最終回 燃え尽きない私

最終回 燃え尽きない私

2012.12.01 update.

信田さよ子(原宿カウンセリングセンター所長)

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、
駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。
臨床心理士。依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、
家族関係について提言を行う。
著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、
『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ/イースト・プレス)、
『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』の墓守娘シリーズ(春秋社)、
『家族の悩みにお答えしましょう』(朝日新聞出版)他多数。

 

 

カウンセリングは、しばしば現状追認的であり、現状維持に利すると考えられてきた。カウンセラーをしていますと言うと、心を見透かされるかもしれないといった妙な誤解を示され、「心理学なんて」という軽蔑の混じった視線を投げかけられることもある。

 

そんな反応には慣れっこだが、三〇年以上もバーンアウトせずにカウンセラーを続けてこられたという事実をあらためて振り返ってみたい。自分なりに何か工夫をしてきたのだろうか、秘訣があったのだろうか。これまで確認したこともなかったので、最後にその点について考えてみることにする。

 

●ハードなお仕事ですからね……

 

年の瀬も間近になったせいか、友人や知人、仕事仲間から「お体大丈夫ですか、体が資本ですからね、健康には留意してください」と声を掛けられることが増えた。そう言いながら仕事の依頼をするって何なんだろう、と疑問を抱きつつ、首を縦に振る私も私である。

 

本連載にとりかかったのはそもそも、私が心臓カテーテル手術をしたことがきっかけだった。口では気弱なことを言っていてもけっこう体力には自信があった私にとって、あの出来事はやはりショックだった。それ以来二年半経った今も、体にひとつ爆弾を抱えているような意識は変わらない。

 

おしゃべりな私は心臓カテーテルの経験を、会う人ごとにペラペラと語ったのだが、「やっぱりね~」という反応が多かったことに驚いた。その人たちは続けてこう言った。

 

「ハードなお仕事ですからね……」

「精神的にきついお仕事をずっと続けていらっしゃったんだから無理ないですよ」

 

彼ら彼女たちの心から心配そうな顔を見ながら、ああ、私はほんとうにきつい仕事をしてきたんだ、と甘美な自己憐憫に浸ることもあった。

 

事実、この一〇年を振り返っても、児童虐待やトラウマ治療にかかわる援助者たちが次々と早逝していった。彼ら彼女たちが生きていれば、と思ったことは何度もある。なぜその人たちがこの世を去ったのかと考えるたびに、「ハードな仕事だったから」と、私も同じような推測をしてしまうのだが、実は正直言って、私にとってカウンセリングがそれほどハードできつい仕事だという実感はないのである。

 

●燃え尽きないための秘策?

 

おそらく、一般的なカウンセリングに対するイメージは、「心の悩み」を抱えたひとが訪れるというものだろう。それは、カウンセリングの対象者のごく一部にしか過ぎない。このことはすでに何度も触れてきたので繰り返さない。

 

だから皆が私に言ってくれる「ハードなお仕事」という表現には、悩みや困りごとといった表現を超える、もっと壮絶な出来事という含みがあるのだろう。たとえばDV、虐待、性暴力にまつわる加害・被害経験などは、悩み、困っている、といったソフトな表現に落とし込まれる以前の生々しい出来事であり、心理的もしくは精神病理的だと判断される以前の体験と言えるかもしれない。それを聞き続けることはとてもハードできつい仕事なのだ。そうとらえられているからこそ、私をいたわり、気遣ってくださるのだろう。

 

講演に行く先々の主催者も、全国各地で私の講演を聞いてくださった人たちも、同じ質問を私に投げかける。

 

「信田さん自身はどうやってご自分を癒しているんでしょう」

「ストレス発散はどうしてるんですか」

「ご自分が燃え尽きないための秘訣があるんですか」

 

●「自分がいくつありますか」

 

キャラという言葉が定着して久しいが、もともと私は大学院のころから、多様な役割、多様なキャラを身に着けるように努めてきた。六〇年代末にしては斬新な「ほんとうの私なんてない」「真の自己より着脱可能な自己を」といった言葉が飛び交う研究室だったことも大きかった。

 

