かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.6.13 update.
文:吉田育美 それから日本赤十字看護大学大学院に進学し、修士論文は精神科病院の慢性期男女混合病棟でのフィールドワークを通して、長期入院をする患者との茶話会グループの実践をまとめた。そこで出会った患者たちの中には、ひとりで暮らすのはさみしいから病院にいる方がよいと話す方も少なくなかった。そのため、‘地域で暮らすこと’に興味をもった。
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コムニタの夕食
皆さんご存知のように、イタリアには美味しいものがたくさんあります。私が当事者の方と一緒に「comunità【コムニタ】」と呼ばれるグループホームで食べている夕食も、とても美味しいです。今回はその夕食について紹介します。
献立を考えるのは、当事者の方たちです。それぞれに担当の曜日が決められており、献立を考えて提案し、スタッフの方と一緒に決めています。そのため、いついつは自分の考えた献立だと嬉しそうに話している方もいます。
食材の買い物は、「centro【チェントロ】」と呼ばれるデイケアセンターのようなところからに帰る時に、スーパーマーケットに寄っていきます。スタッフと当事者の方が持ち回りで買い物を担当し、「comunità【コムニタ】」の全3ユニットの必要な食材を買って帰ります。スタッフが持っている買い物リストに沿って、当事者の方も量り売りの野菜を必要分詰めたり、買い物カートを押したりしていました。
会計は、レジで施設のスタッフカードを見せれば、キャッシュレスで購入できます。受け取ったレシートをスーパー内の専用カウンターに持っていき、店員の方に請求書を作成してもらえば、あとは後日施設からスーパーにまとめて支払われる仕組みになっていました。
そして、その夕食を作るのは「comunità【コムニタ】」の各ユニットにいるスタッフです。当事者の方が帰宅する夕方から、就寝までの時間帯は、1ユニット(当事者6名程)に2人のスタッフがいます。そのうち1人は朝まで夜勤をします。
スタッフは「operatore【オペラトーレ】」と言われています。その「operatore【オペラトーレ】」の多くが「educatore【エデュカトーレ】」という資格を持っていて、「comunità【コムニタ】」では当事者の生活全般をサポートする役割を担っています。スタッフの8割くらいは女性で、年齢は20代から60代くらいまでいますが、20〜30代の方が多いようです。また、料理ができることが必須のように思えたので、できないスタッフはどうしたらいいのだろうかと思いました。でも夕食の時は2人のスタッフがいるので、どちらかができれば問題ないのでしょうね。
スタッフが普通にキッチンで調理をして作り、ダイニングで当事者と一緒に夕食を囲みます。ユニット毎のダイニングなので、スタッフは当事者6人とスタッフ2人、私の分の計9人分を作ります。
普段、当事者もスタッフも名前で呼び合っており、スタッフはTシャツにジーパンなどとラフな格好で働いているので、知り合いの人がやってきてご飯を作ってくれているような感じに見えます。
食事中は、たいていはスタッフ同士が普通のおしゃべりをしており、当事者の方は食べるのに夢中です。食べ終わると、スタッフの話に喚起されたような話をして、おしゃべりに加わることもあります。
日本の精神科病院の“あるある”でもありますが、「先に食べ始めちゃダメ!みんなと食べるのよ」「ゆっくり食べなさい!」などと当事者の方が叱られるということもたびたび見かけます。
そして、何より当事者の方は食べるのが本当に早いです。私がまだ3口くらいしか食べていないのに、彼らはすでに食べ終わっています。さらに、おかわりを要求します。
先日は80代の女性当事者が、スープ、サラダ、パン、野菜の炒め物をそれぞれ2杯ずつおかわりして計6皿分食べ、スタッフに「これでもう終わりだからね!」と注意されていました。食欲が旺盛で驚きます。
無表情ではいられない
前述した通り、夕食はとても美味しいです。しかし、私にとってはとても量が多くて、おかわりをせずともいつも十分に満腹です。むしろ、周りは食べるのが早いために焦らされ、おかわりを要求しているために私が残すわけにもいかず……。初めの頃は、吐きそうなのを堪えて食べていたくらいです。
すると、隣の席の当事者が「よく噛んで食べなさい」と言ってきたり、そっとコップに水を注いだりしてくれました。当事者の方は、本当によく観察しています。でも、スタッフの方は、遠慮せずにと言わんばかりにたっぷりくれようとするので、夕食に挑むのに胃袋の調整が必要でした。
私はイタリア語の会話本の中にあった‘レストランでの断り方’に、「Basta così【バスタ コズィ】(十分だよ、これで)」という台詞を見つけました。その日から、私はすすめられる度に「Basta così, Basta Basta!」と連呼して断り、量を調整するようになりました。
ところが、街を歩いていると、ワンワン吠えまくる犬に飼い主が「Basta【バ〜スタ】!!」と一喝、泣きじゃくる子供に母親が「Basta!!」、TVの音量が大きすぎると「Basta!!」、散歩中におならを2度もした当事者にスタッフが「Basta!!」というのが聞こえました。
……つまり、「いい加減にしてよ!もうたくさん!(怒り)」ということです。 あれれ?と思い、私はハウスメイトに食事の量が多い時の断り方を聞いてみました。すると、間違ってはいないけれど、「Basta【バスタ】」だけでは、料理がまずかったようだと思われたり、怒っていると思われたりするかもしれないから、「私はお腹がいっぱいなのよ」と添えた方がいいと笑われました。
「Basta」は万能な言葉な分、伝え方も重要なのですね。
そして、最近では言葉での表現が不十分な分、自然と手や顔で言葉を補うようになります。困った顔、楽しい顔、不愉快な顔、甘える顔……と、顔芸が身についたり、短い単語でも声質を変えて感情を伝えたりします。日本では、いつも淡々としていて表情が変わらないと言われる私ですが、生き延びるためには人も変わるものです。