第5回 レモンをひとの足に載せても怒られない

第5回 レモンをひとの足に載せても怒られない

2014.8.11 update.

松本卓也(まつもとたくや)

1987年生まれ。京都大学大学院理学研究科・博士後期課程在籍。2014年4月より日本学術振興会特別研究員(DC2)になる予定。タンザニアの森で約2年のフィールドワークを終え、現在は日本で博士論文を必死に執筆中。趣味は通学途中の読書(漫画を含む)と、大学の体育の授業で学部生に混じって楽しむバスケットボール。
『日本のサル学のあした』(京都通信社)のコラムを執筆。初連載です!

私が野生チンパンジーの調査を行っている東アフリカ・タンザニアは、大西洋に面した赤道付近の国である(※1)。それまでろくに海外旅行をしたこともなかった私にとって、アフリカは本当に未知の世界であった。今から思えば恥ずかしいことだが、私はアフリカについて、手付かずの自然、というイメージをかなり強く持ってしまっていた。テレビでよく見る、ただの布をさらりと巻いて、夕日をバックにサバンナを歩くマサイ族、といったようなイメージである。しかし、いざ飛行機で首都ダルエスサラームに着いてみると、思っていたよりも(と言うとなんだか失礼だが)発展しているところだな、という感想を持った。舗装された道路を車がびゅんびゅん走っているし、高層ビルは建っているし、スーツ姿のビジネスマンもちらほら見かける。日本の地方都市くらいの発展具合ではないかと思った(※2)。私のイメージにかなり近い格好をしたマサイ族は、都市では警備員の仕事などをしているらしい。通りを歩いているのはほとんどが黒人で、言葉も通じず、日本との違いに驚くこともままあるが、いまいち「アフリカに来た!」という実感がわかなかったのも正直なところだった。

 

私がほとんど初めて「今アフリカにいる」と実感できたのは、些細なことだが、野生チンパンジーの調査地に入って初めての夜、ベッドの上に横になった時だった。もぞもぞとベッドにもぐりこみ、点けていたヘッドランプのスイッチを切ってみてびっくりした。「真っ暗」だったのである。決して大げさな表現でなく、自分が今、目を開けているのか閉じているのか、わからなくなるほど、少しの明かりもなかったのだ。これはタンザニアの街のホテルでも感じなかったことだった。「キョッキョッキョッ」という夜鷹の声を聞きつつ、「ここが野生チンパンジーの森なのだ」とひとり密かに実感していた。

 

同じように、「チンパンジーの行動って、観ていてなんだかおもしろいなぁ」と実感したのは、彼/彼女らの個性が見え始めた(参考:第2回 もれ出してくる個性)ことの裏返しでもあるが、彼/彼女らにとっての「(緩やかな」規則」があるように見える点だった。それは例えば、久しぶりに出会った個体同士が挨拶をする、といった比較的私にもわかるような気がするものから、私(=人間)には簡単に理解できそうにないやり方もある。その顕著な例が、食物分配である。

 

チンパンジーのオトナ同士の食物分配は、主に肉食時に起こる。チンパンジーは同所的に住んでいるアカコロブスなどの動物を狩猟し、その肉を食べることがある。肉を手に入れたチンパンジーが食べる横で、その肉を分配してもらおうとするチンパンジーが集まってきて、肉食の集まり、と呼ぶべき集団が出来上がることがある(※3)。その際の態度が、とてもおもしろい。肉を食べているチンパンジーの横で、それをねだろうとするチンパンジーは、肉を食べているチンパンジーの口元をじっと覗き込むのだ。たいていの場合、覗き込まれている方は気にしていない様子で食べ続ける。しばらくして、覗き込んでいる方がゆっくりと手を口元、あるいは肉の方へ伸ばし、おそるおそる、といった様子で肉の分配を受け、横で食べ始める(※4)

 

私がとても興味深いと思うのは、横にきたチンパンジーが口元を覗き込む点だ。この両者の間でいったい何が起こっているだろう。少なくともそこにある肉は誰もが勝手に食べていいものではない、ということを両者は了解し合っているはずだ(※5)。そこには、所有の概念、といったものが見え隠れする。さて、今回は、食物分配のやりとりの中でも、特に奇妙な事例を紹介してみたい。

 

