COVID-19が照らし出す看護、<br />および共感・想像・ケアリングへの道徳的源泉としての芸術の役割

COVID-19が照らし出す看護、
および共感・想像・ケアリングへの道徳的源泉としての芸術の役割

2020.6.25 update.

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パトリシア・ベナー Patricia Benner

カリフォルニア大サンフランシスコ校社会行動科学看護学研究科看護学名誉教授。米国看護アカデミー(the American Academy of Nursing)会員。英国王立看護協会(the Royal College of Nursing)名誉会員。 パサディナ大で看護師になる教育を受け,カリフォルニア大バークレー校で博士号を取得。カリフォルニア大サンフランシスコ校看護学部で研究に従事。社会科学者,人文科学研究者であり,経験豊かな看護師,専攻科長経験のある教授でもあった。 著書多数,中でも『From Novice to Expert : Excellence and Power in Nuring Practice』(邦題『ベナー看護論――初心者から達人へ』,医学書院)は10か国語に翻訳され,世界中の看護師に親しまれている。

 記念すべきナイチンゲール生誕200年を迎えた今春、世界はCOVID-19のパンデミックに見舞われています。このような状況下では、日々更新される科学的知識に基づく医療の提供が大切です。でも、はたしてそれだけでよいのでしょうか? 看護を行っていく上で、病気や苦しみといった患者の経験を理解することは不可欠です。そのためには、芸術や人文主義的アプローチを用いながら、豊かでニュアンスに富む言語で患者の経験を捉えてこそ、ケアリングや共感的な態度につながるのではないか――

 看護理論家として高い人気を誇るベナー博士のCOVID-19に寄せるメッセージをお届けします(ベナー博士が運営される看護教育のためのwebサイトEducating nurses.comより5月10日の記事を翻訳の許可を得て掲載)

 

 

 

 フローレンス・ナイチンゲール生誕200年の記念日は、COVID-19が照らし出す看護を発見する日となるでしょう。このパンデミックの期間が持つ意味を捉えて吸収するには何年もかかるでしょうが、私は最前線で活躍する看護師たちに、自分のストーリーを語り、その体験を明らかにし、記録することをお願いしたいのです。客観性や「コントロール」によって痛みから自分自身を守ろうとするのではなく、他者の脆弱性や苦しみに対応するように私たち看護師をいざなう共通の人間性に、看護が親密な見知らぬ人たち(intimate strangers)注1)をいかに招き入れるものであるかを私たちは認識する必要があります。

 

注1)匿名性を前提にしたメディア上での親密な他者を意味する。

 

 COVID-19のパンデミックによって、看護師、患者やその家族は、はかり知れないほどの影響を受けています。多くの看護師が、家族から隔離された死にゆく患者に安楽を提供するときの苦悩を報告しています。患者とその家族、医療従事者は、自身と他者の安全を心配しています。私たち看護師の中にはCOVID-19を発症した者もおり、このウイルスによる看護師の死を悼んでいます。私たちには立ち止まって振り返る時間があまりにも少なかったため、実際、今後何年にもわたってこのパンデミックの悲劇を吸収していくことになるでしょう。この危機の真っただ中にあって、パンデミックの結果として私たちが共有している悲しみや試練に耳を傾け、振り返り、認めるための時間をつくることは賢明なことです。この振り返りは、時間がないと感じているときでも必要です。この危機に、私たちは科学が提供しうる最高のものを必要としていますが、私たちの懸念や恐れ、悲しみを表現し、対処するために、人間科学、人文科学、精神的伝統もまた必要なのです。私たちは、科学が提供するものを超えたこの種の振り返りがつまらないものであるとは考えていませんし、この危機への要求に対応する間も無視されるべきであるものとは考えていません。病気や苦しみという人間の経験について、いったん立ち止まって考えてみるにはよい時期のように思えますし、そのために私たちは芸術や人文科学に目を向けたいと思います。

 

■スピードアップ型コミュニケーションと科学用語の限界

 

