最終回 戸惑う私の、白衣を手放せない研究

最終回 戸惑う私の、白衣を手放せない研究

2015.3.20 update.

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齋藤優紀(さいとう・ゆうき)

保健師。看護大学を卒業した2013年に札幌市の「なかまの杜クリニック」に勤務。
2014年4月より、釧路市の内科病院にて保健指導などにかかわる。
趣味は踊ること歌うこと、食べること。
最近「夫婦喧嘩の歌」をつくって夫に披露したら怒られた。夫婦漫才のネタを考えて夫に提案したらもっと怒られた。

 

 保健師として仕事をしていると、自分の「当事者研究的でなさ」にうんざりすることがよくあります。

 

 いきなりぶっちゃけてしまいましたが、白衣を着て仕事をしていると、当事者研究的なエッセンスが、まるで指先からこぼれ落ちていくような感覚を味わうことがあるのです。それは、もしかしたら単に私自身の生きづらさのためかもしれませんし、保健師としての経験年数が浅いが故の未熟さなのかもしれませんが……。

 

 

■レジェンド登場!

 

 先日、療養指導で糖尿病の経過の長い女性とお話しさせていただく機会がありました。糖尿病は慢性の病なので、病気とのつきあいが長くなるほどベテランの風格が出てくるのでしょうか。私がこっそり「レジェンド」と呼んでいるその方も、食事や生活に関して、若い医師や看護師では気軽に立ち入れない、独自の確固たる指標があるような印象を受けました。実のところ、このレジェンドは糖尿病という苦労に関して素晴らしい研究者だと思います。

 

「世の中で低GI食品(血糖値の上昇がゆっくりな食品)が有名になる前から、私はパスタが血糖値を上げにくいことを知っていたよ!」

 

 彼女は自信たっぷりにそう話します。パスタを食べると、決められたインスリン量では低血糖を起こすので、自分でインスリンの量を調節していたそうです。そんな彼女に、私は慢性疾患管理の光をみたような思いがしました。糖尿病という自分自身の苦労の専門家である彼女の“経験知”は、医療界の“専門知”より先に立っていたのかもしれないのです。

 

 

■白衣の側からはどう見える?

 

 しかし実はこのようなレジェンドでさえ、医療現場では解決されるべき“問題”と見られたり、トラブルの多い“困った人”として敬遠されたりします。あるいはそうせざるを得ないような居心地の悪さが、医療現場にはあるのです。……白衣を着ることによって私自身に何が起こっているのか、という話をしたほうがわかりやすいかもしれませんね。

 

 白衣を着るのは病院で働く専門家です。そして私は、まだまだひよっこではありますが、生活習慣病の専門家であり、健康づくりの専門家であると(あるいはそうなろうと試みていると)思っています。しかし、いったん白衣を着て専門家としての「責任」を引き受けてしまうと、物事を見る眼差しが変わってきます。

 

 白衣を着ている以上、健康づくりを応援することは、趣味でも暇潰しでもなく、私の“仕事”になります。具体的には、対象の健康上の問題を整理し、優先順位を決定し、解決にむけて1つひとつにアプローチしていく必要に迫られてきます。これまで積み上げられてきた医学・看護の専門知をまとうわけですから、レジェンドが見ているものと私が見ているものは、変わってきてしまうのも仕方ないことなのかもしれません。

 

 でもこういうときにこそ、当事者研究的なエッセンスが指先からこぼれ落ちていく感覚が生じてしまうわけです。現象に対する研究者という立ち位置でなく、問題を解決する必要に迫られた専門家としての立ち位置にいるとき、

①相手の苦労に降りていくこと、

②苦労を外在化すること、

③研究テーマを本人にお返しする苦労の再内在化、

のプロセスは総じてぎこちなくなってきます。

 

 自分を支える大切なものとして、白衣をギュッと握りしめた私に色濃く見えていたのは、むしろレジェンドの危うさだけでした。

 

 

■好きで嫌いな白衣

 

 当事者研究の理念の一つに「初心対等」というものがあります。研究的な対話に際しては――もしかしたら言葉を使う者同士は――、つねに初心者のように謙虚で対等であれということでしょう。たとえ経験知と専門知についてであっても、両者は情報として同価値に扱われる。これが研究的な対話のあり方です。

 

 ここで自分が白衣を着ていると――つまり専門家としての責任を負ってしまうと――矛盾が生じてきて、私はいつもそのことに戸惑います。白衣を握りしめているくせに、その着心地の悪さに戸惑うのばかりなのです。なんとなくその「対等でなさ」にアレルギーが出る。昇りたくない舞台に昇らされてしまったような、恥ずかしさと落ち着かなさがある……。

 

 結局のところ、私はそれでよいのだと思っています。これまでにお話した通り、当事者研究的な対話にも必ず白衣が必要なときがあるのです。特に生活習慣病の恐ろしさは、取り返しがつかない状態にならないと自覚症状が生じにくいところにあります。そういう意味で、療養に自分自身を過信しすぎる傾向のある相手に対して、また医師に相談なく処方を自己調節してしまう相手に対して、「大丈夫かな、心配だな……」と少しお節介な態度でかかわることも重要になってくるのかもしれません。大切なのは、自分自身がそういう、ある意味で偏った役割を担っていることを、きちんと知っていることなのでしょう。

 

 ……でもね、本当は白衣なんか着ずに、田舎のおばあちゃんみたいな安心感のある恰好をして待っていたら、食事や運動の話も、緊張せずに、より研究的にできるんじゃないかしら、なんて妄想する私でした。

(「指導から研究へ。――誤作動系保健師の「当事者研究」ズルズル実践録」

齋藤優紀 了)

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