【観察事例①】「オトナメス・ザンティップからオトナオス・カーターへの『食物分配』」2013年2月4日15時51分より

若いオトナメスのザンティップがレモンの果実を木の下で食べ始める。ザンティップの赤ちゃんはザンティップの足の上で眠っているようだ。オトナオスのカーターが横(ザンティップの左側)にやってきて、ザンティップがレモンを食べる様子をじっと覗き込む。ザンティップは右手を地面につき、左手のみでレモンの皮を丸剥きにし、割く。割いたレモンを口に咥え、残った分を自分の左足で持った…と思ったが、よく観察すると、それを持っているのはカーターの右足だった。カーターは右足のレモンを気にする素振りを見せず、ザンティップが食べている様子を横から覗き込み続けている。私はその後の展開をハラハラしながら見守った。いよいよ、ザンティップが持っていたレモンを食べ終わった。そして、ザンティップは左手をカーターが持っているレモンに伸ばし、何事もなかったように受け取り、また割き始めた。割いたレモンを口に咥え、残った分をまたカーターの右足のところまで持っていくと、カーターはまたしても右足で残りのレモンを持った。ザンティップは割いた分のレモンを食べ、食べ終わると、またしてもカーターの右足からレモンの残りを受け取り、遂にレモン1個を食べきった。横でザンティップの食べる様子を覗き込んでいたカーターは、この一連のやりとりの中で、ひとくちもレモンにはありつけなかった。

その後、ザンティップはレモンをもぐもぐしながら移動した。カーターも移動。カーターはすぐに地面から大きく手を伸ばして枝を引き寄せ、レモンの果実を自分で手に入れ、食べていた。

 

今回の事例は、チンパンジー間のやりとりで観察される規則(めいたもの)の特徴を表す好例だと思う。

 

まず、レモンの果実の、物理的な(あるいは、誰が見ても明らかな)移動をおさらいしておきたい。ザンティップが食べなかった方のレモンの果実は、カーターの右足に移った。私は当初、ザンティップが自分の足で残りのレモンを持ったのだと思ったくらいなので、両者の間に明確な(少なくとも私が観察可能な)戸惑いはなかったように思う。言うなれば、ごく自然に、ザンティップはカーターの右足にレモンを「預け」、カーターはそれを「受け取った」。そして、ザンティップが持っていたレモンを食べ終わると、カーターの持っていたレモンを今度は「受け取り」、また半分口に咥えて残りをカーターに「預けた」のである。最後にはその残りのレモンさえもザンティップが食べてしまった。つまり、レモン自体は両者の間を行ったり来たりしているのである。

 

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この状況を生み出した一因は、ザンティップに赤ちゃんがいた点だろう。赤ちゃんが足の上で寝ている状況では、上体を支えるために片手を地面についていなければならず、また足でレモンを掴むのも困難だった。かといって地面に直接レモンを置くと汚れてしまう…ということで、カーターの足に預ける(置く)、という結果になったのだろう。

 

私にとって特に奇妙なのは、カーターの態度である。レモンの果実を半分に割って自分のところへ持ってこられたら、普通はそのレモンを「もらえた」と考えてもいいのではないだろうか。ザンティップがいなくなった後、別の場所ですぐにレモンをとって食べ始めたのだから、もともとレモンを食べたくなかった、というわけでもないだろう。それでもカーターはザンティップの食べる様子をずっと覗き込んでおり、足で持ったレモンを食べようとはしなかった。そして翻って、レモンを預けたザンティップも、当然のようにカーターの足からレモンをとって食べていた点から、これは自分が食べて差し支えないレモンである、ということをある程度確信していたのだろうと思う。つまり、奇妙だと感じる私(=人間)など置き去りにして、両者の間では、このレモンはザンティップが食べるもの、ということを、わかりやすい顕著な行動(レモンを齧ろうとするカーターに対してザンティップが威嚇する、など)無しに、おそらく了解し合っているようなのである。

 

食物分配を研究する上でのひとつのパラダイムとして、食べ物を分配することによって、分配した相手からなんらかの「お返し」を得ているかどうか、について調べる方法がある。例えば、肉を与える代わりに、毛づくろいをしてもらったり闘争のときに味方になってもらったりするのではないか、という考え方だ。つまり、利益の交換や、見返りを求めた行動、として食物分配を捉える方法と言えるだろう。今回のザンティップとカーターのやりとりは、食物分配を(観察者が)利益の贈与と捉え得る、その根底にあるチンパンジーの特徴を物語っている。すなわち、分配される食べ物が、「誰によって所有されているか」をチンパンジーたちは(分配をする側もされる側も)強く意識している、という言わば当たり前のような事実である。その上で分配が起こるからこそ、利益の「贈与」であり、分配された個体から分配した個体への行動、あるいは両者の関係に、のちのち影響を及ぼしても不思議でない、と考えることもできるだろう。

