「転換点にある精神科病院。目の前の課題にどう対応していくか」

「転換点にある精神科病院。目の前の課題にどう対応していくか」

2014.12.01 update.

「転換点にある精神科病院。目の前の課題にどう対応していくか」

(収録日2014年6月)

2014年6月、「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会とりまとめ」において精神科医療の将来像が示された。現場の医療者たちはこれをどのように受け止めているのだろうか。そしてどのように備えていこうとしているのだろうか。意見をいただいたなかから抜粋して紹介する。

 

【参加者】(発言順)

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吉川隆博 東海大学健康科学部看護学科(神奈川県)准教授

 

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畠山卓也 公益財団法人井之頭病院 看護科長/精神看護専門看護師(東京都)

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東美奈子 社会福祉法人ふあっと 相談支援専門員 (島根県)

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小野晴久 特定医療法人仁康会小泉病院 副院長(広島県)

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大歳明子 独立行政法人国立病院機構賀茂精神医療センター 精神保健福祉士(広島県) 

 

看護はどうすれば地域のイメージを作っていける?

 

吉川 今回の将来像を実現するために、精神病床を適正化し、将来的に不必要となる病床を減らす、という方向が明確に打ち出されました。医療の中心が地域にシフトしていく時、看護はどのように地域に入っていけばよいのでしょう。医師はこれまでもわりと、保健所の嘱託医や産業医、学校保健とかかわることがあり、地域と接点があると思いますし、精神保健福祉士も、比較的地域とのパイプやネットワークのなかに入っています。しかし看護師は、これだけ地域、地域と言われていても、訪問看護は別として、それ以外は地域に足を踏み出す方法がまだイメージできにくいのではないしょうか。

 

畠山 スタッフのレベルで、地域に出ていくことが可能かって言えば、どうしても彼らは「病棟の1人」としてカウントされているので、基本はまず病棟の業務をすることじゃないですか。だから動きにくいのだと思います。 僕自身は師長として、スタッフにどんどん外とつながってほしいので、例えば地域の生活支援センターから退院調整のために病院に来られたら、最初に患者さんとその人とが慣れてもらうまでの間、「一緒に地域に出て、ご飯を食べてきます」とかっていうのも、「いいんじゃない?どんどん行ったら?」と言って勧めています。そういうことをよしとできるかどうか。せっかく地域とつながるチャンスをどれだけ生かせるかは、その病棟、病院の裁量によるのだろうと思います。

 

現在私の病院では、かかわっている地域の事業所数が25か所にのぼるので、年に2回は全体で会議をするんです。自己紹介してもらいながら、「病院にこうしてもらいたい」という要望も聞いています。退院支援の研修では事例を持ってきて、その事例にかかわった支援者みんなに登壇してもらって、どんなふうに退院まで援助したのか、そして退院した患者さんは今どうなっているのかを話してもらい、一緒に共有しています。そうしたプロセスの積み重ねのなかで、スタッフが地域に興味を持ってくれているようです。

 

 今私が出雲圏域でしているのは、「私たち地域の側が病院に出かけて行って、研修をする」ということです。その病院を退院した人の事例を話すのです。「あの人が退院して半年、地域でこんなふうに暮らしておられます。信じられますか?」みたいな。そうすると病院にいるスタッフには「ああ、なるほど」って思ってもらえる。あるいは退院した当事者に登壇してもらい、ニコニコした顔、病院で見せていなかったような顔を見せることによって、スタッフは「あっ、あんな顔して笑うんだ」とか「あんないい表情なんだ」ということがキャッチできて、次の退院促進へのモチベーションにつながっているように思います。

 

ただ、今畠山さんが言われたように、病院には人員配置の問題がありますよね。そのあたりで、看護師が地域に出られる、出られないというせめぎあいがあるように思いますね。

 

吉川 病棟スタッフが外に出られている病院は、基準以上に持ち出しでスタッフを配置している傾向がありますね。でも、スタッフがそうやって患者さんと一緒に地域に出ることで得るものが、また入院中のケアにも還元されるので、そこへの投資みたいな意味合いもあると思うんです。

 

地域では喜びを交換しよう

 

小野 これから地域に向けての援助が進むと、他職種といろいろとコミュニケーションをとる場面が増えてくると思います。これはたぶん皆さんも同じように感じていると思うのですが、他職種とコミュニケーションをとる時に、とにかく困ったことだけを言いたいっていうようなコミュニケーションのとり方の人っていますよね?

