第9回 高台にのぼる仕事

第9回 高台にのぼる仕事

2012.8.20 update.

信田さよ子(原宿カウンセリングセンター所長)

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、
駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。
臨床心理士。依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、
家族関係について提言を行う。
著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、
『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ/イースト・プレス)、
『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』の墓守娘シリーズ(春秋社)他多数。
最新刊は『それでも、家族は続く――カウンセリングの現場で考える』(NTT出版)。

 

●サービス業としてのカウンセリング

 

思い切った言い方をすれば、カウンセラーとは、バーやクラブのチーママ、占い師、そして新興宗教の教祖を足して三で割り、そこに科学的な装いをまぶした存在である。これは私の長年の持論であり、水商売と占いと宗教の三要素がカウンセリングには欠かせないと考えてきた。

水商売というと引いてしまう人もいるかもしれないが、援助がサービスであるとすれば、サービス業の特徴をよく表している水商売とつながっていても不思議ではない。

 

ときどき、カウンセリングセンターを「カウンセリングルーム」と言い間違えるひとがいる。たしかに相談室を直訳すればそうなるが、英語圏では、この言葉を性的サービスを行う部屋という意味にも使っているようだ。スタッフのひとりが、一九九五年に現在の職場を開設するにあたってこのことを示唆してくれたため、ルームではなく、「原宿カウンセリングセンター」と名づけたという経緯がある。

 

センターでもルームでも変わらないと考える人もいるだろうが、当時十五名の女性臨床心理士だけの開業心理相談機関を目指していた私たちにとって、その区別は重大だった。医療という後ろ盾がないぶん、クライエントからの信頼を獲得することに汲々としていたからだった。

それから十六年余りが経ってあらためて考えてみると、性的サービスの間接的表現にカウンセリングという言葉が用いられていることの意味を考えさせられる気がする。文字通りサービスに明け暮れていると思うときも多いからだ。

 

 

●感情労働?

 

さて、「サービス」から連想するのは、感情労働という言葉である。

A.R.ホックシールド『管理される心――感情が商品になるとき』(世界思想社、二〇〇〇年)によれば、肉体労働、頭脳労働のいずれでもなく、感情的(エモーショナル)な側面を抑制したり、ときには鈍麻させ、忍耐するという労働が必要とされるようになってきている、という。

 

その本に例として挙げられているのは飛行機の客室乗務員だが、翻訳出版後十二年を経た現在、社会の隅々まで似たような労働が広がっている気がする。

お客から怒鳴られているデパートの店員、住民対応窓口で頭を下げている役所の職員、お客から暴言(ときには暴力)を受ける駅員などを見かけることは珍しくなくなった。

 

たしかに、カウンセラーには忍耐は必要かもしれないし、鈍麻させなければならないと思うこともある。しかし、だからといってそれを感情労働とひとくくりにしてしまうのはどうだろう。私には、別に感情を抑制しているという自覚はないからだ。

 

以前「共感」という言葉は使わないと述べた。正確に言えば、「カウンセリングにおいてはクライエントに共感しなければならない」「まず共感的であるべき」ということが常識となり、それが縛りなってしまっていることに疑問を感じるのだ。

なにより、感情だけを抽出して取り扱ってしまっていいものだろうか。それによって、クライエントへの共感が、「クライエントと同じ感情を抱けるかどうか」という問題に言い換えられ、焦点がずれることで矮小化されてはいないだろうか。

 

 

●「感情」を特権化する前に

 

クライエントの語る言葉、内容、そこから連想され広がる世界に対するカウンセラーの反応は、多様である。惹きつけられ、胸が高鳴ること、わくわくし、どきどきすること。スリル、驚愕、緊張、高揚、といった言葉で名づけようとしながら、いつも言葉が不足しているような感覚に襲われてしまう。

これらの事後的に生じる感覚は、「感情」というよりはるかに広く、混沌としているように思われる。

 

私は、そのときのクライエントの感情ではなく、私に生じた感覚を大切にしてきた。そして、それを惹起したクライエントの言葉を文章として読解し、構造化し、想像力を駆使して私なりに映像化しようと試みてきた。目の前に座っているクライエントの感情を推察しそこに入り込むのではなく、感情として析出される以前の、言語化未満の感覚にこだわってきた。

 

これによって、カウンセリングというのは人間存在の全体性を扱うものだと主張しているわけではない。

たしかに、クライエントと対峙しながら、まるで人間の本質を見ているような錯覚に陥ることがある。私はすぐれたカウンセラーだといううぬぼれと自己満足が湧いてくることもある。小さな部屋で、一対一で展開される世界だけを見ていると、そうなる危険性は十分ある。

 

