【第10週】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

【第10週】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

2014.8.20 update.

 

文:吉田育美
日本赤十字看護大学を卒業後、都内の総合病院に病棟看護師として4年勤務(うち3年は精神科)、都内の精神科病院の急性期病棟に2年勤務した後、日本赤十字看護大学精神保健看護学領域の助手として3年勤務する。

それから日本赤十字看護大学大学院に進学し、修士論文は精神科病院の慢性期男女混合病棟でのフィールドワークを通して、長期入院をする患者との茶話会グループの実践をまとめた。そこで出会った患者たちの中には、ひとりで暮らすのはさみしいから病院にいる方がよいと話す方も少なくなかった。そのため、‘地域で暮らすこと’に興味をもった。

 

 

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いつの間にか、宿舎の裏の林から聞こえてくるのが、鳥のさえずりから蝉の鳴き声に変わっていました。イタリア生活ももう終盤です。当事者の方々に何度も「最後の日はいつ?」「いつ日本へ発つの?」と聞かれる毎日で、私は日に日に名残惜しさが増してきます。

 

最近、私は当事者の方が定期的にダンス教室へ通ったり、顔のエステに通ったりするのに付き添い、スタッフに代わって2人で外出しています。前回までに報告したように、少数でのグループで作業をしたり、暮らしたりというスタイルなので、こちらのスタッフの数は日本より多いです。
「comunità【コムニタ】」でも6人の当事者が暮らすユニットに、就寝前までは2人のスタッフが勤務しています。そのため、スタッフが個人の用事に付き添って出かけるということは、そう難しいことではないようです。当事者の方は休日も、よくスタッフとジェラートを食べにいったり、タバコを買いに出かけたりしています。

 

今回は、「educatore【エデュカトーレ】」について報告したいと思います。
私の通っている「comunità【コムニタ】」や「centro【チェントロ】」の多くのスタッフは「educatore【エデュカトーレ】」という資格をもっており、当事者の生活全般を支援しています。
「centro【チェントロ】」では、当事者の方の作業を指示したり、フォローしたりしています。
夕方の「comunità【コムニタ】」では、帰ってきた当事者におやつを出し、着替えやシャワーを促し、洗濯をして、掃除をしたり、夕食を作ったり。また、薬の管理もしていて、処方箋のファイルを開きながら、与薬し、チェック表にサインをする姿は、日本の看護師となんら変わりはありません。

 

「educatore【エデュカトーレ】」とは、直訳すれば「教育者」ということなのですが、「教育士」「教育支援者」というような感じでしょうか。
「educatore【エデュカトーレ】」という資格は国家資格で、2つのタイプがあります。
ひとつは、大学で5年間(大学院に相当する)、障害について専門に勉強をして「educatore【エデュカトーレ】」になるタイプです。こちらは、いわゆるヘルスケアの専門家で、作業プログラムや計画を立てたりするマネジメントをすること多いということです。
もうひとつは、一般の大学で3年間、教育学や社会福祉学などを勉強し、その後、行政機関や協同組合が主催する職業訓練コースに通い、働きながら研修を受け、資格を取得するタイプです。試験もあるそうですが、そんなに難しいものではないと話しており、気軽に取得できるのはこちらの方です。当事者の日々のケアをしているのはこちらの方たちで、大学では芸術や哲学、文学などを学んでいたと話す方がいました。

 

「comunità【コムニタ】」と「centro【チェントロ】」は、一貫して「educatore【エデュカトーレ】」(以下、スタッフと表記)の配置が組まれています。もちろん「centro【チェントロ】」だけで働いていて、作業の責任者を担っている年配のスタッフもいます。
「comunità【コムニタ】」のスタッフは、「centro【チェントロ】」に来て、作業をサポートする日勤のスタッフもいれば、午後から来て作業をサポートし、その後「comunità【コムニタ】」へ戻って夕食を作る遅番のスタッフもいます。そして、夕方から「comunità【コムニタ】」に来て朝まで夜勤をするスタッフもいて、ローテーションが組まれています。

 

