かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.7.17 update.
文:吉田育美 それから日本赤十字看護大学大学院に進学し、修士論文は精神科病院の慢性期男女混合病棟でのフィールドワークを通して、長期入院をする患者との茶話会グループの実践をまとめた。そこで出会った患者たちの中には、ひとりで暮らすのはさみしいから病院にいる方がよいと話す方も少なくなかった。そのため、‘地域で暮らすこと’に興味をもった。
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今週のロベレート(Rovereto)は、一時的な雨もあり、25℃くらいの爽やかなお天気に逆戻りでした。
先日、ブラジルでのワールドカップが始まりましたが、ロベレート(Rovereto)でもサッカーの話題で盛り上がっています。こんな機会もないと思ったので、「Bar【バール】」というカフェのようなところにハウスメイトと行き、イタリアの試合を観戦しました。残念ながら試合は負けてしまいましたが…、「Bar【バール】」はすごい人集りでした。
この日、イタリア語が聞き取れなくて落ち込み気味だった私…。言葉を使わなくても、応援!というわかりやすい一体感を感じられることが、私にとってはストレス解消となりました。
■「Bar【バール】」でのサッカー観戦の様子
今回は、「comunità【コムニタ】」での当事者の方々の生活の様子を報告したいと思います。
私がいる「comunità【コムニタ】」では、50代から80代の男性2人、女性4人の方が暮らしています。共同生活なので、色々と役割分担が決まっています。例えば、朝食の準備をする担当、食卓にコップやナプキンをセットする担当、食器洗いをする担当、ゴミ捨て担当、トイレ掃除担当、床拭き掃除担当と、週替わりで役割があります。もちろん、当事者の能力によってスタッフも行いますが、この役割は避けられません。当事者の方たちはせっせと役割に励んでいます。
他にも、共同生活ならではのものとして、日本の病棟のように「今日は男性の入浴日」「女性の入浴日」などと決まっており、何曜日は誰がどの順番でシャワーを浴びるかが決められていて、紙に表記されて貼り出されています。精神科病院でも毎日入浴できませんが、こちらでもひとり週3〜4日のシャワーのようで、毎日3〜4人の当事者が割り当てられています。
「centro【チェントロ】」から帰宅すると、すぐに順番通りのシャワータイムになります。順番が決められているといっても、そうスムーズにはいきません。「早く入れ」とか、「時間がかかりすぎる」とか、「手伝ってほしい」とか、いざこざはしばしば起こります。日本の病棟でも、入浴にまつわるいざこざはよくあることですが、人数の少ない「comunità【コムニタ】」でもあることです。
こちらでは、シャワーとトイレ、洗面台がセットになった所が、いわゆる「バスルーム」として一室あるので、シャワータイムが始まると譲り合いが必要になります。シャワーに入ろうとする人に、「ちょっと待って!」と言ってトイレに駆け込むこともあります。一応、もうひとつスタッフ用として一室、洗濯機、洗面台、トイレ、バスタブがあります。そのため、そちらも臨機応変に使いますが、基本的には当事者の方はひとつの「バスルーム」を使うので、朝の洗面のための順番も決まっていて、これもまたドアに貼り出されています。
■「comunità【コムニタ】」のバスルーム
そして、小さな「comunità【コムニタ】」の施設内で、誰かが大きな声でもめ出すと、響き渡ります。日本の病棟だったら、黙視して放っておくような些細なことも、すぐにスタッフが来て仲介したりします。でも、段々と仲介ではなくなり、一番大声を出しているのはスタッフだったりすることも多々あります。
先日も、50代の女性当事者が洗濯物を自分の部屋に運ぶ際、「私の下着がない」と言い始めました。するとスタッフが、同じく洗濯物を片付けていた60代の女性当事者に、間違えて持っていったのではないかと疑いをかけ、今持っていったものを全部持ってくるよう言いました。