 

大歳 いますね。「とりあえず、言っとく」っていう……。

 

 その点は地域の側が、すごく気をつけないといけないことなんだろうなと思っています。昔、ドクターから「困った時しか電話してこないよね」って言われたことがあって。「何か嬉しいことも報告してよ」って言われたんです。「先生と一緒にやっていって、こんなによくなったよ」と喜び合ったり、嬉しいことのキャッチボールみたいなことはとても大事ですね。

 

小野 特に地域はそうじゃないですか。やっぱり喜びを共有していかないと。大変なマンパワーも使いますし、実際、大変ですし、細かいところも見ていかないといけない。そんな時、喜べる情報が少しでもみんなで共有できると、やっていてよかったって思えると思うのです。地域だと、とにかく1個でもいいことあったら、10個悪くてもいいじゃん、って考えるところがあるじゃないですか。その1個をなんとか2個に増やしていこうっていう関係性をみんなで持てると、とてもいいと思いますね。

 

 それに関連して、地域の側からすると、病院に情報を伝えるのって、病院の人には想像できないくらい大変なのです。タイムリーに外来の医師に情報を提供したくても、なかなかそのハードルが高くて。自分が病院からの訪問看護をやっていた時は、その日の訪問が終わってから、医師たちがいる所を訪ね歩いて、今日の状況はこうでしたよ、と報告するのは簡単だったのですが。今、地域でやっていると、「あ、今日は外来だった。早く先生に電話しなきゃ」「あ、タイミングを逃した」みたいな状況になる。

 

大歳 地域の人から私のようなワーカーに、「この情報をドクターに伝えておいてください」と頼まれることもあるのですが、直接言っていただいたほうが伝わるのになあと思う部分もあります。でも言えない時間や状況もあるのだろうなぁと思ったり……。

 

畠山 そこは電子カルテ化で、だんだん病院だけじゃなくて地域生活支援センターの人とかみんなが情報を見られるようになってくると、時間を気にしないで情報が行き来できるようになるのかなぁ……。

 

小野 ただうちの病院で、メールでいろんな職員から情報が入ってくる際に思うのですが、メールの文字ってちょっと味気ないんですよね。そしてこれは医師に「なんとかせい」っていう意味なのか、それとも違うのか、どういう思いで書いているのかがちょっとわかりにくいニュアンスの文章もあったりしますね。同じ内容でも直接言われたら、「あっ、そういう意味ね、OK!」とわかるんですが。メールって誤解を招くことが結構あるのかなと。これから地域化して働く場が地域に分散していくと、どのようにコミュニケーションをとっていくかはますます大きなテーマになるでしょうね。

 

病床転換議論について

 

畠山 昨今話題になっている病床転換については、本来は地域で、病院とは別に独立したところが運営していくべきですよね。そのほうが患者さんの権利をちゃんと守ってくれるはずです。またそうであったほうが、病院も患者さんのために口出しができる。同一法人内で運営して、法人の意向が患者さんにそのまま行ってしまうのは、何が行われていても誰も疑問をはさまなくなるという意味で、一歩間違うと危険だなあと僕は思う。

 

 私はちょっと違う意見。病院と母体が違うところがグループホームを運営しても、そこが管理的だったら、入居した人たちは退院した意識が持てないでしょう。つまり病院を持っている法人が病棟転換して運営するから管理的になってよくない、ということではない。私は、その施設とかグループホームを、どういう理念を持って運営するかっていうこと、患者さんの人権をいちばんに尊重して、患者さんがその場所で生活したいという部分を支える気持ちを持っている組織が運営するということが大事なのだろうと考えています。

