かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
2014.4.17 update.
2014年3月24日 ナーシングカフェ@医学書院
文+写真:神保康子(ライター)
早々に満員御礼、キャンセル待ちも多数、医学書院の会議室の椅子を総動員して? 行われた3月24日のナーシングカフェ。
話は遠く北欧からイギリス、北海道、バングラデシュにまで広がり、会場の参加者も含め多彩な「対話」が繰り広げられました。
お茶やコーヒーを飲みながらゆるゆると、かつ真剣に「オープンダイアローグってなんだ?」と、共に考えた3時間でした。
◆モノローグからダイアローグへ
「オープンダイアローグ??」また横文字のよくわからないものが出てきたな、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ダイアローグとは、日本語で「対話」と訳されます。
フィンランドの西ラップランド地方で始まった、統合失調症の初期の人に対するこの治療的取り組みは、「開かれた」「対話」をすることでその人を回復へ導くというものです。その後の再発率も低く、多くのケースで薬物療法は用いられない、もしくは最低限であるといいます。
このオープンダイアローグに興味を持たれ、書籍や論文を集めて研究を進めておられる斎藤環さん(筑波大学教授)は「今、精神科治療の世界的な潮流は、入院ではなくコミュニティケアに向かっています。コミュニティケアのあたらしい技法として、オープンダイアローグが大きな価値と意味を持っているのを理解いただけたらと思う」と、期待を寄せています。
斎藤環さん |
でも一体、開かれた対話ってなんでしょう?
お話を聞きながら、ダイアローグに対する言葉である「モノローグ」、つまり独り言について考えることで、より「対話」のもつ力が際立って迫ってきました。
斎藤さんは、「ダイアローグ」と「モノローグ」について、以下のように説明されました。
「オープンダイアローグというアプローチにおいては、コミュニケーションが成立すると、自ずと人は社会化されるという信頼が原点にあると言っていいと思う。つまり裏返せば、極端な言い方ですが、ダイアローグは健常でモノローグは病的であるという発想です。統合失調症や、その他の病理を抱えた人ほどモノローグになりやすい。答えの返ってこない独話を延々と続けやすいということがここでのポイントで、誰かがそれに答える必要があるのです」
「モノローグというのは、私の考えではすごくクリエイティブなものです。しかし、それがなんらかの病理と重なると、症状生成的に働く場合もある。後者の場合は毒ですよね。毒にも薬にもなる。それに対しダイアローグというのは、モノローグの中でどんどんテンションが上がっていくのを解きほぐす力があるような気がする」
大事なのは、ただ語ったり言語化したりすることではなくて、あくまでも「対話をする」ということなのです。
さらに、説明によるとオープンダイアローグと呼ばれる治療的アプローチでは、「開かれた対話」と「治療ミーティング」が2本柱となっています。統合失調症の発症後、早期に開始される治療ミーティングにおいては、本人と複数の支援者(訓練を受けた精神科医や看護師等多職種のチーム)や家族、その他本人にとってのキーパーソンが車座になって座り、「対話」を「繰り返す」ことに力点が置かれています。
また、重要ポイントとして、本人のいない場所で本人に関することを決めない、すなわち全員がいる場所で、治療方法や入院の可否などについても話し合われ、決定されるということが挙げられます。
しかしながら、このミーティングの目的は、診断や何かを決めることではありません。本人が病的な内容のことを話しても、それを受け止め言葉を返し、とにかく対話を続けること自体が目的化されていると、斎藤さんはいいます。
今回のナーシングカフェの内容は雑誌『精神看護』にも紹介されますので、ここではオープンダイアローグの詳しい手法や成果についての報告は割愛しますが、クライアントの家を訪れての開かれた対話は、その人が危機的状況から脱するまで毎日続けられます。それは、「ちゃんとよくなるからできること」と、斎藤さんは指摘しています。そうでなければ、人手が足りるはずがないからです。
◆「当事者研究」とダイアローグ
さて、日本におていは、北海道浦河町にある「浦河べてるの家」で、精神疾患や障害の苦労を持つ人たちが互いの苦労について話し「研究」するという独自の取り組み、「当事者研究」が行われてきました。
自分の症状にオリジナルの名前を与え、「爆発」や「自分いじめ」などでしか表現できなかった苦労を言葉にしてみる。そして、困っていることについて、やはり精神疾患や障害の苦労を持つ仲間と一緒にワイワイと考えていき、実験をして、また一緒に考えるというものです。
