その9 推理小説と症候学

その9 推理小説と症候学

2013.7.22 update.

岩田 誠(いわた まこと) イメージ

岩田 誠(いわた まこと)

東京女子医科大学名誉教授、メディカルクリニック柿の木坂院長。
「人」に対する興味に端を発して、東京大学医学部へ入学。その後、東京女子医科大学神経内科主任教授、同大学医学部長を歴任し、現在に至る。人を「観る、診る、視る」神経内科医。

文学や音楽といった芸術にも造詣が深く、著書も多数。主なものに、『神経内科医の文学診断(白水社)』、『見る脳・描く脳(東京大学出版会)』、シリーズ『脳とソシアル』などがある。

 

 病理解剖学の研究によって、生前の臨床所見とそれに対応する病理学的所見の知見が蓄積されてくるにつれ、臨床診断技術は格段の進歩を遂げていった。そして、臨床医学の教育者たちは、個々の患者における臨床症状と診察の結果得られた客観的所見から、それらの患者における病理学的変化を推測する方法を教えていった。それは、論理性、客観性、そして普遍性という、近代科学成立の3原則を見事に具現していたため、科学的合理性の思考方法に目覚めた19世紀人に広く受け入れられ、近代的な臨床症候学の基本的な方法論になっていったのである。そればかりではなく、このような症候学的思考方法は、19世紀の文化そのものにも、大きな影響を与えた。その1つが、推理小説の登場である。

 

 推理小説というジャンルの作品としては、1841年に発表されたエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』をもって嚆矢とするが、大きな発展を見たのは、なんといっても、1887年『緋色の研究』で登場したシャーロック・ホームズのシリーズ以後である。この類稀なる推理の天才を作り出したコナン・ドイル(Arthur Conan Doyle: 1859-1930)が医師であったことはよく知られており、ホームズの友人として作品中に登場するワトソンは、彼自身の姿であるとされている。そればかりではなく、ホームズその人にも、モデルとなる実在の人物がいた。それは、ドイルが学んだエジンバラ大学医学部の外科教授、ベル(Joseph Bell: 1837-1911)である。ドイルは、ベル先生の推理力に大いなる賛辞を捧げているが、実際ベル先生は、診察に訪れる患者との簡単な会話と、患者の観察を通して、単に病気の診断を行うのみでなく、患者がどこの村の出身で、どの道を通って病院までやってきたのか、何人の子供を連れて家を出たのか、そしてどんな仕事をしているのかまで、ピタリと当ててしまうという鋭い推理力を有する医師であり、その推理方法に感動したドイルは、彼の観察と思考の方法をシャーロック・ホームズという人物を介して世に示したのである。

病院医学の誕生9.jpg

 

 ホームズの活躍したのは、19世紀末から20世紀初頭までであり、彼自身は生粋の19世紀人である。しかし、その後登場する20世紀の名探偵たち、エルキュール・ポワローやミス・マープル、メグレ警視、そして刑事コロンボといった推理の天才たちもまた、徹底的な観察に基く論理的な思考方法をもって、難事件を解明していった。彼らの心の中にあったのは、「小さな事実が大きな真実を解き明かす」というモットーである。このことは、近代病院医学の中で発展してきた臨床症候学の基本的思考方法であった。かつて私がパリで神経内科学の臨床を学んでいた頃の或る日の外来で、師匠のロンド先生が、てんかん発作を持つ若い患者の手指の爪の脇にあるほんの小さな腫瘤を観ただけで、結節性硬化症という診断を下されたが、それはまるで、そばに居た私がまるでホームズの脇で謎解きを聞くワトソンになったような気分だった。このようにして、臨床症候学と推理小説は、手に手を携えて共に発展してきたのである。

このページのトップへ