それが当時どれほど革新的で少数派だったかは、心理学系の学会に行くたびに痛感させられた。「意味不明」「わけがわからない」という反応は当たり前だったことを思い出す。そのなかを敢然として主張を曲げず、妥協せずに終始された恩師松村康平先生を、今でも私は心から尊敬している。

 

「共感なんかできませんよ。人の気持ちなんかわかりません」

「自分がいくつありますか。多ければ多いほど、豊かなんですよ」

 

これらの言葉は、私のカウンセリングの土台を形成している。今日までヘタることもなくなんとかカウンセラーを続けてこられたことの多くは、松村先生に負っているといっていい。

 

●増減可能なハニカム構造

 

すでに書いたように、私はさまざまなことを映像的に思い浮かべながら考えることが多い。日常的に思い描いている「私の世界」は、バーティカル(垂直)ではなく、ホリゾンタル(水平)に広がっている。上から下へと縦に伸びる世界ではなく、ひたすら横に広がっているのだ。それは水平線上に無限に連なっているのではなく、もっと具体的な映像を伴っている。

 

スズメバチの巣を駆除するテレビ番組を見たことがある。厳重な防護マスクをつけて慎重に取り外したのち、円柱状の巣を横半分に切断すると、断面にはくっきりと正六角形のハニカム(蜂の部屋)が連なっている。なぜかその形状が、私の世界をイメージする際に一番ぴったりくるのだ。なぜ、正六角形のハニカムが連なっている蜂の巣と、私の世界の仕組みとが似ているのだろう。

 

私のアイデンティティは第一義的にはカウンセラーであることは間違いない。収入の大半をそれによって得ているのだが、さらに原宿カウンセリングセンターという有限会社の経営者であり人事担当者でもある。臨床心理士として職能団体の理事や学会関連の役割も負っており、さらに本連載を始めとする多くの媒体に原稿を執筆している。講演や研修にも出かけるし、プライベートな生活もある。

 

これら私という個人の生活すべてを構成しているそれぞれが、正六角形の蜂の部屋であるように思えるのだ。部屋ごとの隔壁は遮断し疎隔されているのではなく、全部が微妙につながっている。

 

正六角形の部屋の数は少しずつ増えていく。仕事内容が広がったり、連載する媒体が増加するにつれて新しい部屋が誕生するが、過去の仕事や著作の部屋はそのまま部屋に保存されており、部屋を訪れ、扉(ファイル)を開けばいつでも引き出すことができる。

 

●加工を施してファイリングする

 

カウンセリングにおいて、クライエントの話を聞くときも同じだ。たとえば、幼少時の性虐待の記憶が想起された女性の語りを聞きながら、彼女の性虐待の記憶を新たな部屋に保存するのだ。

 

ちゃんと保存するためには、パソコンの文書保存と同様、一定の形式と手順が不可欠である。混沌として、言語化されず不整合のままでは保存はできない。保存とは、それを開くことで再現・再生可能であることを意味しているからだ。

 

つまり、クライエントの語りは、蜂の部屋に保存できるように、私がそこから再びその語りを引き出せるように、聞き取られることになる。その聞き取りは、そのまま録音するのではなく、私によるある種の加工が加えられている。細部は捨象され、主要な部分が文節化されつなげられていく。

 

こうして文脈化され構造化されるという加工が、クライエントにとって「聴かれる」ということであり、私が「聴く」ということなのだ。クライエントは、私という聴き手による加工を選んだのである。

 

一枚の布をどのように裁断するかと同じく、自分の語りがどのように加工されるかについて、クライエントからの信頼が付託されているという自覚を忘れたことはない。クライエントのありのままを聞く、というのはどれほど不遜なことだろう。

 

それはどこか読書と似てはいないだろうか。

深く本の世界に没入しても、読み終わればその本について語ることができる。このように読書経験を他者に伝達可能であるように、私はクライエントの語った内容を正六角形の蜂の部屋に保存し、必要に応じて再生・再現する。請われれば、即座に、細部や固有名詞を変更したうえで、これまで会ったクライエントについて説明・伝達することもできる。次回のカウンセリングのためにもこれは必要不可欠でもある。

 

クライエントの話に真摯に耳を傾ける作業、すなわち傾聴とは、このようなプロセスを指している。

 

●人格の一貫性だと?