(詳しくは、「シリーズケアをひらく」の『技法以前』や『べてるの家の「非」援助論』『べてるの家の当事者研究』『当事者研究の研究』等をご覧ください)
べてるの家の当事者研究は、語ることや言葉にすることに注目をされがちですが、その理念の中には「当事者自身が仲間と共に」「ワイワイガヤガヤと語り合う」ということが挙げられています。
オープンダイアローグを知るにつれ、べてるの家の当事者研究は、決してモノローグではなく、実は対話であったことに気づかされます。そういえば、「当事者研究は一人でやると具合わるくなるんだよね」というのは、よくべてるの家のメンバーさんから聞く言葉でもあります。
べてるの家の販売部長・早坂潔さん。 この日も発言に販売に大活躍。 |
べてるの家を、1980年代から当事者と一緒につくってきた、向谷地生良さん(北海道医療大学教授)は、オープンダイアローグについて、「非常に現実的でバランスのとれた、さまざまな臨床的な経験、エビデンスをしっかりと取り込んだ、実に現実的な方法だと感じました」という感想を述べています。
続いて、3月15日からイギリスで開催されたオープンダイアローグUKのセミナーに参加した、『当事者研究の研究』の編著者でもある石原孝二さん(東京大学准教授)は、べてるの家の当事者研究とオープンダイアローグの似ている点と違う点について、とれたての情報を提供してくださいました。
|
「セミナーに参加してみて本当によく似ていると思った」と言う石原さんは、共通点について以下のように言っています。
「地域や支援組織のリソースを最大限利用して、ネットワークを作っていくという考え方は似ている。人口密度が低い地域ということも似ていますし、症状じゃなくて問題に焦点をあてるというところが、かなり本質的なところですが、これも似ています」。
注目したいのは、石原さんが印象的だったという次の点です。
「オープンダイアローグというのは、戦略やテクニックのようなものではなくて、考え方なんだということをすごく強調していました」。
このあたりも、理念はあっても詳しいマニュアルのようなものはない、べてるの家の当事者研究に通じるところです。
海を隔ててそれぞれの地域から芽生えた二つの取り組みは、多くの共通点を持ちながら、当然異なる点もあります。それは、オープンダイアローグでは予後が良くなることを強調している点、早期介入する点、学会誌等に発表して広めている点、家族の巻き込みを重視している点、そして専門家のシステマティックな組織性や、可能であれば投薬を回避する点などということでした。
◆オープンダイアローグとバングラデシュ
ところで、3月1日〜6日にかけて、バングラデシュ北部の都市にある障害者のコミュニティを訪問していた向谷地さんは、バングラデシュの地域性、文化にも、オープンダイアローグにつながる何かがあると、このナーシングカフェで感じたそうです。このことについてもご紹介をしておきます。
現地で、向谷地さんとべてるの家のメンバーは、統合失調症で座敷牢に入れられて5年にもなる女性や、鎖でつながれていた少女の自宅を訪問しました。
向谷地生良さん |
「鎖につながれている子とか、座敷牢で暮らす女性たちに、どうしていこうかと問われた時に、私たちはまず『訪問しよう』と、たくさんの支援者を集めて行き、家族と一緒に檻の中の女性を囲んで、外へ散歩に行こうと誘いました」
すると女性は座敷牢から出て、行きたいと意思表示をします。
「お母さんも一緒に外に出て、散歩して、リキシャに乗ってドライブまでするという経験をしました。浦河でも似たような経験をしてきたことと考えあわせると、何かこういう中にオープンダイアローグにつながる大事なポイントがあるなと、今改めて感じさせられました」。
ここには大きく2つの意味が込められているように思います。
一つは、複数の仲間や支援者でその人を訪問し、話をしながら現実社会へぐっと引き寄せた点です。
もう一つは、発展途上といわれるような国々、西ラップランドや浦河といった過疎といわれるような地域の方が、統合失調症等の精神障害を持つ人にとって希望があるということを実感した、ということです。
今回の旅のなかでも向谷地さんは、現地の支援者や周囲の人に、繰り返し話していたのでした。「日本とかアメリカとか、そういう国々のやり方じゃなくて、バングラデシュの方が今後の可能性があるかもしれない」と。
浦河と、フィンランドの西ラップランド地方の不思議なシンクロの未来、そして発展途上の国々でのこれからの取り組みがどう展開されていくのか、ますます興味が湧いてきました。
★参考:週刊医学界新聞記事はこちら⇒《オープンダイアローグが秘める可能性――ナーシングカフェ「オープンダイアローグってなんだ!?」のもようから》