かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2011.11.24 update.
1960年生まれ。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院精神科主任を経て、99年、名越クリニックを開業。専門は思春期精神医学。精神科医というフィールドを越え、テレビ・雑誌・ラジオ等のメディアで活躍。著書に『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書、2010)、『薄氷の踏み方』(甲野善紀氏と共著、PHP研究所、2008)などがある。2011年4月より「夜間飛行」(http://yakan-hiko.com/)にて公式メルマガスタート。
本稿は、2011年6月29日に行われた「名越康文連続講義 現場で生き残るための心の技法」での名越康文氏の講義を元に再構成したものです。
前回より続く(今回より、6月29日に行なわれた連続講義第1回の内容に入ります)
怒りと欲、どちらで人は傷つくか?
さて、「痴」についてとりあえず問わないとすれば、後は「貪」つまりは「欲」と「瞋」つまりは「怒り」です。それで、両者を比較したとき、破壊的なのは「怒り」だというのが僕の考えです。欲だけの人と怒りだけの人、どっちがはた迷惑かといったら、それは怒りだと思うんです。座布団の下にまでお金を敷き詰めてるような欲どおしい人がいたら、確かにあんまり気持ちはよくないかもしれないですが、それよりも、常日頃怒り通しの人のほうが、周囲の人は大変です。
例えば仕事を早引けさせてもらおうとするときに、「怒り」の人というのは、自分が今日までいかにがんばってきたか、今日は早引けせざるをえないんだということをことさらに主張して、「早引けしたって問題ないでしょう!? 違いますか」と訴える。それに対して「欲」の人というのは、悪びれずに「ごめんね~、悪いけどお先に帰らせてもらいます~」とデートの妄想に気もそぞろ、というイメージですね。さて、どっちがましでしょうか?(笑)
後者は、たぶん早く帰って、彼氏とフランス料理とか食べにいきたいだけなんですよね(笑)。それに対して、前者は、もしかすると、子どもを保育園に迎えにいかなきゃいけないとか、まっとうな理由がある。でも、「なんで私が、ちょっと早引けするぐらいでこんな肩身の狭い思いをしなきゃいけないんだ」と怒っている。これだけ聞くと、この人のほうが正しい人のように思えるじゃないですか。
でも、相手からするとどうでしょうか。終始怒っている人と欲どおしい人だと、どちらかというと、欲どおしい人のほうが、やっぱり周囲の人間としては、傷つかなくて済むと思うんです。
怒りは自分を傷つける
「怒り」と「欲」では、他者への侵襲度が違う、ということがひとつ。でもね、怒りの本当の問題は、何よりも「本人の心を一番深く傷つける」というところにあるんです。
怒ってしまった次の日の朝、自分の心身をよく観察してほしいんです。寝起きが最悪だと思うんです。めちゃくちゃ暗くて、嫌な感じ。起きるのも嫌だし、首も、腰も痛い。そういう寝起きが続いてるようなら、それだけでもどんな病気になるかわかったもんじゃないですよ。
そうやって自分を傷つける怒りには、いろんな種類のものがあります。僕らが通常、「怒り」とは認識しないものも、仏教的には「怒り」にカテゴライズされているんですね。1月の講義でも「暗さ」「軽視」といったものが怒りであることをお話しましたが、ほかにもいろいろ怒りの種類があります。
「激怒」というのも、もちろん怒りです。何かの時にカンに触ってもう、怒りで震えるくらい腹がたつということ、年に何回かはある、という人も少なくないでしょう。それから「嫉妬」というのも、怒りですね。「私は嫉妬なんかしたことないです」という方もおられますが、僕は、客観的にみて、嫉妬がない人というのはあまりみたことがない。「良かったね」「すごいね」といいながら、どこか機嫌が悪くなっている、ということないですか? そういう、多種多様な怒りが、僕らの心身を疲れさせているんですね。
「軽視」が怒り、というのがピンと来ない人もいますよね。軽視というのは、「要するにこういうことでしょ」「早く結論言いなさいよ」というような態度に表れるような怒りですね。この「軽視」が目立つ人は、別の見方をすれば、心の中に物語性が足りない、という面があります。「要するにこうよね」とまとめたくなるのは、物事の推移をちょっと俯瞰的にみたり、それを動かしていくことを楽しむメンタリティが足りないからではないでしょうか。物語性が足りないと、軽視が増えてくる、というところがあるんですね。
ともあれ、こうした「怒り」にまつわる話を聞いて「ああ、そういうふうに言われると私は怒ってばかりいる」と思われた方は、そのことで自己嫌悪に陥る必要はまったくありません。むしろすでに5歩くらい、心理学の学びの道に足を踏み出せている、と自信を持っていただければと思います。
なぜかというと、私の観察では、98パーセントぐらいの人が、怒りのかたまりだからです。ある人はひねくれるという形をとったり、ある人は無視するといったように、いろんな形をとるからわかりにくいだけで、ほとんどの人は、程度としてはあまり変わらないくらい怒りにとらわれています。もちろん、中には怒りの少ない人もいらっしゃいますよ。98パーセントだとすれば、100人に1人か2人は、あまり怒らないという人もいるでしょう。でもそれくらい、本当に少ない数と考えていい。
ですから、自分の中の怒りに気づくこと、それは非常に大きな一歩だと考えていただいていいんです。
うつ病であれ、統合失調症であれ、精神的な病の多くには、何らかの形で「怒り」が関与しているように思います。毎日、自分や他人に対する怒りをためこみ、それを原動力にして、自他の心身を破壊する。逆にいえば、これとは異なるプロセスで精神を病む人というのは、数としてはそれほど多くないというのが、臨床上の実感です。そして、はっきりとは精神を病んでいないとされる僕たちも、怒りによるダメージを負っているという点では、それほど精神疾患患者の方々と違いはない、と認識したほうがよいでしょう。
第10回に続く