 

夕方近くなると疲れてくることもある。そのとき私は、健康診断で肺活量を計測する場面を思い浮かべる。「はい、いっぱい吸って~、もっと吸って~」と言われるあの検査だ。クライエントの話を聞きながら、自分自身に言い聞かせる。「吸って、もっと吸って~」と。エネルギーを振り絞り、語られる内容をどんどん吸い取り、部屋数を増やしてそこに保存するのだ。

 

蜂の部屋は、一日カウンセリングを終えるごとに、クライエントの数が増えるにつれどんどん増えていく。もちろんここには書けないが、クライエントに対して私からフィードバックや感想の提示、提言を行うのだが、それも含めてそのクライエントの部屋に保存される。

 

クライエントごとに別の部屋、別のファイルを開く必要があるので、おのずと切り替えが起き、それがほぼ無自覚なまでに定着しているようだ。そして、必要なら再現可能であること、次回のカウンセリングにおいては蜂の部屋の保存ファイルを開ければいいという安心感が、私の意識を区切らせる。

 

だから、びっしり詰まったカウンセリングの予定を終えてセンターを慌てて飛び出し、夜の原宿の街を歩きながら、つい先ほど終わったばかりのカウンセリングの内容を思い出すことはない。思い出さないようにしているわけでもなく、スイッチが切り替わり別のモードが作動するのだ。それはキャラの変更、あるいはログオフ後に別のパソコンを起動させるのに似ている。

 

瞬間的に切り替わることは、何かを忘れるわけでもなく、軽視するわけでもない。もしそうすることをためらい、切り替えることに罪悪感を抱くとすれば、おそらく人格というものを措定しその連続性・一貫性に価値を置いているからではないだろうか。

 

私が日常的に行っていることは、そのような同一性、変わらなさに対する価値の対極に位置するのだ。

 

●基準がなければ燃え尽きない

 

一般的に、燃え尽き(バーンアウト)は、次のように説明される。

 

「期待と現実の狭間で生じるさまざまな矛盾が慢性的に持続した結果生じる身体的・情緒的・精神的疲弊」

「人を援助する過程で心的エネルギーがたえず過度に要求された結果引き起こされる、極度の心身の疲労と感情の枯渇を主とする症候群。自己卑下、仕事嫌悪、思いやりの喪失をともなう」

 

いずれも、過度・極度な何かを前提としているが、そもそも何かを基準にしなければ燃え尽きは生じない。したがってできるだけ基準をつくらないのが、燃え尽きないコツだともいえる。私は、蜂の部屋(ハニカム)の数をどんどん増やせばいいだけだ、とどこかで考えている。そうすれば基準もなくなり、限界もなくなり、燃え尽きることもなくなる。

 

基準のひとつが「個人的経験」である。

たとえば、性被害経験を持つ人がそれを克服して援助者になる例をとろう。自分が経験しているから他者の被害を「わかってあげられる」と思うことに異論をはさむ人は少ない。昨年の東日本大震災後には、被災地にいない人には苦しみがわからないといった言説が流布したが、同じことである。

 

カウンセラーとして、そのような個人的経験は、むしろ障壁になるほうが多いと考えている。クライエントの語りを聞きながら、私はこうだったという基準が作動したり、自分の経験が思い出されたりすることで、語りに対する加工が滞りファイルへの保存ができにくくなる。自らの個人的体験とクライエントの語る内容とが激しく同調したり、反対に拒否感が生じることもある。

 

これらはいずれも、強固な基準が作動しているからであり、結果的に燃え尽きることにつながってしまう。

 

●「すべて」を疑う、真剣勝負で

 

もうひとつの基準は、まるで空気のように社会に瀰漫している「常識」である。なかでも家族や人間関係に関する常識は、テレビや本、日常会話に紛れ込んで私たちの生活の隅々にまでいきわたっている。

 

昨年から連呼されてきた「絆」や家族の愛情、親子にまつわる美しい物語は、強固な基準を構成しながら社会の秩序を維持する機能を果たしている。母親との関係について精神科医やカウンセラーに語ったところ、「それは考えすぎでしょう」「お母さんのことも少しは理解しなければ」と、精神科医やカウンセラーから言われたと語るクライエントはとても多い。