 Kari Martinsen博士が2020年3月の対談で指摘したように、医療は、迅速に提供され、客観的で非個人的な言語を使用しなければならないという経済的および組織的なプレッシャーにさらされています。看護師は、緊急事態や業務過多ゆえ、つねに時間が足りず、日々奮闘しています。このようなスピードが増したコミュニケーションの中では、患者/家族の懸念、臨床情報の文脈、質問、未知のことは抜け落ちてしまうのです。これは、患者の安全、患者や家族の経験の理解、および共感的なケアを損なうことになります。私たちの言語や看護業務の簡略な記述は、このことを反映しています。電子カルテの作成や同僚への患者についての報告も、可能な限り短くし、患者の現在抱えている懸念や悩み、脆弱性、患者がどのような一日を過ごしているのかなどを省くこともしばしばです。スピードアップ型のコミュニケーションは学生の臨床経験――患者が弱っている時にどんなニュアンスで支援するか――を学ぶ機会にも影響を与えています。

 

 科学的な診断用語は、病気や脆弱性という人間の経験について話すには適していませんし、Martinsen博士が病気の極限状態や不確実性の中で患者や家族のそばにいてケアをすることを「神聖な瞬間」と述べているように(2020年3月のインタビュー)、患者や家族のための「神聖な瞬間」を語ることには向いていません。カリフォルニア大学サンフランシスコ校看護学部で行われた2019年のThelma Shobe講演では、Eva Gjengedal博士が次のように述べています。

 

 「科学用語(scientific language)は主に認知能力に訴えかけますが、芸術的な表現(artistic expression)は感覚全体に訴えかけるかもしれません。芸術は、伝統的な言語を用いて説明しようとすると苦労するような経験とのつながりを喚起するかもしれません。それゆえに、私が主張しようとしてきたように、芸術的表現は臨床の実践においても、質的研究においても、重要な追記となりえるのです」

 

■豊かでニュアンスに富む言語で経験を語る

 

 看護やケアリング実践の本質を理解し、表現する上での芸術と美学の役割に関心を持っている研究者・Eva Gjengedal博士との対談は、看護やケアリングの本質的な性質には、人間の関心事、意味、生きられた経験(lived experiences)を含む、より豊かでニュアンスに富む言語が必要であることを指摘するものです。Kari Martinsen博士の影響を受けたGjengedal博士は、看護におけるケアリングとケアリングの実践を捉えるために、人文科学を活用することを提唱しています。

 

 「ノルウェーでは、自然科学と人文科学という2つの陣営間での議論は徐々に減り、現在では多元主義をより大きく受け入れる流れが取って代わっていますが、それが合理的であり、重要であると感じています。私は今でも、看護実践の伝統的な価値観を大切にするためには、人文科学的なアプローチが重要であると信じています。一般的に、人文科学の研究の目的は、一般的な法則や因果関係を確立することではなく、文化的・歴史的文脈の中で人間を理解することにあります……私の実証研究は、主に現象学、特にエトムント・フッサール(1936/1970)とモーリス・メルロ・ポンティ(1945/2014)の哲学に触発された一人称的視点(first-person perspective)に基づいており、"生活世界(ライフワールド)の現象学 "と呼ばれるかもしれないアプローチです。この視点は、看護師が純粋に生物医学的な理解を超えて患者の状況を洞察する機会を切り開くかもしれません……この点では、芸術的な表現が有用です。研究においても芸術の言語を使用することで、無言の経験を表現しやすくなり、科学的な省察と人間の理解を深めることができるかもしれません」

 

 Gjengedal博士の初期の研究では、人工呼吸器を使用している患者が最近経験したことをテーマにしています(Gjengedal 1994)。参加者の一人称の語りから、人工呼吸器治療への恐怖、不快感、誤解が明らかになりました。Gjengedal博士の研究における人文主義的アプローチには、患者に詩を書いてもらい、病気の経験、懸念、脆弱性や病気に関連する意味を表現してもらうことも含まれています。彼女はまた、演劇、詩、小説などを用いて、ケアリングの実践や、ケアする側とケアされる側の関係性のダイナミクスを人文主義的研究や教育の中で探究しています(Gjengedal et al.,2013,2018, Synnes et al.,2020)。

