(3)産める国・産めない国 それぞれの歴史の違い|阿藤誠氏インタビュー(後編)

(3)産める国・産めない国 それぞれの歴史の違い|阿藤誠氏インタビュー(後編)

2014.5.29 update.

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河合 蘭

かわい らん◎出産ジャーナリスト。3人の母親。現代の女性が親になる前後に直面する問題について,産婦人科医療,新生児医療,不妊治療の現場を取材してきた。産みたい人が産める社会をつくるべく活動中。近著に『卵子老化の真実』(文春新書,2013)。ホームページはこちら

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shoushika2_pic1.JPGお話をしてくれた人:阿藤 誠さん
人口学者。厚生労働統計協会会長。厚生省人口問題研究所所長,国立社会保障・人口問題研究所所長を歴任し,2013年3月まで早稲田大学人間科学学術院特任教授。著書は『少子化時代の家族変容―パートナーシップと出生行動』(編集,東京大学出版会,2011),『現代人口学―少子高齢社会の基礎知識』(日本評論社,2000)など多数。
 

 

 

戦後30年間も続いた安定飛行

 

河合 阿藤先生が日本の少子化問題にかかわられたのはいつからですか。
阿藤 私は,1970年代から80年代始めにかけて米国の世界的に有名な人口の研究所に留学していて,そこで日本の出生率について博士論文を書いたのが最初です。当時はこの問題に関心をもつ人など皆無でした。問題もなかったのです。日本では,戦後の動乱期が終わると家族計画が一挙に拡がり,1950年代末から70年代半ば頃まで結婚,出産,離婚などにほとんど変化がなくきわめて安定した状態を保っていました。経済状態だけがものすごい勢いでよくなっていくなか,人々の家族にかかわる行動は「20代で結婚して子どもを2人産む」という風にパターン化されていました。
河合 親としては「子どもが多いと望みの教育が受けさせられない」と思うようになったから,第3子以降が激減するんですよね。日本が経済的な成長を遂げた分は,ふたりっ子の子どもたちに濃縮していったんです。
阿藤 そう,この時代に日本人は目覚ましく高学歴化していくわけです。子どもが4人も5人もいてはそうはいきませんから,人々の間で,家族計画を行ない希望する子どもの数を実現しようという考えが急速に拡がっていきました。日本の親は「少なく産んで立派に育てよう」という考えに変わったのです。

 

見事にはずれた予想値

 

河合 それが70年代になって出生率が減少してきますよね。でも,日本が,それこそ「少子化」という言葉を作り出し,政府が対策に乗り出したのは1989年の「1.57ショック」ですから,今振り返るとこの間に10年以上の長いタイムラグがあったことになります。
阿藤 はい。確かにじわじわと子どもが減ってきたのは70年代で,今に至るまで40年間も減り続けているわけですね。ただ,出生率が落ち始めた当時にそれが予測できたかというと,これは誰もわかりませんよ。当時「これは一時的なものではないか」と考えられたのです。私も,これは晩婚化が始まったためで,少し経てば,再び出生率は上昇すると分析しました。実際,80年代前半には,わずかですが出生率は上がるのです。その後の激動に較べれば小さな変化ですけれど,当時は本当に上がったのです。ところがその直後にバブル期に入ると,出生率は急激に減り出すのです。そこから社会が変わってしまいました。
 ですから,その時の将来人口推計は見事に外れました。結婚の希望や希望の子ども数などの調査結果にも変化は見られませんでしたし,高度経済成長は終わったばかり。安定した30年間のあとの小さい変化でしたから「世の中,そう大きくは変わらないだろう」という空気があったのです。

 

財政が悪化していくなかで

 

河合 当時、今日のような事態を想像することは不可能だったということですね。

阿藤 はい。80年代に対応するのはちょっと無理だったと思います。でも90年代に入り,いよいよ1.5くらいに下がった時点での対応はどうだったか,ということは考えますね。政府はその頃に動き始めたのですが,テンポが遅かったですね。

 日本が不幸だったのは,その頃ちょうどバブルが崩壊して,大不況になってしまったということです。そのあとは,政府が予算を引き締める方向になってしまいました。首相が大決断をするといったことがあれば別ですが,何しろずっと自民党政権でしたから方針が変わるということがありませんでした。私が研究所にいてよく思っていたのは,行政官,特に厚生労働省の人や大蔵省のトップクラスの方たちはこういうことはきちんと見ていましたよ。何人もの官僚が「出生率がたいへんなことになっているのではないか」と言って相談に来ました。でも,そうした動きがあっても肝心なのは,やはり予算ですから。その予算は,毎年どんなことにどれくらい割り振られるか決まっているので,その枠を変えてもらうのは並大抵のことではないのです。どの部門も予算削減になるなか,「ここだけ例年より高い割合で予算をください」というのは,真の政治的指導力がなければできません。
 また,選挙で強いのは高齢者福祉で子どもではないのです。そちらのほうにどうしても関心が行ってしまい,そうこうするうちに出生率を取り戻すタイミングを逸してしまったという感じですね。

 

来なかった「第三次ベビーブーム」

 