 

カウンセラーは、それらの常識を「すべて」疑わなければならない。そうしなければ、クライエントの語る言葉を蜂の部屋にファイリングすることはできない。

 

江戸時代の有名な剣士が、真剣勝負の際に、剣を握りながら無心に目をつむっていたという逸話を思い出す。私も、どこかそれに似た構えでクライエントの前に座る。

 

「どんなことをあなたが語ろうと、どんな感情を抱いていようと、私は決して驚いたり、断罪したり、批判したりはしませんよ」

 

口には出さないが、私はそう考えている。無心になるというより、基準を撤去して、なんでもありだと思いながら話を聞くのだ。目の前のクライエントが昨晩親を殺害したと語ったとしても、表情も変えず「きのう大雪が降りました」と同じ反応で聞くだろう。

 

クライエントの多くは社会の基準を必要以上に取り入れているからこそ、苦しく自責感に満ち、その反動の怒りや不安、緊張にさいなまされている。そこからの離脱を促進するためなら、オーバーに憤慨したり驚いたりすることもいとわない。ときにはクライエントの語れなかった感情を言語化したりする。私がしばしばカウンセラーらしくないと言われるのは、そのような感情表現の過剰さゆえなのかもしれない。

 

基準を撤去してとらわれないことは、やみくもに無視することではない。単に非常識を主張すればいいわけでもない。重要なことは、常識を成立させてきた背景と歴史を知り、それを超えるだけの知識と展望を持つことである。このことを抽象的で学問的な言語ではなく、目の前の人に役立つ生活の言葉として伝達することである。

 

●“はったり”という名の希望 

 

 

最後に伝えたいのは、燃え尽きないために「希望」が必要だということだ。どこかベタな言葉であるが、蜂の部屋が平面上に増殖し、ファイルをたくさん抱え込めるようになることだけでは不十分なのだ。

 

希望とは、未来を志向する時間軸における言葉である。カウンセリング場面において、しばしばクライエントから切望されるのは私から希望を与えてもらう、希望を供給されることである。直接語られるわけではないが、視線や表情が私にそう語りかけるのだ。

 

もちろんカウンセリングにおいて、肯定的未来や一年後を想定するといった技法はあるが、端的に効果を生むのは、教祖的で断定的な物言いである。これは残念ながら事実である。宗教と抵触するためカウンセリングにおいてそれはタブーであることは述べてきたが、効果優先のために「はったり」が必要になることがある。謙虚さの対極である大風呂敷を広げることが求められるのだ。

 

実際の身の丈より二センチくらいサバを読むのなら―― 一〇センチだと詐欺になるが――、わずかのフライイングで済むだろう。未来は誰にもだれにもわからないが、少しだけわかったふりをするのだ。

 

「大丈夫ですよ」「きっとそうなると思います」「なんだか、うまくいくような気がするんです」と語ることで、クライエントに希望を与えるのである。不思議なことに、そう語ることで私もその気になってくる。自己暗示と言ってしまえば簡単だが、未踏の地に一歩踏み出して宣言をすることで、現実が開けてくるような気がするのだ。

 

この無根拠な希望、はったりに過ぎない予言は、私の私生活においても応用されつつある。あるときから、「私は多くのひとから好かれている」「仕事はうまくいくに決まっている」といった法外な楽天性に身を任せるようになったのは、カウンセリングにおける希望の供給を自分に対しても実行しているのかもしれない。それなくしてセンターを運営しつづけることは不可能だったのかもしれない。

 

ここまでを振り返ると、どれもこれもけっこう強固で明確な、どこか無理やりな意志的行為に思える。

 

「それほどきつくないです」「おもしろいですよ」と繰り返してきたが、燃え尽きないためにここまで必要だったということは、カウンセリングは、私にとってやっぱりハードな仕事だったのかもしれない、と思う。

 

(信田さよ子「カウンセラーを見る」最終回 了)

 

 

★長い間のご購読ありがとうございました。第1部「カウンセラーは見た!」、第2部「カウンセラーを見る」の連載はひとまずここで終了させていただきます。後日、パワーアップして書籍の形でふたたびお目見えしたいと思っています。お楽しみに!

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