【第5週の2】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

【第5週の2】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

2014.6.27 update.

 

文:吉田育美
日本赤十字看護大学を卒業後、都内の総合病院に病棟看護師として4年勤務(うち3年は精神科)、都内の精神科病院の急性期病棟に2年勤務した後、日本赤十字看護大学精神保健看護学領域の助手として3年勤務する。

それから日本赤十字看護大学大学院に進学し、修士論文は精神科病院の慢性期男女混合病棟でのフィールドワークを通して、長期入院をする患者との茶話会グループの実践をまとめた。そこで出会った患者たちの中には、ひとりで暮らすのはさみしいから病院にいる方がよいと話す方も少なくなかった。そのため、‘地域で暮らすこと’に興味をもった。

 

 

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今回は「centro【チェントロ】」と呼ばれるデイケアセンターのようなところを紹介します。「centro【チェントロ】」は、住居やオフィスなどが入った普通のビルの一角にあります。ビルの一階はスーパーマーケットやカフェなどの飲食店となっています。

 

月曜から金曜の日中9時から16時半頃まで、当事者はここで過ごしています。いくつかの「comunità【コムニタ】」から、または自宅から当事者の方々は集まってきていて、20~80代の男女およそ6~12人くらいの方がいます。スクールバスのように専用の車で「comunità【コムニタ】」からの送迎があり、昼食も出ます。

 

「centro【チェントロ】」では、午前も午後も作業をします。私の通っているここは、ぬり絵や貼り絵をしたり、粘土をこねて陶器を作って絵をつけたり、ビーズでアクセサリーを作ったり、裁縫をしたりといった創作活動を中心にしています(時には、軽い運動や散歩、外出のプログラムもあったりします)。

 

「centro【チェントロ】」は複数あるので、当事者の方々は作業プログラムによっていくつかの「centro【チェントロ】」を移動し、行き来しています。たいてい、ひとつの作業は2〜6人くらいのグループに分かれて行い、各スペースで毎日異なる作業をしています。

 

時々バザーのようなイベントの会場で売るようですが、商品というよりは作品として創作しているようなので、ちょうど日本の作業療法と同じだと思います。しかし、作業療法士という資格はないようで、前回も紹介した専門の「educatore【エデュカトーレ】」がこれらのプログラムを作成しているそうです。ここでもスタッフは「operatore【オペラトーレ】」と呼ばれ、日々3人以上が作業のフォローをして当事者の支援をしています。

 

 

私が初めて「centro【チェントロ】」に行った時は、ちょうど昼食後の休息時間(1時間くらい)の最中でした。当事者の方それぞれが、簡易ベッドを並べて横になっていました。ベッドの中から皆が入り口に立つ私を見て、「Ciao!【チャオ】(こんにちは)」というので、私は状況がつかめず、その異様さに足がすくみました。

 

さらに、作業の時間になると、日本の病衣のようなストライプの服を皆がおそろいで着て起きてきたので、「ここは病院?」と戸惑いました。それはここの作業着で、ポケットには彼らのイニシャルが刺繍してありました。スタッフも着ているので、初めは誰がスタッフなのかよくわかりませんでした。

 

そして、ここ「centro【チェントロ】」は、リラックスできる「comunità【コムニタ】」と違って、少し重苦しい空気が流れています。最近ようやく慣れてきましたが、私はいつも緊張して、正直、居心地があまりよくありませんでした。

 

当事者の方々は、その日の作業が振り分けられると、ため息混じりで作業スペースに移動したり、作業内容を指示されるまでじっと椅子に座って待っていたりします。

 

決して自発的とは言えないですし、彼らに生き生きとしたやる気があるわけではなさそうです。作業中は、スタッフと夕食や旅の話をしたり、鼻歌を歌ったりしていることもあります。作業自体もノルマがあるわけではなく、何かを急いでやる必要はないようです。私が参加する午後は、14時半~15時半が作業の時間ですが、私が作業に夢中になっていると、15時半には皆ささっとテーブルからいなくなり、ソファのある休憩スペースに水を飲みに行ってしまい、私はうっかり取り残されるということもしばしばです。

 

ここでは作業に参加することが重要なことで、「疲れたー」などと言って決まった作業に参加しないとスタッフに叱られてしまいます。それに、行きたくないと「comunità【コムニタ】」に残ることもなければ、日本の精神科施設ではよく見かける、作業の時間にもかかわらずソファで寝ているなどという光景はここにはありません。床を掃いたり拭いたり、ゴミを集めたりと掃除をする作業の担当もあるのですが、80代だろうと担当となればそれをこなします。一見楽しそうに思える作業も、彼らにとってはあくまで「仕事」なのです。

 

作業後、15時半のしばしの給水時間を過ごすと、今度は送迎の車を待つ時間です。作業の続きをしたり、すごろくや神経衰弱などのゲームをしたり、日記を書いたりして待つのですが、これもまたスタッフの指示に従ってこなします。そして、自分の担当の運転手が押したと思われるインターフォンの音が聞こえると、「待ってました」といわんばかりに、そそくさと着替え、荷物をまとめて帰り支度です。

 

こうした中にも、当事者たちの連帯感を感じることがあります。作業のやり方がわからないと教えてあげたり、必要な物品を持ってきたりと助け合っています。

 

また、スタッフのミーティングが長引いて作業の開始時間を過ぎていても、誰もスタッフを急かしたりしません。暗黙の了解なのか、皆ひっそりとソファに座って待っています。私が「今日は何をするのか」と尋ねても、皆「知らない」と言います。また、スタッフに執拗に訴えを繰り返す当事者や、作業に集中しない当事者がいると、小声でなだめたり指示したりしてスタッフを怒らせないように配慮している様子もあります。

 

いかに穏やかに作業をこなして家に帰るかという当事者の方々の思いが伝わってきて、日本の病棟で看護師として自分が働いていた時に、同僚たちといかに穏やかに病棟をまわして早く帰るかということに心を砕いていた時のことと重なりました。

 

やりがいという点に関しては、まだまだ課題がありそうですが、好きだろうか嫌だろうが生活のためにやらなくてはいけないのが「仕事」でもあるのですよね。これを長年続けるのも、結構大変な仕事のように私は思いました。

 

■■■「centro【チェントロ】」施設の中と作品

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