すると、その女性は「間違ってないわよ!」と声を荒げます。スタッフも「とにかく全部持ってきて」と声を荒げました。60代の当事者は「私じゃない!」と怒り、50代の当事者は「(下着が)ない、ない…」と落ち着きませんでした。
スタッフは「あなたは黙って!!」「あなたは落ち着いて!!」とさらに大声で事態を収めようとしました。
そこに、また別の80代の女性当事者が「これかしら……?」と、下着を持ってきました。彼女が間違えて持っていたようでした。さらにもうひとりのスタッフも加わり、80代の当事者に「ちゃんと自分のかを確認したの?」「2人に謝りなさい」と怒り出しました。
私はその様子をリビングのソファから眺めていました。すると、私の横に60代の男性当事者がやってきて座り、私の膝をつんつんとつつきます。男性は「どうしたの?」と小声で聞いてきました。そして、目を細めて俯き頭を抱えていました。私が「どうしたの、頭痛いの?」と小声で聞き返すと、男性は「痛くない…」とぽつりと答えますが、頭を抱えたままでした。そのうち、女性当事者たちとスタッフたちの騒ぎは解散しますが、今度はその男性の様子を見たひとりのスタッフが「どうしたのー??頭痛いのー??」「答えなさいよー」と大きな声で近づいてきました。
頭が痛いのではじゃなくて、騒がしいのだと思います。6人の当事者と2人のスタッフという小さなグループなので、ちょっと大きな声を出すと、大きなことになってしまいます。そして、「centro【チェントロ】」から疲れて帰ってきた当事者の方たちよりも、これから夜勤をする若いスタッフたちはとてもパワフルです。日本の病棟でもこうしたことはよく起こりますが、どちらが「賑やかし」なのかわからないなと、イタリアでも最近よく思います。
それから、私が滞在している夕方の時間に、特に波紋をよぶのが「アイロン係」です。前述した担当は割とこなすのですが、アイロン係は皆が嫌いなようです。4人の女性当事者たちが、月、水、金、週末と曜日毎に担当しますが、アイロン係の日は、担当の当事者は不機嫌なことが多いように感じます。
スタッフが「今日はあなたがする日よね?」とアイロン台を広げると、ある60代の女性当事者はムスッとした表情で黙り込み、説得されてやっとやり始めたかと思うと、その後スタッフに「こうしたら?」と少し違うやり方を提案されただけで、大げさに泣き始めてみたりしていました。
また、ある80代の女性当事者は、いつも食べ物をねだってうろうろしているのにもかかわらず、この日ばかりは「疲れたー疲れたー」と俯き、「腰が痛いのよ〜」「私は年寄りなんだから〜」と何度も言ってアピールします。
でも、このアイロン係が嫌な気持ち……私はわかる気がします。私も面倒で大嫌いです。しかも、自分のではなく人の洋服。しかも、大きなカゴ2つ分もある。毎週一回交換するシーツ等のリネン類もある。結構な量だと思います。
そして、日本のように、機能的で軽くてコードレスなアイロンを使っているわけではありません。大きくて重くて何度も給水しなくてはいけないアイロンを使っています。朝から通っている「centro【チェントロ】」での作業を終えて帰ってきた暑い日に、せっかくシャワーに入ったにもかかわらず、汗をかきながらアイロンをかける姿に、私はなんだか同情してしまいます。
手伝ってあげたい気持ちはやまやまですが、あんまり手伝うとスタッフに「彼女の作業だから」「彼女はひとりでできるから」と私も注意を受けてしまうので、どうやって助けるかも私にとっては悩むところです。
先日スタッフのいないところで、80代の女性当事者にアイロンを「手伝ってよ〜」とささやかれました。私が「私のじゃないもん」というと、その彼女も「私のでもないもん」と言いました。
おっしゃる通り、その時のカゴに彼女の服はありませんでした。そして、私が困ったなという顔をしていると、彼女は「いつも一緒に私たちとご飯食べているでしょう?」と言いました。‘あなたタダでご飯食べているでしょう、働きなさいよ’と言われているような気がして、今の私にとって痛いところをつかれた感じです。そして、まんまと彼女の企み通りに、手伝うことになりました。