 

 Gjengedal博士の仕事は、病気、脆弱性、ケアリングの実践という生きられた経験を明らかにし、豊かな想像力のある言語を与えようとしています。科学用語は、客観的な脱文脈化された知識を提示する表現に焦点を当てています(Taylor, 2016)。客観化することと切り離すことは、ケア提供者が患者の苦しみから自分自身を遠ざける方法になります。客観化された科学用語は、患者や家族の具体化された生きられた経験を切り離し、覆い隠すことを可能にします。しかし、その人の人間的な顔を真に見ることができるようになるまでは、そして、共通の人間性と脆弱性の観点から、その人の懸念や経験についてオープンな姿勢で好奇心をもつまでは、私たちはその人に出会うことができません(Levinas, 1998)。他者の懸念や恐れ、意味を感じ取るために、私たちはオープンで敏感でなければなりません。科学用語は、客観的な生理的身体のみを明らかにし、生身の脆弱な身体は明らかにしないため、よい看護に不可欠なケアリングの実践や同調することが欠落したり、完全に回避されたりします。文脈から切り離され、客観化された言語を使用すると、懸念、関係性の問題、患者の経験、患者の窮状の理解、関係性のあるケアの実践といったよい看護の実践には不可欠なものが必然的に省かれてしまいます。自然科学の言語は因果関係の説明を強調しますが、人間科学は理解を含みます。人間が生活を営む中で、理解は、しばしば人間の行動や懸念を説明するための最良の方法です。だからこそ、芸術、詩、小説、そして人間の関心事、行動、関係性、生きてきた歴史の中心となる言語が、苦しみや脆弱性がいたるところに存在する医療には不可欠なのです。

 

 高度な個人主義的社会では、私たち社会的存在は、ライフストーリーをもち、社会的に認知されたアイデンティティを体現することに依存しています(Taylor, 1991)。 私は、このような専門的なレベルの無関心と共感の欠如は、急速なペースで進む医療提供とともに、身体的な病気、怪我、喪失について、私たちが専門的で無味乾燥で科学的で客観的な説明をすることによって助長されていると思います。医療は、科学的で客観化された言語なしでは実施できませんが、芸術と人文科学なしでは、有効で共感的なものにはなりません。科学のプロセスでは、個々の要素を識別し、それをある因果の説によって一連の一般化をし、再結合します。これは説明や治療法の開発には必要ですが、人間の経験を理解するためには十分ではありません。

 

 人間科学と芸術は、あらゆる病気の意味の側面を扱うことができます。喪失と苦しみを伴う特定の生活世界に住む意味は、対処、回復、自己理解、治癒を促進するために取り上げられなければなりません。詩学、物語、意味、そして世界における自分の足場の性質(Taylor, 2016)は、Charles Taylorのような哲学者が表現的で構成的な言語の機能と呼ぶものです。Taylor、Gjengedal、Bennerは、個人的な物語なくしては、また、その人の病気、苦しみ、安寧、生活世界の関心事に関連した意味や懸念を探求することなくしては、人間の意味、アイデンティティ、世界における足場を理解することはできないと主張しています。個人的な物語は、伝記や偉大な小説として読まれる物語と同様に、時間を超えた変化、すなわち "移行(トランジション)"を扱っています。移行とは、Taylor(2016)が言うところの、何らかの形での誤解や阻害されたスタンスから、より広く受容する、あるいは解放的なスタンスへと移行するプロセスのことです。身体的・社会的な損失を伴う損傷を受け、身体の変化を経験した人間は、自分のアイデンティティ、意味、世界における足場が永遠に変わってしまいます。医療提供者として、私たちは、病気、苦しみ、喪失といった人間の経験を捉えるために、このような豊かな言語をあえて排除してはなりません。科学で用いる言語では、意味や自己理解、共有された社会的理解、そして、Taylor(2016)が指摘するように、自分の生活世界における「足場」を扱うことはできません。

