日本のゲノム情報を守りたい

日本のゲノム情報を守りたい

2020.12.21 update.

書籍執筆/番組リサーチャー: 坂元志歩(さかもと しほ)

サイエンスライター・サイエンスコミュニケーター・編集者。長野県飯田市に生まれ、東京で育つ。都立新宿高校、日本女子大学卒業。国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)研究員、東京大学先端科学研究所助手などを経て、研究を伝えるコミュニケーターとして活躍。1997 年より科学雑誌『Newton』で、ライター・編集者として多数の記事を制作し、シニアエディターを経て2003 年に独立。ライター業と並行して、NHKの大型科学番組にリサーチャーや番組書籍の執筆者として携わる。生命科学を専門とし、現在は生物学を通じた哲学にもテーマを広げて活動を行っている。
主な担当番組は、NHKスペシャル『シリーズ「人体」』『女と男-最新科学が読み解く性-』『ヒューマン なぜ人間になれたのか』『プラネットアース』など。著者に『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』(光文社新書 2013)、『うんちの正体 菌は人類をすくう』(ポプラ社 2015)、『いのちのはじまり、いのちのおわり』(化学同人 2010)などがある。
note の「世界を歩く」( https://note.com/sekaiwoaruku)で、科学エッセイを執筆中。

『NHKスペシャル人体II 遺伝子』(2020年9月刊行)は、NHKスペシャル「人体」取材班の膨大な取材を経て作られた同名番組の書籍化企画です。

 書籍化にあたって番組で放送しきれなかった要素もたくさん盛り込みましたが、その中でさえも盛り込みきれなかったお話がまだまだたくさんあります。

 そこで、本書のメイン執筆かつ番組のリサーチャーを担当された坂元志歩さんに、本書をさらに楽しむための舞台裏エピソードを全2回に分けて紹介していただきます。今回はその第2回目です。

 

■不思議な魅力の持ち主と出会う

 前回はCGに関するリサーチについて書いてみました。今回は、書籍では紹介しきれなかったこぼれ話について書いてみようと思います。

 2019年に放送したタモリ×山中伸弥の「人体」シリーズの第2弾、『遺伝子』では、ゲストとして登場した芸能人の方々のDNAを調べさせてもらいました。耳たぶの形ですとか、禿げる可能性などに関係するDNAの検査結果をご紹介しました。ただ、NHKの番組では規則上、市販されているものをご紹介することはできません。そこで、この場を借りてそのあたりのエピソードに触れてみたいと思います。

 DNA検査についてまずご相談したのが、当時東京大学医科学研究所にいらした宮野悟先生でした。宮野先生はがんゲノム研究の第一人者であり、長くゲノム情報の研究を進められてきた先駆者です。すでに数々の実績がある偉い先生との対面とあって、もともと緊張症で人見知りでもある私は、かなりのビビりようで取材に臨みました。

 取材に行くと、たまにですが不思議な感覚に見舞われることがあります。この時もそうでした。始めはものすごく緊張していたのですが、お話を進めるうちにだんだんと先生とのお話がとても楽しくなっていったのです。宮野先生は業界の裏話も含め、ゲノム科学の現状についてとても正直にお話しくださいました。

 宮野先生のお話に惹かれていったのは、年下の私が申し上げるのは失礼かもしれませんが、先生ご自身のチャーミングなお人柄が見えたこと、そして何より日本のゲノム科学研究をどうしていきたいかという志が見えたからでした。

 

■個人情報秘匿と研究の狭間を埋める

 ゲノム情報は、大きな資源です。ましてや日本で暮らす人の遺伝情報は、日本という国の健康・医療問題に直結する貴重な情報です。こうした情報が、政治的な取引の材料や一部の人たちに不利になるような使われ方をされることがないようにしなければいけません。この貴重なゲノム情報の厳格な管理と、そこからスムーズに研究につなげ、それを人びとに還元していくしくみをつくること。宮野先生が動き始めた当初にも、すでに構想をしていたり、そのようなことを行っていたりする機構や企業はいくつかありましたが、宮野先生の理想にはほど遠いものだったようです。