しかしながら、アルコール依存症をはじめとするアディクションの問題、家族に生起する暴力の問題と向かい合うと、そんな危険性はどこかに吹っ飛んでしまう。

長年暴力を受けてきた、今も受けているという被害者と呼ばれる人たちが、DVや虐待、性暴力といったキーワードを手掛かりにカウンセリングに訪れる。暴力をふるってしまう、性的逸脱行為をやめられない加害者と呼ばれる人たちも、数多く訪れるようになった。前者はトラウマという視点が、後者はまず行動修正が最優先の課題となるからだ。

 

 

●「認知行動療法」と感情

 

カナダをはじめとする北米において、公的機関で仕事をする臨床心理士に求められるのは、効果のあるプログラム作成と実施した結果の効果測定である。性犯罪者処遇プログラムやDV加害者更生プログラムはその好例である。そのエビデンスに基づいて年々プログラム内容をブラッシュアップし、新たなプログラム開発をすることで、新たな公的助成金(ファンド)を獲得することもできる。

 

その基礎理論となっているのが認知行動療法である。アメリカやイギリスなどの英語圏に留学経験をもつ研究者や臨床家が増加することで、認知行動療法が効果検証可能な治療法であることはこれまた常識となりつつある。

 

二〇〇五年以来、DV加害者プログラム(*)を実施しているが、その源流はカナダ・ブリティッシュコロンビア州の認知行動療法に基づいたDV加害者更生プログラムである。

プログラムに参加するDV加害者の多くは、「怒らなければいい」「がまんすればいい」「感情を抑えるにはどうしたらいいか」と語り、最後は怒らせる妻が悪いと結論づける。そして、がまんの末に、切れて再暴力をふるう。怒りだけを析出しがちな彼らは、それ以外の感情は極めて貧困である点も共通している。

 

よく知られているように、認知行動療法の基本は、認知と感情と行動を分節化してとらえるところにある。プログラムでは、カッとする、頭にくるという怒りの感情に焦点化せず、彼らの認知をターゲットにするか、実際の行動を変えるように練習する。この方法は、彼らにとっては極めて新鮮であり、がまんできるかどうかの堂々巡りからの解放をもたらす。「感情によい悪いはなく、どんな感情もOK」というとらえ方も、同様である。

 

認知行動療法は、感情を直接ターゲットにしないことで、DVや性犯罪などの加害者に対する行動修正という目標設定を可能にし、一種の風穴を開けたと思う。

*NPO法人RRP研究会主催で現在も実施中。

 

 

●私はなぜプログラムが嫌いなのか

 

今後もDV加害者プログラムを実施していくことに変わりはないが、正直に言えば、私はプログラムというものがどうにも好きになれない。あのフォーマットというものに、わずかのアレルギーを感じてしまう。毎回同じ手順を踏むことがどうにも苦手なので、ついつい新しい方法論を学ぶ研修会への参加もためらってしまうほどだ。

 

一番大きな理由は、予測可能性に対する深い嫌悪だ。

プログラムは、それを基礎づける前提と方法、効果の予想といった明晰さがなければ形成できない。その「フォーマット化された明晰さ」を胡散臭いと思ってしまうのだ。

 

方法論はある仮説に基づいているし、それを前提とした予測は最初から帰結が見えている。その仮説を私は受け入れられるのだろうか、仮説を根拠づけるだけの言葉を私は持っているのだろうか、単に流行を追っているだけではないか、という不安がいつもつきまとう。

一九六〇年代から、心理療法の世界における浮き沈みや流行、新しいものに飛びつく人たちの姿を数多く見てきたせいなのかもしれない。だから明快なフォーマットを根拠づける理論に、どうしてもこだわりが生まれる。

借り物の言葉は使いたくない、それが私なりのささやかなカウンセラーとしての矜持である。

 

逆に、自分が他者から予想可能であることへの嫌悪も強い。

それは強迫的更新行動、言い換えれば反復性への恐怖として表れている。同じことをやっていてはいけない、先週と同じことをしゃべってはいけない、絶えず新しい要素を加えなければならない、という強迫である。

 

講演場所が北海道と九州であっても、同じような内容ではまずいのではないかと怯える。何度も、同じオチでもいいのではないか、これは落語だと思えばいいと考えようとしたが、無理だった。

「ああ、信田さんの講演ね、去年と同じだったよ」と言われることは、何よりつらい。言い回しを少し変えたり、以前と同じですが、などと言い訳をしながら講演を続けている。

 

何冊かの本を著してきたが、毎回意匠を変えることに汲々としながら、また同じことを書いていると言われないだろうかと恐れている。影踏みのように、自分の影を踏まれないように逃げ回っているようにも思える。そして、これ以上更新することができないと思ったときは、いさぎよく書くことをやめよう、などと想像している。

 

 

●予測不能だからこその高揚と疲労

 