 

 患者の身体と人間性が根本からショッキングな変化を遂げていく中で、患者の自己理解、意味、懸念を捉えるためには、比喩的で物語的な説明が必要です。あらゆる怪我や病気は、その人の生きられた経験の文脈の中で、病気の経験の物語としてある程度体感されます (Benner & Wrubel, 1989)。専門的な医療提供者として、私たちは典型的に「本題に入る」――病気や怪我の説明を機械的、機能的、科学的な言葉で捉えてしまいます。 Eva Gjengedal博士の人間論的な研究と、患者の生きられた身体、病気の経験、病気や苦しみの中での懸念や脆弱性をより広く理解するための探求から、私たちが学ぶことは多いのです。

 

■あなたの最前線での体験を書き記してほしい

 

ケアリングの実践を理解し、具体化するには、人文科学の洞察力、知識、そしてより表現力の豊かな言語が必要です。患者も看護師も、健康や病気における人間の経験の全貌を捉えるために、芸術と人文科学の洞察力と表現力を必要としています。この危機において、世界的な苦しみとケアの必要性が叫ばれているこの時期に、あなたやあなたの学生たちが経験している強烈な体験を書き、記録し、語り継いでいってほしいと願っています(もちろん、個人情報を保護しながら)。看護師は最前線に立つ医療提供者であり、現時点で私たちの集合的物語の証人となります。この進行中のパンデミックにおけるあなたの最前線での経験は、私たちの集団的理解と対処に不可欠です。あなたの話をお聞きしたいと思いますし、このような記述をさらに発展させ、共有することをお手伝いします注2)

 

注2)Educating Nurses.comのウェブサイトにコメント欄があり、書き込むことが可能

 

文献

・Benner, P., Wrubel, (1989) The Primacy of Caring: Stress and Coping in Health and Illness. Upper Saddle Back: New Jersey. Prentice-Hall.

・Gjengedal, E. (1994) Understanding a World of Critical Illness. A Phenomenological Study of the Experiences of Respirator Patients and their Caregivers. Doctoral thesis. Department of Public Health and Primary Care, University of Bergen.

・Gjengedal E; Lykkeslet E; Sørbø JI; Sæther, WH: “Brigthness in Dark Places—Theatre as an Arena for Communicating Life with Dementia. Dementia,2013, 13 (5), 598-612.

・Gjengedal E; Lykkeslet E; Sæther WH; Sørbø JI: ‘Theatre as an eye-opener’: how theatre may contribute to knowledge about living close to persons with dementia. Dementia2018, 17 (4), 439-451.

・Husserl, E. (1936/1970) The Crisis of European Sciences an Transcendental Phenomenology.David Carr (transl) Evanston:Northwestern University Press.

・Levinas, E. (1998) Entre Nous, Thinking of the Other. New York, N.Y.: Columbia University Press.

・Merleau-Ponty, Maurice (1945; 2014) The Phenomenology of Perception. New York, New York: Routledge.Synnes O; Gjengedal, E; Råheim M: Lykkeslet E. (2020) A complex reminding: The ethics of poetry writing in dementia care. Accepted for publication in Dementia, 02.042020.

・Taylor, Charles  (2016) The Language Animal. The Full Shape of Human Linguistic Capacity. Cambridge, Mass.: Harvard University Belknap Press.

・Taylor, Charles (1991) The Ethics of Authenticity. (Paperback edition) Cambridge, Mass.: Harvard University Press

 

◎Educating nurses.comとは

 

ベナー博士が運営する看護教育のためのwebサイト。優れた教員がどのような講義を行っているのか、インタラクティブな空間をどのようにつくっているのか等をビデオ教材で学べるようになっています(動画をフルで視聴するには、購読手続きが必要です)。
 

 

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