 ゲノム情報を研究に使用するための第1のハードルとなるのは、個人情報を守りつつ、何度もその個人とつながることができるしくみをどのようにつくるかということです。個人情報は秘匿されるため、一度採取したゲノム情報をもつ個人の方と再びつながってさらなる研究参加を呼びかけることは、当時の方法では困難を極めていたといいます。そこで宮野先生が話を持ちかけたのが、DeNAという企業でした。DeNAは、5000万人のユーザーのID登録を預かり、同社のゲームプレイヤーの個人情報を守りつつ、プレイヤー個人ともつながり続けるスキームをすでに持っていました。宮野先生はここに目をつけ、2013年にDeNAの創業者の南場智子さんと故人となられました紺屋勝成さんを説得したそうです。たった15分の宮野先生のプレゼンテーションで事業開発が決まったとのことで、そのプレゼン力と、プレゼンを受けた側の理解力の高さに驚くばかりです。

 

■大事な情報だからこそ開示する

 その後、DeNAは子会社DeNA Life Scienceをつくってこの事業を行い、DNA検査は「MYCODE」という名称でサービスが提供されて現在に至っています。事業が立ち上がるまでは、DeNAとは100メートル競走を1年間続けるようなプロセスだったそうです。大学の研究者としては経験したことのないようなハードな状況で、この事業の実現にむかってDeNAと併走し続けたと伺いました。

 そもそも番組でDNA検査を行おうとしたときに、DeNA Life Scienceが上市していたMYCODEに目を付けたのは、WEBサイト上に公開されている科学情報量が多かったからです。番組を制作する側としては、ファクトチェックを行いやすくとても助かるものの、同時に、これだけ情報を開示してしまったら知識のある人だったら簡単にサービスを真似できてしまうのではないかと疑問ももちました。

 じつはこの点について、宮野先生とDeNAの間でも会議を重ねられたそうです。はじめはDeNA側から少し抵抗もあったそうですが、検査の元になっている情報を開示した上で他に真似できないようなサービスを構築すること、また、こうしたゲノム解析事業を行っている団体全体の技術力の底上げとなるということを最終的にはDeNAも納得して、科学的な情報ソースのほぼすべての公開に踏み切ったということです。論文名や、参照している計算式までもが公開されています。

 

■次々に立ち上がる人びと

 科学的な取り組みが認められるようになり、DeNAと、もっと言うと研究に共感したMYCODEの会員と、企業も含めた研究機関の間で、現在、共同研究が進められています。

 『シリーズ「人体」Ⅱ 遺伝子』の中で、オックスフォード大学のスティーブン・フレンド博士が推進する“ヒーローDNA”の話を紹介しました。世界中にいる、難病に必ずなってしまうはずの遺伝子の変異をもちながらも全く何の問題もなく暮らしている人たちのことを、フレンド博士は「知られざるヒーロー」と呼んでいます。そうした人たちを調べることでその人たちが難病を免れている理由を明らかにし、将来的に難病で困っている人たちの治療へ役立てようとしています。

これと似たような構図で、MYCODEの会員の方々と研究機関の間でまさにプロジェクトが行われているのです。このプロジェクトは「MYCODE Research」と名付けられていて、研究機関はDeNA Life Scienceを介して、プロジェクトに参加表明をしたMYCODEの会員と間接的、もしくは直接的につながります。インターネットによるアンケートなどを行いながら、その回答結果と会員のDNA配列との関連を解析し、日本人の体質や病気についての研究を進めます。これはまさに誰かのためにヒーローになろうという人が立ち上がっているようにも感じます。ちょうど取材を行った2018年には、研究に参加表明したMYCODEの会員の方の細胞から横浜市立大学でiPS細胞をつくり、非アルコール性脂肪性肝疾患の研究を進めるというプロジェクトが始まろうとしていました。日本で暮らす人びとのゲノム情報が、きちんとした形で維持され、それがこの国の、もしかしたら世界中の誰かを救うための道を照らし出すかもしれない。「日本のゲノムデータを守りたいのです」取材中に宮野先生が語った言葉が、2年以上経つ今でも心に響いています。

NHKスペシャル 人体II 遺伝子 イメージ

NHKスペシャル 人体II 遺伝子

生命の奥底で躍動する遺伝子の姿を、高精細CGで描く! NHK人気番組の完全書籍化
▼第1集 あなたの中の宝物“トレジャーDNA”
DNAには長らく役割が不明で“ジャンクDNA”とさえ言われた領域があった。しかし、最新科学がそこに光を当てた。ゴミの山と思われていた場所から、いま次々と「トレジャー」が発見されている。
▼第2集 “DNAスイッチ”が運命を変える
人は、生まれ(遺伝子)と育ち(環境)どちらが重要か? 答えの鍵は“DNAスイッチ”とも呼べるしくみ、「エピジェネティクス」にあった。

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