その8 精神病患者の解放

その8 精神病患者の解放

2013.7.08 update.

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岩田 誠(いわた まこと)

東京女子医科大学名誉教授、メディカルクリニック柿の木坂院長。
「人」に対する興味に端を発して、東京大学医学部へ入学。その後、東京女子医科大学神経内科主任教授、同大学医学部長を歴任し、現在に至る。人を「観る、診る、視る」神経内科医。

文学や音楽といった芸術にも造詣が深く、著書も多数。主なものに、『神経内科医の文学診断(白水社)』、『見る脳・描く脳(東京大学出版会)』、シリーズ『脳とソシアル』などがある。

 

 先回、疾病分類学のパイオニアとして紹介したピネルは、一般には、別の物語の主人公としてのほうが、はるかに有名である。彼はもともと内科医であったが、友人の1人が精神病に罹患したことをきっかけとして、精神疾患とそれに苦しむ患者に眼を向けるようになった。1793年、彼はビセートル病院(Hospice de Bicètre)の内科医に任命されたが、ここは、ルイ14世時代に設立されたオピタル・ジェネラル(Hôpital Général)の1つであり、元来は男性の浮浪者、貧困者、あるいは罪人を収容する施設であった。国民公会政府は旧オピタル・ジェネラルを、病院とすることを定め、ビセートル病院にピネルを派遣したのである。この時代まで、精神病患者は、病者というよりは罪人として扱われており、畜舎のような藁を敷き詰めた病室の壁に、鎖で繋がれていた。彼らは、まるで牛馬のように、わずかな食事を餌のように与えられ、藁の上に眠り、し尿に汚れた藁がときどき熊手で掻き出されると、また新しい藁が敷き詰められるといった有様であったという。こんな非人道的な収容施設に派遣されたピネルは、患者たちの鎖をはずし、精神病患者は病者であって、罪人ではないということを世に示した。

 

 1795年、テルミドール9日の反動によって恐怖政治が終わりを告げた後、ピネルはサルペトリエール病院(La Salpêtrière)の内科医に任命される。サルペトリエール病院も、旧オピタル・ジェネラルの一つであり、こちらは、女性の浮浪者、貧困者、あるいは罪人を収容する施設であった。かつてここに収容されていた女囚の中には、王妃マリー・アントワネットの首飾り事件として歴史上有名な詐欺事件の主犯、ド・ラ・モット伯爵夫人や、小説のヒロインである、マノン・レスコーがいる。それに加えて、ここにも、多くの女性精神病患者たちが、家畜のように鎖に繋がれた状態で収容されていた。ここに赴任したピネルは、早速彼女たちを鎖から解放する。サルペトリエール病院における、この女性患者の鎖からの解放という出来事は、ロベール-フルーリ(Tony Robert-Fleury)の巨大な油彩画『女性精神病者を鎖から解き放つピネル』に描かれて有名になった。この絵は、現在サルペトリエール病院神経病クリニックに付設されたシャルコー図書館に掲げられており、フランス革命が単に政治革命であっただけでなく、人間の精神の解放という、社会的な思想革命であったことを高らかに歌い上げている。また、そのような革命精神の実践者であるピネルの銅像が、サルペトリエール病院の門の外に立っており、世界各国の精神医学に興味を持つ多くの医師たちがその足元で彼の偉業を偲んでいる。

 

 サルペトリエール病院の神経病クリニックの裏には、この鎖からの解放の場となった精神科病棟の一部が今も残されている。中庭を四角く囲むようにして建てられていた平屋建ての病棟の壁には、かつて患者の鎖をつなぐ大きな鉄環が埋め込まれていたというが、今はその鉄環はあとかたもない。精神医学におけるピネルの後継者たちは、この後、精神医学の専門家として、フランスにおける近代的な精神医学を確立していくことになる。

 

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