 

そのうえで、もちろん同じ顔ばかりがかかわるシステムじゃないようにすべきだと思うんですよ。地域の風を入れるとか、いろんな人がかかわって、その人の生活を支える。地域住民もボランティアも、当事者も含めて、いろんな人がかかわるっていうことを、どこであってもすべきだと私は思っていて、その仕組みを、病床転換の議論の時には同時に進めてもらいたいなと思っています。

 

小野 確かに、病院という「場所」で運営することが悪か善かとかいう問題ではなくて、どんな「価値観」を持って運営するか、そして運営される施設やグループホームが、孤立しないための風穴をどのように作るか、という部分に力点が置かれるべきでしょうね。

 

大歳 しかし病床転換の話は、私自身は危惧しています。私は「場所」は大きなポイントであって、病棟だったところを、今日から施設にして、そこに入ったら退院にしましょうというのは、本質的にそれは退院とは言えないと思います。NPOが入って経営すればよしとするとか、個室にしたら、とか、自由に外出できるようにしたら、とか、そういうところを変えたとしても、本質的には変わらないんじゃないかなっていう気がするんです。

 

実際に今、法人の敷地のなかに病院とグループホームを持っているところがたくさんありますが、なかには、そこに入っている人はみんな、「昼はその病院のデイケアに行ってください、夜はナイトケアに行ってください、土日だけフリーです、でも土日も何々プログラムがあります」とか、一律にそういう暗黙の強制を行なう施設あっても不思議はありません。そう考えると、今後病棟転換されて、医療をしていた法人が福祉の運営をしたとしても、あるいはそこを使ってほかの法人が運営したとしても、それが退院と呼べるのかというのは、私はかなり疑問に感じています。

 

重度慢性をどうするか

 

畠山 以前、(制度の後押しもあって)精神科救急入院料を算定する施設が山のようにできましたが、作り過ぎたということで、今年の診療報酬で抑制が始まりました。そうするとたぶん人員が余ってくるでしょうから、そのぶんは重度慢性期の病棟へ回してほしいですね。 本来、重度慢性ほど手がかかるんですよ。にもかかわらず、診療報酬上の配置が逆なんですよ。そんなにいらないだろうっていうところにいっぱいついていて。本当はいるだろう、だからこの人たち入院してるんでしょ、っていうところについていないと思う。私の期待としては、これから長期療養病棟を削るんだったら、そのぶんちゃんと重度慢性に点数をつけるべき。もっと手厚いケアができるように人を配置してほしい。

 

小野 確かに、重度かつ慢性の病棟は、今の流れでは、なんとなく最小限の人数になってしまう。どこの病院も同じだと思うんですが、結局、重度かつ慢性の人に何をしているかといえば、「身体ケア」なんですね。退院のためには身体ケア以上のことをやってあげたいのだけれど、人員が足りずノウハウも培えないままに、ますます重度かつ慢性になっていってしまう。国として、そういう人たちも地域に出しましょうと思っているんだったら、もうちょっと病院の現状を見てほしいなというのはありますよね。

 

大歳 今回の精神保健福祉法改正では長期入院の人たちのことは「とりあえず」と言って棚上げされた感があります。そこを棚上げせずに、もっと人員も入れて、病院が主体的にもう1回退院の可能性を見ていきましょうというふうにやらないといけないのかなぁと思いますね。

 

 「精神保健医療福祉の改革ビジョン」を2004年から試みたけれど、結果的に入院病床も長期入院も思ったほど減らせなかった。10年間やってダメだったことは、違う方法を検討しないといけないと思うんですよ。その違う方法って何なのかみたいなところで、いろんな知恵を絞り、いろいろ案を出していき、そのうえで、どこをまず優先的にやるかみたいな話だと思うんです。

 