そんな彼女、なぜかいつもアイロン係の担当日をスタッフに間違えられ、人より多くアイロンをかけているように思います。この前も、私が「あれ? 今日はあなたが担当じゃなかった?」と、他の女性当事者たちと話していると、その女性は「うーん…、いつもこの曜日は私なんだけど、彼女がやっているから」と小声で答えました。時すでに遅し、この日のアイロンはもうすぐ終わりでした。なんだか、裏ではいろんな駆け引きがありそうです。
ある日もまた、80代の女性当事者が「今日はアイロンがけしたくないの!」と怒っていました。すると、スタッフも徐々にヒートアップして「今日はあなたの担当なのよ!」と怒ります。
彼女は「だって、この前やったよ。(今日は特に服が)こんなにいっぱい。あなたたちがやればいいじゃない!」と他の女性当事者たちにけしかけました。
すると、「私だって、この前やったわよ!!」と怒鳴り返され、スタッフにも「(確かに)今日はあなたの日よ」「共同生活をしているのよ、役割はちゃんとやらないと」と言い合いが始まりました。不穏な空気です。
イタリア人、怒ると怖いです。元々イタリア語は、抑揚があってまくしたてるかのように話すので、普通の会話も語気が強くて怒られているように感じる時があります。本当に怒っている時には、私はすくみあがってしまいます。
この時も、スタッフは「じゃあ、誰がやるのよ」「仲間と一緒に生活できないのなら、あなたはずっと部屋にいなさい!さあ、どうぞ部屋へ!」と手を大きく動かしながら声を張り上げます。
ここまでくると、もう黙るしかないと思います。でもいつも黙ると、スタッフは「目を見なさい!」「返事をしなさい!」と言い、さらに追い込まれるのです。ちょうど私は怒られている彼女の隣にいたのですが、私も一緒に俯いてしょんぼりして黙るしかありませんでした。
すると突然、怒っていたスタッフは「Ikumi、学校はうまくいっている? 楽しい?」とにこやかに私に話しかけてきました。私が相当怯えたように見えたのだと思います(確かに怯えていました)。私はなぜこのタイミングなのかわからず、ぽかーんとして「はい…」とだけ答えましたが、見あげたスタッフの顔が笑顔だったので、その変わり様にますます恐ろしくなりました。
スタッフは、その後またアイロンの話に戻し、怒り直しましたが、「じゃあ、もういいわ」と呆れて、キッチンへ行ってしまいました。リビングにいた当事者たちは皆、しーんと静まり返っていました。反論していた彼女も俯いています。
私が「手伝うから、夕食の前に早く終わらせちゃおうよ」と誘っても、彼女は「やらない。どうしても!」と頑なに拒みました。
しばらくして、そのスタッフが「おやつよー」とキッチンから呼びかけると、皆すたすたとキッチンへ。もちろん彼女も何事もなかったかのように向かいました。
おやつを食べた後、彼女はしぶしぶながら、ため息混じりでふてくされた様子でアイロンを始めました。スタッフはそんな彼女を笑顔や歌、ダンスで盛り上げながらサポートしていました。この日ばかりは、そのスタッフも大量の衣服のアイロンかけを手伝っていましたが。
でも、こうした「やりたくない!」という彼女たちの声の裏には、スタッフへの甘えもあるように感じました。特に「centro【チェントロ】」では、絶対的に作業に参加しなければならず、嫌だとも言わないことに対して、「comunità【コムニタ】」では、役割担当もやらなければならないこととわかっていても、明るくて面倒見のいいスタッフには特に駄々をこねてみるというところもあるように思いました。
この報告を書くにあたって、私はここ数日あえて彼女たちの「comunità【コムニタ】」でのアイロンや夕食後の食器洗い・キッチンの掃除の作業を手伝ってみました。すると、わかったことがあります。彼女たちは意外と人使いがあらいのです。「これは後ろのカゴに!」「これはゴミ箱に!」「椅子をあげて!」などとぶっきらぼうな指示がとび、私がほいほいと動いて、こき使われているように思いました。
彼女たちはいつもスタッフにこんな風にされていると感じているのだろうかと想像しました。一緒に作業をしたある女性当事者の方に、私が「(あなたが)私のスタッフみたいね」と言うと、彼女はにやりと笑っていました。
役割をこなしながら共同生活することは、そう甘くはないのだと教えてもらいました。
■「comunità【コムニタ】」でのアイロンかけの様子