『どもる体』刊行記念!  伊藤亜紗 高嶺格トークイベント@下北沢B&B

『どもる体』刊行記念! 伊藤亜紗 高嶺格トークイベント@下北沢B&B

2018.6.21 update.

6月11日 下北沢のB&Bにて、
現代芸術家の高嶺格(たかみねただす)さんを
迎えてのトークが開催されました。
満員御礼の熱気につつまれる会場で垣間見えた、
”言葉じゃなく肉体が伝わってしまう世界”の一端をご紹介します
 
(文責 医学書院 看護出版部 番匠)
 
 

「どもる子ちゃん」を背景に

 
「どもる体」の表紙の人物は、「どもる子ちゃん」というらしい。
 
「大きなどもる子ちゃん」の口からもう1人の「小さなどもる子ちゃん」が出ている。
 
ぱっと見たところ、「大きなどもる子ちゃん」が「本体」のように見える。
しかし「大きなどもる子ちゃん」は、どこを向いているのか、
何を想い、何を考えているのか、さっぱりわからない。
 
目が合うのはむしろ「小さなどもる子ちゃん」だ。
 
彼女も表情や感情は窺い知れないが、
少なくとも、確かに両手をあげて、こちらを向いている。
「小さなどもる子ちゃん」なら、
何かをメッセージを読み取れるように感じる。
応答したい期待すら持ってしまう。
 
三好愛さんによって描かれたこのイラストは、
伊藤亜紗さんにとっても、サインに添える程お気に入りのようだ。
あとがきでも、「これ以上ないほど直球の表現」と書いている。
 
今回のトークイベントでもこの「どもる子ちゃん」をバックに
まず伊藤さんがお一人で「どもる体」の話を始めた。

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「喋る」はヤバい

 
この本では「喋る」という日常的な行為に
隠された「ヤバさ」を考えたという。
 
「喋る」「言葉を交わす」ことは、抽象的な言葉の交換ではない。
 
発声器官という身体をとおして行われるし、
周囲の状況に大きく影響を受ける。
「言葉」はあくまでたまたま口から出てくるもので、
自分の言おうと思っていたことと同じではなく、「常にギャップ」がある。
そこを調整、編集しながら、なんとかギリギリ人はみな話している。
この「喋る」不思議さを、吃音を通じて考えてみたのが、
「どもる体」だという。
 
 
「どもる体」は、
8人の吃音当事者の方へのインタビューから生まれた本だが、
実は、伊藤さん自身にも、少し吃音があり、いわば当事者でもある。
今回の研究にも抵抗も感じていたそうだが、
その執筆中に「北極星のように」指針としていた言葉が、
今回の対談相手である高嶺格さんが
12年前に『美術手帖』(2006年3月号)に書かれていた
「言葉じゃなく肉体が伝わってしまう」だった。
 
伊藤さんは大学院生時代にこの文章に衝撃を受け、
ブログでもこの言葉について考察をしていたという。
 
ただ、そこから吃音について少なくとも公的に発言することもなく、
高嶺さんも「よく書けたと思っていたのに反応がなかった」(笑)
と語った。
 
そういう意味で、今回のトークは当時面識のなかった2人の
12年越しの「どもる体」対談となった。
 
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さわやかな「共感できない」

 
早速、伊藤さんから「吃音について人前で話すことははじめて」
という高嶺さんに対し、吃音についてのインタビューがはじまる。
 
学生時代まで吃音がひどく、特に電話が苦手だった、という高嶺さん。
乗り物酔いをする人が、不安になればなるほどかえって酔ってしまうように、
電話でうまく話せなかったことが、日常にも影響し、吃音がひどくなっていった。
とにかく、「人前に出ない仕事をしようと思っていた」らしい。
 