病床転換の話も、議論するっていうことがまず大事。それは絶対NOですっていうのは、ほとんどの人がそう思っているし、私もいいとは思っていません。でも、GAF尺度で40以上の人は、私は退院できるって思っているんですね。そうであれば、SOSが出せない、自傷他害がある、そういう重度慢性の人たちはどこで暮らせるんだろうっていうことを考えるべきだと思うんですよ。

 

「地域で暮らすのが基点」へ頭を切り替えられるか

 

吉川 これは個人的な違和感ですが、議論する時に総じて「入院」を起点に考えられているような気がするんです。そうじゃなくて、本来は、「地域で暮らす生活」が起点で、病気になったら外来にかかり、入院になる場合もある、という、そちらを起点に論じないといけない。その点でいつも違和感が出てくるんです。

 

例えば、もし私たちが今からまっさらの病院を作るとしたら、どんな病院を作るか。将来に向けてどんなイメージで作るのか、みたいな話をしたほうが、すっきりするのでは、と。

 

畠山 患者さんが地域で生活していることの前提をすっ飛ばして、病院が何十年と入院させてきてしまったわけだから、なかなかまっさらなところからは考えにくいですよね。

 

 例えば、全く新しい病院を作るとしたら、「10床しかベッドがない」とか? 

 

吉川 病院はベッドが必要?

 

 診療所じゃないから。そこで、3日とか1週間ぐらいで、どのくらいの集中的なケアができるのかっていう。

 

畠山 それ、できる?

 

 私、以前男性の閉鎖病棟で、何か月も隔離室を1床も使わなかったことがあるのよ。そういう病棟にしようと試みたら、不可能じゃなかったんです。そのためのアメニティとして、個室を作ってもらって、他の人が侵入してこない空間が2つしかなかったのを、3つにし、4つにし。そういう工夫をしたら、患者さんが落ち着けるから、隔離室はホントにほとんど使わなくていいという感じになったんですよ。それを考えたら、「マンパワー」と、「病棟で看護する人がどういう視点でケアをするのか」という工夫ができると、3日とか10日とかでの退院も可能なんじゃないかなって思っています。

 

小野 どうしても我々には、これまでの流れとか、病院に対する従来の価値観があるから、ハードがそこにあると、それに合った動きをしちゃうところがある。将来を構想する時に、ハードじゃなくって、ソフト、つまり援助ありきというところを考えていくなかで、そこに我々のいろいろな思いや構想を具現化する。例えば果たしてそれは病院なのか、病院じゃないのか、何なのかっていうふうに考えてみると、ちょっと面白い精神科病院のイメージができるのかもしれないですね。

 

吉川 目指しているものがデイケアなのか、何なのかって、いろいろ考えてみればいいんですよね。

 

 私は、患者さんから学ぶっていうことがすごく大事だと思っていて、自分の価値観の転換という意味からすれば、毎日毎日、自分の目の前にいる当事者の人に教えられている気がするんですよ。だから、その意識を看護師が持つというのがすごく大切なんじゃないかな。そうしたら従来のやり方にとらわれない発想が生まれてくるんじゃないかなって思っています。

 

吉川 今、精神科に限らず、入院ではなく、できるだけ在宅で支えないと、医療費がもたないというなかで、日本看護協会が課題にしているのが、入院部門で働いている看護師が圧倒的に多いという点です。その人たちに在宅で役割を担ってもらうためには、地域生活の視点を再教育しなければならない。その課題は精神科も同じなわけです。

 

 各職種が地域に出ていくことを考えるなかで、今までずーっと病院のなかでやってきた看護師たちが外に出られるのか、ということですね。長期入院患者さんと同じことが、病院スタッフ自身にも起こっているんじゃないかという。 卵が先か鶏が先かではないですが、とにかく地域に出て、地域でやるなかでいろいろ技を磨くという方法もあるだろうし、教育してから地域に出る方法もあるでしょう。

 

 いろいろな課題も含めてお考えを聞かせていただきました。本日はありがとうございました。

 

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