繰り返しになるが、私がカウンセリングで疲れるのは、感情を抑制したり意図的に鈍麻させているからではない。まして、クライエントと同じ感情を抱こうとして、同じ苦しみやつらさを抱え込んでしまい、傷ついたり、重くなったりするわけではない。そんなことが共感ならば、私は共感しない。

むしろ、語られた内容をめぐって頭脳をフル活動させること、どんな言葉を用いるかに細心の注意を払うことで心底疲れてしまうのだ。

 

息遣いや、空気の流れ、言葉の間合い、語る速度といったものまで、すべてを瞬時の判断で選び取る。演出家と俳優を兼ねたような、ときにはジャズの即興演奏のようなクライエントの交流は、左脳と右脳の双方を活性化させ、過度の緊張と覚醒状態を維持しなければ不可能である。

 

それは予測可能性への嫌悪と裏腹である。この緊張状態と覚醒は、予測不能でなければ生まれない。未知の世界に日々直面することは、常に臨界点に位置することだ。そんな先の読めなさと即興性こそが、カウンセリングの醍醐味であり、恐ろしさでもある。

疲労はその結果生まれるのであり、フォーマット化されたプログラムによって生じる疲れとは異質なはずだ。

 

 

●感情が響くと鐘が鳴り、高台へ避難する

 

それが私にとってのカウンセリングのキモであるとすれば、むしろ感情は障害になる。

目の前でクライエントが涙を流すと、突然、座っている椅子が、す~っと後方に一メートル退くような感覚に襲われる。クライエントの姿は、遠のき、小さくなる。

性被害を受けたクライエントが、生々しく指を震わせながらその経験を語るときは、椅子はもっとうしろに下がる。反射的に、私の中で警報が鳴る。

 

「そこに入ってはいけない」

「表情を変えてはならない」

 

名状しがたい経験を語るクライエントの語る言葉や涙、嗚咽する声は、渦を巻いて私に襲いかかる。渦が大きければ大きいほど、後方に引っ張られる度合いは強くなる。

 

津波が襲ったときは、とにかく高台にのぼれというのが教訓だという。津波の比喩を用いるのが適切かどうかはわからないが、クライエントの感情表出に対して、「とにかく高台にのぼる」ことが身体化され、一種の装置になっているようだ。

装置が作動すると警報が鳴り、自動的に私の椅子は後方に退く。おそらく、それは四十年の臨床経験からつくられたものだろう。

 

 

カウンセリングで思わず涙を流したこと、なぜか指が震えてしまったこと、その瞬間、私の姿が少し遠ざかったことに、クライエントは気づいているはずだ。

私たちのことはすべてクライエントによって感知されている。それを知っていることが、クライエントに対する信頼だと思う。

 

あなたが抱いている考えや感情は、どれほど強く渦を巻いていようと、すべて当然である、涙することも、恐怖にふるえることも、何の不思議もない。誰かを殺したいと語っても驚きはしない。あなたが語る内容は、すべて私の世界の中では納得できるし、了解可能なのだ。

私はそう考えている。

 

その渦に私が巻き込まれることを、クライエントは望んでいるのだろうか。カウンセラーである私はそこから逃れなければならないのだ。装置が作動し、高台にのぼることを、彼ら彼女たちも望んでいるのだ。

 

 

●私は泣き虫に戻れるのだろうか

 

この装置は、仕事を離れた場面でも作動することがある。知人がつらい話をしながら涙を浮かべた途端、ふっと遠くに離れる感覚に襲われるのだ。気がつくと、顔つきまで無表情になっているので、あわてて相槌を打って悲しげな表情をつくる。

 

大勢でわいわい歓談しているときでも、装置が作動することがある。誰かが私に対して打ち明け話をし始めたりすると、警報が鳴り、装置が働きだすのだ。時には、その無表情ぶりから、冷たい人だと思われたりすることもある。

これらは明らかに誤作動なのだが、装置のスイッチは自動化しているのでどうしようもない。

 

振り返れば、私はけっこう涙もろいほうだった。小学校のときから、卒業式は誰よりも激しく泣いていた記憶がある。ところが、ふっと気づくと人前では涙を流さない私になっていた。

まんざら年のせいでもないはずだ。見られてもかまわないところでは、けっこう泣くし、昨年の三月十一日以降は、テレビの前で涙を流さない日はなかったのだから。

それほど深く装置が埋め込まれてしまったのだろうか。とすると、やはりこれは一種の職業病だ。

 

いずれ、カウンセラーであることを辞めるときが来れば、その時はふたたび泣き虫の自分に戻れるのだろうか。そして、高台にのぼることを指令する装置は作動しなくなるのだろうか。

(信田さよ子「カンセラーを見る」第9回了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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