【第4週の1】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

【第4週の1】精神科ナースが単身海を渡った――イタリアの精神障害者施設滞在記

2014.6.12 update.

 

文:吉田育美
日本赤十字看護大学を卒業後、都内の総合病院に病棟看護師として4年勤務(うち3年は精神科)、都内の精神科病院の急性期病棟に2年勤務した後、日本赤十字看護大学精神保健看護学領域の助手として3年勤務する。

それから日本赤十字看護大学大学院に進学し、修士論文は精神科病院の慢性期男女混合病棟でのフィールドワークを通して、長期入院をする患者との茶話会グループの実践をまとめた。そこで出会った患者たちの中には、ひとりで暮らすのはさみしいから病院にいる方がよいと話す方も少なくなかった。そのため、‘地域で暮らすこと’に興味をもった。

 

 

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イタリア人も英語コンプレックス
 

――郷に入ったら郷に従え。ロベレート(Rovereto)に来て、4週間が経ちます。

 

実は私、2週間目から英語を使うことを封印し、イタリア語だけで過ごすことにしました。すると、めっきり無口な人になってしまいました。伝えたいこと、聞きたいことはいっぱいあるのに、言葉にできません。私はこちらでは、まさにコミュニケーションの障害者です。

 

このプログラムに参加する条件には、現地の言葉は話せなくても前向きに取り組めること、そして現地の言葉でなるべく話すことというのがありました。覚悟し、好んでここにやってきましたが、自分を表現できないことがこんなにも辛いことであるのかと、日々痛感しています。

 

以前も書きましたが、イタリアの方はほとんど英語が話せないようです。とはいえ、私は英語も堪能なわけではなく、むしろ英語ができないというコンプレックスがあります。「英語」と聞いただけでアレルギーを起こし、無理無理無理……と拒否反応を示す、あれです。

 

どうやら、この英語コンプレックスはイタリア人にもあるようです。

 

施設でお世話になっているスタッフの方々は、「英語話せないの。ごめんね」と何度も謝る人もいれば、あやしい微笑みを浮かべ、「英語は話せません」と顔に書いて私を避けているような人もいました。初めの頃は、「誰か英語話せるー?」といちいち大騒ぎになったりすることもしばしばで、私は内心「英語で話してほしいなんて頼んでないし……」「私も英語話せないんだけどなぁ」と思い、どちらかというと英語に戸惑うスタッフの気持ちに共感してしまいます。

 

そして、イタリア訛の英語は本当に聞き取れず、コンプレックスのある話せない者同士の英会話は、お互いに大混乱を招きます。たいしたことのない会話に無駄な時間と人員がさかれることもありました。そのため、私はすべてイタリア語だけで挑むことにしました。それに訛った片言の英語よりも、イタリア語をゆっくり話してもらった方がわかりやすい気がしたのです。

 

日本語もイタリア語も、ほとんどそれぞれの国内でしか使われないマイナーな言語です。マイナーな言語同士、英語コンプレックスには似たものを感じました。私たち日本人が、基本的に外国の人は日本語を話せないだろうと思っているのと同じように、イタリアの方もイタリア語が話せないというのを前提に接してくれるので、英語を使うより片言でもイタリア語を尊重した方が親切に対応してくれるように感じています。

 

コメバ? ベーネベーネ!

一方で、日本との違いも感じました。イタリアの‘はじめまして’の挨拶は、さっと手を差し出し握手をして、こちらが照れるくらい真っ直ぐ目を見て名乗ってくれます。そして、毎日「Come va?【コメバ?】(調子はどう?)」「Tutto bene?【テュットベーネ?】(元気?)」と声をかけてくれます。私も含め、モジモジとして挨拶さえも避けてしまいがちな日本人は、本当にシャイなのだと違いを感じました。たとえ英語やイタリア語でその後の会話が続かなくてもスタッフ皆が、このように挨拶をしてくれると、迎えてくれることが伝わるので私は安心してそこにいられます。

 

他にも、英語を封印した理由には、私自身が両方を器用に使い分けて話せず頭が混乱してしまうことや、当事者の方との会話はもちろんイタリア語であることなどがあります。

 

そして、ハウスメイトのギニアの男性は母国語のフランス語とイタリア語だけで、英語はわかりません。一方のハウスメイトのブラジルの女性は母国語のポルトガル語とスペイン語、イタリア語、英語が堪能です。彼女は一番自信がないという英語で、私よりスムーズに話してくれて、何かと通訳もしてくれたのですが、同じ家に住むもの同士、やはり3人の共通言語はイタリア語でないと話になりません。ハウスメイトたちは「もっと話さないと上達しないよ!」と自ら話し相手になってくれ、私の片言の言葉や気持ちを知ろうとしてくれているので本当に助けられています。おかげで、自分の障害になんとかかんとか向き合えています。

 

つくづく、コミュニケーションは言語を交わすことそのものではない、お互いに関心をよせ知ろうとすることが大事だとも思います。しかし、たかが言語、されど言語…です。元気?と聞かれて、私は「(うまく話せなくてこっそり悔し涙を流すこともあるけれど…)Bene!Bene!【ベーネ】元気だよ!」と答えます。カッコの中の前置きは内緒です。

 

そして、この自由にならない障害を抱えてみると、相手がどれだけ自分に関心をよせているのかよくわかるものです。今まで看護師としての自分は、どのくらい当事者の言葉や思いに関心をよせ知ろうとしていたのだろうか…などと連想しました。

 

■■■ロベレート(Rovereto)の夏の風景風景.png

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