第2話 胃酸のジレンマ

第2話 胃酸のジレンマ

2013.5.30 update.

吉田貞夫 イメージ

吉田貞夫

筑波大学医学専門学群卒。日本静脈経腸栄養学会評議員・認定医、日本病態栄養学会評議員・病態栄養専門医、日本外科学会外科専門医、インフェクション・コントロール・ドクター、PEGドクターズネットワーク理事。医学博士。平成16年より沖縄に移住。平成24年より現職。近年、高齢者の栄養療法の分野で、多数の雑誌に寄稿。全国各地で講演(『ライブ』ともいわれている)。『MNAガイドブック』の執筆者のひとり。

スッキリの背後に潜む恐怖

第1話では、「食べてほしいのに、食べてくれない…」食欲のジレンマについて書かせていただきました。これを書いているワタクシ自身、みなさんと同じで、日々ジレンマに悩む「ジレンマer」なんです。これからも、一緒に戦っていきましょう!

 

第2話は、胃酸のジレンマ。胃酸と、それを抑えるプロトンポンプ阻害薬(以下、PPI)などのいわゆる制酸剤のジレンマです。

 

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今回の症例は、82歳の女性。これまでの経過をまとめてみます。

 

脳出血(左被殻出血)で、右片麻痺、嚥下機能の低下がみられます。かつては、胃食道逆流による誤嚥性肺炎を繰り返し、そのたびに絶食と抗菌薬による治療を行っていました。

 

その後、胃瘻を造設し、半固形化の栄養剤投与を行うこととなりましたが、胃瘻造設時、内視鏡にて逆流性食道炎と食道裂孔ヘルニアが認められたため、制酸剤であるランソプラゾール投与が開始となりました。

 

PPIの一種。強力に胃酸の分泌を抑え、難治性の潰瘍にも優れた効果を発揮することから、胃潰瘍や逆流性食道炎の治療の第一選択薬となっています。

 

胃瘻造設術後1週間ほどすると、発熱と下痢が認められました。さて、その原因は…? そう、みなさんのご想像通り、C.difficile(クロストリジウム・ディフィシル)関連腸炎:CDADでした。肺炎で抗菌薬を使用していたために腸内細菌叢のバランスが崩れ、C.difficileが感染してしまったのです。

 

C.difficileによる腸炎を、何も考えずに、「偽膜性腸炎」と呼んでいる人もいますが、偽膜性腸炎と呼んでも差し支えないのは、内視鏡で偽膜が認められたときだけ。内視鏡をせず、便からの菌または毒素の検出で診断した場合は、クロストリジウム・ディフィシル関連腸炎 C.difficile associated diarrheaと呼びます。注意しましょう。

 

そこで胃瘻からバンコマイシン0.5gを1日4回、2週間投与したところ、下痢は見事に改善しました。

 

しかし、その2週間後、下痢が再発しました。バンコマイシン投与でガッチリ治療したはずなのに、なぜ再発してしまったんでしょう? 介入したNSTメンバーは、CDAD以外に下痢の原因がないか、検討してみました。

 

表 経腸栄養中の下痢の鑑別診断

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(吉田貞夫:見てわかる 静脈栄養・PEGから経口摂取へ、71ページより)

 

 

これらをひとつひとつ検討しましたが、やはり、CDAD以外の原因はなさそうです。きちんと治療したにもかかわらず、なぜCDADを再発してしまったのでしょうか? ここには、意外な落とし穴があったのです。


〈次ページにつづく〉

 

下痢再発の意外な理由

この患者さんは、逆流性食道炎と食道裂孔ヘルニアが認められたために、ランソプラゾールを内服していました。実は、ランソプラゾールなどのPPIは、CDADの発症率1)、再発率2)をともに上昇させることが知られています。この患者さんのCDAD再発の理由は、ランソプラゾール投与にあったと考えられました。


では、ランソプラゾール投与は間違いだったのでしょうか? 話はそう簡単ではありません。この患者さんにPPIの投与を行ったのは、逆流性食道炎があり、以前から胸焼けなどの症状があったからです。また、食道裂孔ヘルニアのために、経腸栄養の際も胃内容逆流による誤嚥性肺炎を発症しやすい状況にありました。胃内容逆流による誤嚥は、胃酸などによる化学性の肺炎(メンデルソン症候群)につながります。こうした肺炎は急激に呼吸状態が悪化し、その死亡率は30%に達するという文献もあるくらい、重篤なものになりがちです。

 

したがって、この患者さんへのランソプラゾール投与は、胸焼けなどの不快な症状を取り除くだけではなく、重症肺炎を防止する観点からも有効だった可能性が高いのです。

 

しかしその結果、CDADの再発を促してしまった可能性も高いのです。これこそ、まさに「胃酸のジレンマ」と言えるでしょう。いったいどうすればよかったのでしょう?