 
けれど、高嶺さんは喋ることを仕事とする大学の先生でもある。
どうやら、マイクがあって、
自分の声をスピーカーで聞きながら喋ると吃らないようだ。
 
吃音について喋ると、その対策法に本当に驚く程個人差があり、実際に驚いてしまう。
 
高嶺さんにとっては、自身の声のトーンがとても重要で、
ささやくような声で話しても伝わる状況、
たとえば、イスラエルにある、ティッシュの音すら響くという
砂漠にいる自分をイメージすると、きっとどもっていないはず、とのこと。
 
そうすると伊藤さんが「まったく共感できない」と楽しそうに笑った。
相手の拒否や考えの否定ではなく、ただ単に自分は違う、というだけ。
場の雰囲気が自由になるような、さわやかな「共感できない」だった。

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吃音の「揺れ動き」と制作

 

今回の登壇者お2人には、制作をされているという共通点がある。

美術家である高嶺さんはもちろんのこと、
伊藤さんも美学者であり文章を書く。
 
中盤に入り、話は、「制作」論へと進んでいった。
 
お二人にとって、吃音と制作の関係は確かにあるようだ。
しかし、それはもちろん、吃音だからつくっている、
といえるほど単純なものではない。
 
高嶺さんは、吃音そのものについては、「向かい合う関係はつらかった」という。
自分の檻に入れて閉じ込めていたようだ。
 
伊藤さんも同じく、この本も
「書き始めてからも3ヶ月くらいこの研究をやめるかどうか悩んでいた」。
 
そしてお二人とも、制作し、本を書き、読み、話している今になって、
吃音のある性質が、もしかしたら自身の制作に影響があった、
と結果的に納得できるかもしれない、というあくまで微妙な関係である。
 
それが「どもる体」でも詳しく考察されている、
吃音のもつ、「私」と「私でない私」の間で揺れ動く性質だ。
 
吃音は、当事者によっては、
リズムや演技など、何らかのに「ノる」ことで、
症状が出ず、流暢に喋れることがある。
 
しかし「ノる」ことは「乗っ取られる」にも転じてしまい、
たとえ言葉はどもらなくても、
自分が話している感覚をもてなくなってしまう。
 
パターンを捕まえたかと思うと、またそのパターンがすり抜けて行く、
「うまくいくための工夫」が「私の主体性を奪っていく」感覚が、
制作に近いものではないか、という仮説である。
 
まず伊藤さんが「何かをつくる」とは
「できていく」ことであり、コントロールできていない、
最初の設計図から外れていくことこそ「救い」に感じる、と話した。
 
伊藤さんにとって「制作」は、幼いころ、
階段をめちゃくちゃ勢いよく降りていくと生じる、
自分が降りているのか、降りされられているのか
わからなくなってしまう状態に近いという。
 

 

オートマチックを切り離す

 

 

高嶺さんもその状態の魅力に同意し、

自身の芸術制作について語ってくれた。

 
社会では、自分の身体を意志でコントロールしている前提になっているが、
それは間違いであり、身体のほとんどは、社会や身体的構造かなどで、
いわばオートマチックに動かされている、という。
オートマチックに動いている自分の体は、
ある意味で怠惰であり、逃避である。
 
その関係を断ち切って、自動でなくなったときに体がどうなるかを、芸術制作によって実験している。
自動化された命令系統を知りたい、とこの日いちばん強く断言していた。
 
オートマチック、マニュアルの違いは、「どもる体」でも大きなテーマとなっている。
 
ここで高嶺さんの作品例として、
「あごのない人」という、
93年に横浜で行ったパフォーマンスアートの動画が紹介された。
半裸の高嶺さんが、顎の下半分に送風機から強い風を当てることで、
まったく何も話せない状態になりながら、
お客さんと対峙するというものだ。
 
場内は驚きと衝撃が生まれた。
当時も、審査員特別賞を受賞したとのこと。
喋れることを無理やり切断したこの作品を、伊藤さんは「究極の難発」と表現した。
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偶然出会う他人のおもしろさ

 