また、「comunità【コムニタ】」は、ユニット毎に決まったスタッフが配属されてはいるのですが、複数の「comunità【コムニタ】」のユニットと「centro【チェントロ】」をかけもつような勤務になっています。私のユニットでは当事者6人に対して、9人のスタッフが配属されています。しかし、日々の勤務では、よその施設、よそのユニットに配属されている数十人のスタッフも出入りしているので、私は未だに覚えられません。ここのユニットの配属のはずなのに1か月に1回しか会わなかったな……というスタッフの方もいます。

 

■■■「comunità【コムニタ】」の中庭
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スタッフは、男性も女性もいますが、7~8割くらいは女性です。
スタッフも当事者の方も、日本人に比べて気が短いように感じます。そして、スタッフは思ったことははっきりと言います。率直と言えば率直なのですが、日本人と比べて、「間」がないように感じます。日本の精神科病院でも怒るスタッフはいますが、それでも日本人は意外と我慢をしているのかもしれないと思いました。

 

そして、概して女性スタッフは口うるさく、男性スタッフは冗談を言ったりして盛り上げたりする役割があります。私の偏見もあるかもしれませんが、日本の看護師も同じような傾向にあるように思います。女性スタッフがきちきちと掃除をしながら仕事をこなすのに比べて、男性スタッフは仕事がゆるいのも似ていて、それがまたいい味を出しています(でも怒ったら男性スタッフも凄みがありますよ!)

 

綺麗な女性スタッフに男性当事者が何度もハグしようとすると、女性スタッフは「ストップ! もう十分よ」「も~、肩が痛いんだから触らないでよ!」と注意したり、男性当事者が「あなたが一番かわいい、今度の土曜日結婚しよう」と言ったりするのを女性スタッフが笑顔でかわしていたります。
また、イケメンの優しい男性スタッフが勤務している日に、いつもは無表情の女性当事者がその日ばかりはニヤニヤとはにかんでいたり、ある女性当事者の方はハグして手を握り「愛していると言って、好きと言って」と迫っていたりするのを見ると、日本の精神科病院のお馴染みの光景のようで笑ってしまいます。
でも、こちらの方が情熱的でしょうか。

 

夕方、「comunità【コムニタ】」で、当事者の方のシャワーやアイロンなどが一段落すると、夕食を作る女性スタッフを残し、男性スタッフは「散歩にいく人は~?」と当事者の方を外に連れ出したりすることもあります。
日中の「centro【チェントロ】」で疲れているのか、「いく人は~?」と聞かれて、勢い良く立ち上がる当事者はいません。
女性当事者はたいてい、「いかない」と冷たく首をふり、スタッフに「どう?」と改めて誘われた男性当事者が無言で立ち上がり散歩に出かけていきます。男同士、うるさい女性陣からの避難だろうかと、私はひそかに感じています。

 

先日、男性スタッフ2人だけで「comunità【コムニタ】」に勤務していました。その日の夕食は、クリームのなんとかというメニューだったはずですが、出てきたのは鶏肉を細かく切って塩・こしょうをしたものと一緒に、出来合いのポテトをオーブンに入れて火を通しただけのものでした。クリーム感はありません。そして、ケチャップかマヨネーズを選択して添えます。
スタッフに「こんなんでいい?」と聞かれ、当事者の方は快く「いーよー」と答えていました。食後はチョコ味のウエハースが配られました。
とてもジャンクな食事ですが、“お母さんがいない日にお父さんが作ってくれた料理”という感じで、たまにはいいのかなと思いました。当事者の方も美味しそうに食べていました。私もなぜだか美味しかったという印象が強く残っています。また、料理がとても上手な男性スタッフもいるということも加えておきます。

 

前述したように、たくさんのスタッフが勤務しているので、当事者へのかかわり方も様々です。当事者とは違うメニューの夕食を食べたり、携帯をいじってばかりのスタッフもいたり、スタッフ部室にこもっているスタッフもいれば、手が空くとソファで足を伸ばして寝転んでいるスタッフもいます。
おやつや夕食の時間に「今日どうだった?」という話をすることもあるし、夕食後にまだ部屋に戻るのは早いから、談笑しようと言ったり歌でもうたおうと言ったりするスタッフもいます。
そのため、毎日「comunità【コムニタ】」の雰囲気が異なるように思います。正直、私は10週間滞在して、このスタッフの出入りの多さにまだ慣れない部分があります。でも当事者の方たちは、こうした様々なスタッフを「comunità【コムニタ】」に迎えているという印象です。
スタッフの方たちからすると、自分の職場であり、仕事をして我が物顔で自由に過ごしており、‘迎えられている’という感覚はないかもしれませんが…。