 

 

CDAD再発を防ぐ方法を考える

 

再発を繰り返すCDADは、全世界的に大きな問題になっています。国立感染症研究所の加藤はる氏によれば、PCRリボタイピングという方法で調べた結果、再発には、バンコマイシンなどの治療でC.difficileを完全に除去できず、再増殖してしまった、いわゆる狭義の再燃と、C.difficileがいったんは完全に除去できたにもかかわらず、また新たに別の菌株に感染してしまう再感染の2通りがあるそうです。


  CDADの再発
  ・再燃:治療で完全に除去できず、再増殖
  ・再感染:いったんは完全に除去できたが、また新たに別の菌株に感染


「再燃」を防ぐには治療を徹底させるしかありませんが、いったんは完全に除菌できたのに、また感染してしまう「再感染」を防ぐにはどうすればいいでしょうか? この場合、バンコマイシンなどによる治療と並行して、腸内細菌叢や、腸内環境を整えるというアプローチを検討してみる必要があります。

 

欧米では、再発を繰り返すCDADの患者さんに、「便移植」という衝撃的な治療も行われています。「便移植」とは、採れたてshineの便を生理食塩水で溶いて、経鼻十二指腸チューブを通して注入するという治療法です。ちょっと抵抗がありますよね……。でも、これが、バンコマイシン単独群に比較して、非常に成績がいいらしいです。下痢も治癒するし、腸内細菌の多様性なども改善するんだそうです。あなたが患者さんだったら、どうしますか?? 少なくとも、便の提供者は選ばせて??

 

……残念ながら(?)、日本では便移植はあまり一般的ではありません。この患者さんには、腸内細菌叢や腸内環境を改善することを目的に、プロバイオティクス製品を使用することにしました。おなじみの薬剤なども数種類あると思いますが、筆者が最近使用しているのは、市販のビフィズス菌末(写真)です。1回内服あたりの菌数も多いらしく、再発を繰り返すCDADの患者さんが、改善した例もあります。使用をはじめて、2週間ほどすると、徐々に便の性状も改善。その後、下痢や発熱がみられることもなくなり、この患者さんは、元気な表情で退院されました。

 

有益な作用をもたらしうる有用な微生物と、それらの増殖促進物質のこと

 

 

写真 ビフィズス菌末BB536

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胃酸の分泌を抑えるPPIは逆流性食道炎や胃潰瘍、十二指腸潰瘍に悩む患者さんにとっては、救いの手を差し伸べるすばらしい薬です。しかし、今回の患者さんのように、その使用が裏目に出てしまう場合もあります。最近の報告では、PPIの内服は、とくに高齢者などで、肺炎の発症率、骨折のリスク、さらには、死亡率の上昇3)とも関連があるとのことです。不必要に長期に投与することがないよう、十分注意したいですね。

 

今回の胃酸のジレンマ、いかがでしたでしょうか? ところで、第1話「食べてほしいのに、食べてくれない…」食欲のジレンマでは、みなさんからたくさんのコメントをいただき、本当にありがとうございました。とっても「やりがい」を感じます。全国のジレンマerのみなさん、これからも応援、よろしくお願いします!! §^0^§

 

次回、第3話は、アブラのジレンマをお届けします。

 

 

参考文献
1)Janarthanan S, et al. Clostridium difficile-associated diarrhea and proton pump inhibitor therapy: a meta-analysis. Am J Gastroenterol. 107(7):1001-10, 2012.
2)Kim YG, et al. Proton pump inhibitor use and recurrent Clostridium difficile-associated disease: a case-control analysis matched by propensity score. J Clin Gastroenterol. 46(5):397-400, 2012.
3)Maggio M, et al. Proton pump inhibitors and risk of 1-year mortality and rehospitalization in older patients discharged from acute care hospitals. JAMA Intern Med. 173(7):518-23, 2013.

 

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