NHKスペシャル東日本大震災 救えなかった命~双葉病院 50人の死~,2012年12月8日放送.
2)小野美喜,小西恵美子,八尋道子,明治時代から現代までの教科書に記述された「よい看護師」の変遷,日本看護倫理学会誌,2(1),p15~22,2010.
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