 

しかしながら、今回の事例は私にとって、食物分配を利益の贈与と捉えること、それ自体を揺るがされたような、そんな気がする観察であった。今回の事例を先のパラダイムに則って考えようとすると、ザンティップはカーターにレモンを分配しなかった、という端的な事実だけがともすれば取り出されることになってしまうかもしれない。カーターはザンティップから利益を得られなかった、あるいは、ザンティップはカーターに見返りを求めていなかった、と。しかし、今回の事例からザンティップとカーターの今後の行動を考えるとき、例えばカーターがザンティップへの毛づくろいの時間を増減させる、といった、その後の互いへの行動に結びついているとは私には思えなかったのである。それは、自分のレモンをわざわざ相手に持たせるザンティップの態度が、見返り、という言葉にあまりにそぐわなかったことや、レモンを分配してもらえるわけでもなく、自分のものでないレモンを持たされたカーターに、利益を求める者の苛立ち、のような態度が感じられなかったから、という私の勝手な想定によるのかもしれない。しかし少なくとも、「レモンを所有しているのはザンティップだ」ということをお互いが認め合っていて、それはレモンが物理的に行き来しようと、食べ終わる最後まで揺るがなかった、という両者のやりとりそれ自体が、両者の関係(延いては、互いに対するその後の行動)を物語っている気がしてならない。

 

今回の事例のみから、チンパンジーの緩やかな規則に関して、明確な結論を導き出すことは難しい(※6)。ただ、チンパンジーにおける食物の所有(あるいは分配)といったものは、対象である食べ物の受け渡しや、実際に誰が持っているかだけでなく、もちろん人間社会の権利書のような明確な基準があるわけではなく、彼/彼女たちなりのやりとり(インタラクション)の中で生み出されている、ということを、今回の事例は強烈に物語っている。


(本文註)
(※1)正直なところ、野生チンパンジーの研究をしたいと思う以前は、「タンザニアはどんな国ですか」と聞かれても、地図上の位置さえ答えられるかどうか怪しかっただろう。そんな私が2年も日本を離れてタンザニアに住むのだから、おかしな話でもある。


(※2)これらの本文の記述は、あくまでも私の勝手な第一印象なので、鵜呑みにはしないでいただきたい。もちろん郊外に少し出れば舗装されていない道路もあるし、他にも、路上で勝手に洗車を始めてお金をもらおうとする子供もいるし、足が悪く通りの端で座り込んでいるおばあさんもいるし、日本人はあまり行かない方がいい、とされている通りもある。


(※3)肉を保持しているのは、高順位のオスであることが多い。肉を誰が保持するのか、という段階で大騒ぎになることはあるが、いちど肉を食べる段になると、肉を奪い合って争う、ということは少なくなる。グフッ、グフッ、というフードグラントと呼ばれる音声が聞こえる中、複数のチンパンジーが集まって肉を食べる様子は、肉の饗宴と呼びたくなるような独特の雰囲気がある。


(※4)このとき、肉を持っている方は体をよじってやんわり拒否することがある。しがんでいた骨の切れ端だけを分配することもある。また、横から覗き込むにもある程度の条件があるらしく、横から覗き込むことが許されない若いオスなどは、肉の分配が行われている木の下で落ちてくる肉片を狙って待つことも多い。

(※5)赤ちゃんが母親から食べ物をねだる場合には、母親の口元をじっと覗き込むということはせず、母親の持っている食べ物に直接口を持っていく、といった行動をとる。食物分配時にじっと相手を覗き込む、というのは、ある程度やり方を勉強する必要のある行動と言えるかもしれない。


(※6)私のフィールドノートには、ザンティップとカーターの行動を記述している横に、「所有って…なんだろうね」とメモしてあった。もしかすると、私には記述できなかっただけで、カーターとザンティップの間には、レモンを誰が食べるのかを考える上で、何らかの重要なやりとりがあったのかもしれない。そうだとすると悔しいが。

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