『毛のない生活』 山口ミルコさんに会う 後編

『毛のない生活』 山口ミルコさんに会う 後編

2012.5.22 update.

山口ミルコ イメージ

山口ミルコ

エッセイスト、出版プロデューサー
1965年東京都生まれ。
角川書店雑誌編集部をへて94年2月、幻冬舎へ。
プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで、幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。
2009年3月に幻冬舎を退職後はフリーランス。
ジャズ・吹奏楽関連の執筆や演奏活動もしている。
ミシマ社のウェブ雑誌「平日開店ミシマガジン」に「ミルコの六本木日記」を連載中。
http://www.mishimaga.com/mirko-roppongi/index.html
本に書かれなかった第33回「豆腐屋デート」は胸きゅん。泣ける。

 

『毛のない生活』

山口ミルコ著、ミシマ社、1500円+税

敏腕編集者、会社大好き、そんな著者が思いもよらぬ退社。その一ヶ月後、ガンを宣告され、突然闘病生活が始まる。

「まさか自分が坊主になろうとは。起きてマクラが髪の毛だらけで真っ黒だったあの朝のことは、生涯忘れないだろう」

何も「ない」日々のなかで見えてきた「これから」の生き方。

毎日を真摯に生きる全ての現代人に捧げる渾身のエッセイ。

(帯より引用)

 

 

取材:石川誠子 医学書院 編集者

 

ミルコさんの『毛のない生活』は、読んでもつらくならない闘病記だ。

ミルコさんがまっすぐこちらを見つめた表紙も、文体も、内容も、すべてがすがすがしい。

「読んでも怖くない闘病記を書こうと思ったんです。闘病記って、普通、重くて読みたくないじゃないですか」

というミルコさん。

 

「だから、たとえ状態が落ちても、“結局良くなるんだ”ということを間に挟み込むようにして、読む人がつらくないようにすることは意識しました」

だから、根性試しにならずに、“ミルコさんは結局どうなっちゃうんだろー”という関心のままぐんぐん読めてしまうのだな。

 

徹底して変えたのは食事だ。いま、肉は一切食べないという。米、玄米、野菜、豆を食べる毎日。

 

――ガンの栄養になりそうなものは好物でもすべて辞めた。慣れるとあんがい平気なもので、いままでぜいたくしすぎだった。

――(収入が多くあったときの)その生活は体に負担をかけることがあるし、贅沢は内臓をただれさせる。

 

「食事って心だなとつくづく思うんですよ。肉を食べなくなってから、怒りというものがすごく減りました。たまに怒ることがあっても持続しないんです」

 

ここまで聞いて、自分はふと思う。

ミルコさんのことをまるきり他人事と思える人なんていないだろうなと。

仕事でやりたいことを実現させようとしたら、何かしら無理をする部分はある。

 

自分の場合は、どちらかというと、食べ過ぎるというよりは、仕事が忙しくて残業で遅くなれば、まともに食べられないことが悩みだったりする。

精神的にも追い詰められれば、私のDNAがいま傷ついてるなーと感じることもある。焦りが夢に出たり、早朝覚醒したりもする(たまにだけどね)。

 

身体の限界の声を聞かずに、過去何度ぎっくり腰だの身体のゆがみだの頭痛だのを経験してきたことか。

それに対応するために、サプリメントやらマッサージやらに膨大なお金をかけてきた。コーヒーも頭痛を抑えるために飲まずにはいられなくて、がぶがぶ飲んでいた(『イシカーさんのまた買っちゃいました』参照(笑)。)そして常にうつ的な考えに襲われていた。

ガン予備軍だったと思う。

 

だからミルコさんの考え方、このようにして生き延びたという経験は、自分には他人事じゃなく沁み込むのだ。

 

それにしても、この走り続けなければいけないような世の中全体の過剰な強迫は、どこからくるんだろう。

 

ミルコさんは、ガンの治療にともなういろいろなしんどさを経験し、身体を大事にするなかで、世界への視点がどんどんと変わっていく。

 

――「効率、便利、わかりやすい」の追求がきわめて20世紀的であり、今日ある多くの問題の源泉だという。

――質より量の時代は、完全に過ぎ去った。金融も、都市生活も。

――私は食事を変え、浪費をやめ、20世紀的生き方と決別した。

――成長、拡大、増殖のメッセージはもうたくさんだ。

 

そう、これは小商いの視点だ。

共感スイッチ押しまくりである。

原発問題しかり。

成長、拡大、増殖の強迫から脱出するのだ!

 

食は、環境とセットの地球規模の話だ。

たくさん市場に出すために化学薬品で管理する。それは地球を汚し、私たちの身体を汚す。

 

――オーガニックとは、食べ物を個人に取り戻すこと、工業化された作物を食べている現状についてもう一度それぞれが考えなおし、食をめぐる環境を作りなおすことだ。

 

 

「いまは、ちびまるこのような生活です」

とミルコさんは言う。

 

それは朝起きて、夜寝るまでの間の生活のこまごまとしたことをおろそかにしないでかみしめながら丁寧に生活する、ということを指しているように思った。

 

――それなりに憂鬱なこともあるし、毎日寒い。なのに、このところ、朝目覚めるといつも、すがすがしい。

――わけがわからないが、どうやら私は、体本来の力を取り戻しているようだ。

――まともな自分。

――本来の自分への回帰。

 

あのー、ほんとに無責任に聞こえたらごめんなさいと思いつつ、やっぱり書きますけど、

ミルコさん、こんなふうに生活をしていかれたら、再発しないと思うのですよ、私は。

 

それから医療者じゃない私が書くのも変だが、医療者がこの本を読んだら、きっと嬉しいんじゃないかなと思う。

だって医療者って、患者さんのもっとも大変な時につきあう人だ。

ガンを切除するために入院しているときとか、再発したときとか。

ストレス最大で揺れ幅の大きい患者さんの心につきあう医療者もまた、“被爆”しやすいのだ。

 

でも、ガンを切除したのち、こんなふうに考え方と生活を変えて、生きている、

それも前よりちゃんとすこやかに生きている人を知ったら、それは希望だし、自分が医療者としてやっていることの意味を確認できる思いがするんじゃないかなあ、と……。

 

と、と、と、

つたないレポートはここまで。

 

 

 

『毛のない生活』 は  

ガンにならないため、再発させないための示唆にもあふれた本。

そしてガンの治療後に生きていくためのヒントがある本。

患者さんに勧めるのも◎。

 

 

 


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