 

細かなことですが、ある日には、「こんなに暑いのにドライヤーを使って髪を乾かすなんて!」ととがめるスタッフもいれば、次の日は「どうしてドライヤーで乾かさないの」というスタッフもいます。でも、当事者の方は、そういう違うやり方、考え方にも臨機応変に文句を言わず対応しているのです。

 

■■■「comunità【コムニタ】」のスタッフの部屋
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少し前のことになりますが、「comunità【コムニタ】」で、当事者の方に、スタッフの方たちは厳しくないかと聞いてみました。すると、当事者の方たちは皆「ふふふ…」と笑いました。
ある女性当事者はにやにやと笑いながら「そうだね。時には厳しく、時には優しくだよ」と言い、「スタッフは皆、いい人だよ」と言いました。

 

また、「centro【チェントロ】」で色塗りの作業をしている時に、当事者の方に「この作業楽しい?」と聞くと、ある女性当事者は頷き、「ええ、好きよ」とさらりと答えました。誰かが塗ったぬり絵をより綺麗に上から塗るという作業をしていたので、私は「この作業好きじゃない」と言ってみました。すると、ある女性当事者は「No! No!」と言い、私にそんなこと言っちゃダメだよというかのように、止められてしまいました。一応、近くにスタッフがいないことを確認して聞いたのですが、聞こえちゃうよ~ということだったのかもしれませんね。

 

そのぬり絵は「murales【ムラーレス】」といって、1枚の絵を小さく分割し、それぞれに色を塗った後、また組み立てるというもので、フレスコ画に似せた作品です。「centro【チェントロ】」に展示する観賞用のものです(写真)。
ある日、20代の女性当事者が「なんでこんなにmurales【ムラーレス】を作っているの?」とスタッフに質問しました。そのスタッフは「綺麗だからよ!」とさらりと答えました。彼女は「ふーん」と返事をしましたが、果たして納得したのだろうか……と気になりました。
彼女たちの優等生すぎる答え……よくできた当事者の方たちだな……とつくづく思いました。

 

■■■「murales【ムラーレス】」作品
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スタッフが出勤して来ると、当事者の皆が親しげに名前を呼んで「Ciao!【チャオ】(こんにちは)」とにこやかに迎えます。
久しぶりに会うスタッフに、うれしそうにハグをするのを見ると、信頼をしていて、待っているということが伝わってきました。
スタッフが誕生日だったり、異動で戻ってきたりすると自主的にカードを作って迎えたり、産休明けで戻ってきたスタッフには赤ちゃんの写真を見せてと言ったりと、スタッフを家族や友達のように大切にしている思いが感じられました。協同組合がひとつの村のようで、スタッフも当事者も村の仲間のようです。

 

信頼関係を築けるようにと、日本ではなるべく同じ担当者がつけられることが多いと思うので、このスタッフの出入りの多さと、それに対する当事者の対応力は、私にはとても新鮮に感じられました。だからこそ、私のような異質な外国人も容易に受け入れ、なじませてくれる力があるのかもしれません。

 

当事者の方たちは、出会った当初からよく「夕食を一緒に食べていける?」と私を誘ってくれ、一緒に食べることを喜んでくれます。手伝い程度はしていますが、当事者の方が夕食を作ってもてなすわけでもないのに、なぜそんなにこだわるのかと思っていました。“同じ食卓を囲む”ということは、単に食べるということだけではなく、当事者の方たちとって「仲間」になるという大事な意味もあるのだろうと思いました。

 

またある時、「comunità【コムニタ】」で、私がスタッフに「educatore【エデュカトーレ】」について質問をしていると、それを聞いていた当事者が「スタッフっていうのは、ご飯を作ってくれて、朝まで僕たちと一緒にいてくれる人のことだよ!」と笑って答えてくれました。
日本の精神科病棟の患者さんに「看護師って何?」という質問をしたら、何と答えるのだろうかと想像しました。
「鍵を閉めに来る人だよ」「薬を配る人だよ」「記録をする人だよ」???

 

■■■「comunità【コムニタ】」の美味しい夕食
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