実は高嶺さんは、今回のイベントまで、
吃音についての情報はほとんどなく、
当事者は日本の男性に限られる、と思っていたようだ。
この情報の欠如は、決して高嶺さんの症状の軽さによるものではなく、
高嶺さんの生育環境や対処から、
言葉の教室や当事者の会に参加してこなかった、
あくまで偶然によるものだろう。
 
「どもる体」でも語られている吃音当事者の語りは、本当に多彩で豊かだ。
みんな、自分のパターンについて確信的に語られるが、
他の方との共有はうまくいかない。
かといって共有できないことが苦しみでなく
むしろ盛り上がってしまうのは、
そのパターンが偶然によるものだからかもしれない。
 
 
最後の質疑応答で、「吃音で良かったことは」という質問が出た。
高嶺さんは、吃音は自分を楽観的にしてくれた、飛行機に乗り遅れても気にしないとのこと。
伊藤さんも、負けに強くなったという。
 
なんだか勇気がでてくる。
 
今回のトークイベントも、どのくらい高嶺さんと伊藤さんのコントロールがあったのかはわからないし、
そもそも、そんなことはご本人たちもふくめ、誰にもわからないんだろう。
どこに流れていくか予想がつかないのに、もっともっとお二人の話を聞いていたい気持ちになる。
 
 
伊藤さんはあとがきでも、ときとして、共感してくれる「他者」との親密な対話ではなく、
会ったこともない「他人」によるマイペースな解釈が、
新たな経験をひらく可能性について書いていた。
「どもる体」やトークイベントが、そういう出会いになれば素敵だと思う。
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ゾクゾク開催!今後の「どもる体」関連イベント!

 

 
 
 
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』映画化イベント
日時:7月3日(火)17:50開場/映画上映18:10~ ※上映後トークイベント実施
場所:東京大学 駒場キャンパス
参加費:無料(当選者の方のみ)
登壇者(予定)
伊藤亜紗さん、押見修造 さん(漫画家)山田舜也 さん(東京大学スタタリング代表/大学院生/『どもる体』インタビュイー)、富里周太 さん(国立成育医療研究センター耳鼻咽喉科勤務)
 
 
 
『どもる体』発行記念トークイベント
日時:7月6日(金)19:00開始
場所:蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
登壇者
伊藤亜紗さん、ドミニク・チェンさん(情報学者/『どもる体』インタビュイー)、石川善樹さん(予防医学者)
 
【参加条件】
代官山蔦屋書店にて下記参加券いずれかをご予約・ご購入の先着70名様
・『どもる体』(医学書院/2,160円)付参加券 3,000円(税込)
・イベント参加券 1,800円(税込)
 
 
『どもる体』発行記念トークイベント 大阪開催!
 
やっぱり「しゃべれるほうが、変。」だよね!
日時:8月11日(土)
OPEN 12:30 / START 13:30
【出演】伊藤亜紗さん(美学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 准教授)
【ゲスト】伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会会長)
前売り ¥2,000 / 当日 ¥2,500(飲食代別)※要1オーダー¥500以上
前売券はイープラス、ロフトプラスワンウエスト店頭&電話予約にて6/30(土)10時~発売開始!
ロフトプラスワンウエスト電話→0662115592(16~24時)
詳細http://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/92336
【出演】伊藤亜紗(美学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 准教授)
【ゲスト】伊藤伸二(日本吃音臨床研究会会長)
 
 

他、意外な方との対談イベントなども企画中!乞うご期待!!!

 

 
 

どもる体 イメージ

どもる体

しゃべれるほうが、変。
何かしゃべろうとすると最初の言葉を繰り返してしまう(=「連発」という名のバグ)。
それを避けようとすると言葉自体が出なくなる(=「難発」という名のフリーズ)。
吃音とは、言葉が肉体に拒否されている状態です。しかし、なぜ歌っているときにはどもらないのか? なぜ独り言だとどもらないのか? 
従来の医学的・心理的アプローチとはまったく違う視点から、徹底した観察とインタビューで吃音という「謎」に迫った画期的身体論!

詳細はこちら

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