河合 取り戻すタイミングとは団塊ジュニア世代が出産できた時代のことですね。

阿藤 そうです。第二次ベビーブームで生まれた世代が出産年齢にあるうちに何とかできれば,日本にもチャンスはあるはずでした。その世代が出産できる年齢を過ぎ,本当はあるべき第三次ベビーブームがないことがはっきりした今,日本は,たとえこれから少々出生率が上がっても大勢は変わりません。今後は出産年齢にある人口が減る一方ですから,私たちはこれを少子化スパイラルと呼んできましたが,長期にわたって人口減が続くことはすでに避けられないのです。
河合 そうなのですか……。政策のそばにいた人口学者として,悔しいお気持ちはありませんか。
阿藤 私が一番濃厚にかかわっていた時期は90年代後半から2000年代前半ですが,その頃はやっぱり歯がゆかったですね。少子化担当大臣ができましたけれど,1年半や2年でどんどん変わってしまうじゃないですか。それで大臣が変わるたびに「ご破算で願いましては」と方針がころころと変わる。ショウアップのようにキャッチフレーズができる。でも,実は内閣府はお金が動かせる立場にはないのです。実際には各省庁が予算案を担っているのですから。大臣が兼任だということも「この国は,本当に少子化政策をやる気があるのだろうか」と感じさせます。次々変わってしまう,掛け持ちの少子化担当大臣が何を言っても,省庁はびくともしないですよ。

 

未来への投資 どこまで

 

河合 最後に,これからでも,出生率を取り戻した国に学べることがあれば,ぜひ教えてください。
阿藤 日本の大きな特徴として,高等教育費用の私的負担が大きすぎますね。高等教育は少子化政策という以前に,そもそも人材養成の意味で国家が投資すべきものだと思います。今のように親の経済力いかんで進学できるかどうかが決まるような状況に,国はもっと危機感をもつべきでしょう。
河合 親の経済的負担の軽減についてはフランスの子ども手当が有名ですが。
阿藤 フランス,それから北欧など経済的支援が手厚い国で特徴的なのは,第3子以降を重点的に支援しているということです。フランスは200人もの研究者を抱えるたいへん大きな人口研究機関をもっていますが,そこの学者たちは,結婚しない人,出産したくない人もいることを思うと,3人以上の子を産んでくれる人が一定数いないと人口が維持できないと考えました。
 それでフランスの子ども手当は1人目の子ではまったく出ず,2人目でも少額で,3人目から手厚くなります。日本の子ども手当は中学生までで打ち切りですが,フランスでは20歳までもらえ思春期はむしろ加算されます。
河合 日本が2005年に出した少子化白書ではフランスの政策を詳しく紹介し,2人目の支給額を試算していますが,10代後半は年間30万円近くが支給されていました。3人目はもっと高額になるのかもしれません。
阿藤 加えてフランスは学費がほとんどかからないので,親の経済的負担は日本とまったく違いますね。世帯ごとに課税される有名な「N分のN乗方式」という課税方式も,世帯収入を家族の人数で割った値に対して課税されるのですが,この時,大人は1,第1子・第2子はそれぞれ0.5,第3子以降の子どもは1と数えるので,子だくさんだと税金が安くなります。
河合 スウェーデンはいかがですか。
阿藤 スウェーデンは戦前から戦後にかけて活躍したアルバ・ミュルダールという女性政治家の存在が大きく,彼女が女性の自立できる社会を目指したことが家族政策の原点にあります。戦後のベビーブーム後,フェミニズムやジェンダー革命が欧米の国々で次々に起きていきましたが,スウェーデンはミュルダールの築いたものがあったので対応が早かったですね。企業が「女性は育休をとるから」と女性の雇用を控えようとしても,強力なオンブズマン制度があるのでそんなことをしたらたいへんです。そうした支援に加えてスウェーデンは,1970年代に出生率が急に下がってくると経済支援も大胆に推し進め,経済面でもかなり子育ての負担が少ない国になりました。
 日本の少子化対策も,項目だけを見ていると,間違いは少ないんですよ。どれも,やったらいいと思うことばかりです。育児休業制度などは特に優れていて,制度だけを比べれば,さすがに北欧には及びませんがドイツ,フランスより上でしょう。ただ,それをどれだけ一生懸命やるかです。具体的には,どれだけお金を使うか。特に育休後の保育サービスに関して,そのお金が長い間,日本では非常に不足してきたので成果が生まれないのです。つまり日本の少子化対策は,口先介入になっていたんですね。一言で言えば “Too little, too late”。お金の出し方が少ないからここまで来てしまったということです。
河合 今日は少子化政策の現場からの貴重なご証言も含め,重要なお話を本当にありがとうございました。

(2013年12月4日収録)

阿藤誠氏インタビュー(後編)了
次回につづく

 

*本連載は,『助産雑誌』2014年2月号に掲載した連載「やっぱり知りたい少子化のはなし」第2回をかんかん!用に短縮し,再構成したものです。全文は本誌をご覧ください。ご購入はこちらから→冊子版(1冊からご購入可能) 電子版(年間購読のみ)

 

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