庭の千草

庭の千草

2012.9.10 update.

庭の千草も 虫の音(ね)も

枯れてさみしく 咲きにけり

ああ白菊 ああ白菊

ひとり遅れて 咲きにけり

ああ白菊 ああ白菊

ひとり遅れて 咲きにけり

 

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コメント

里見義作詞、アイルランド民謡ですね。
これも、今もよく歌われている曲だと思います。

「ひとり遅れて」は「ひとり後れて」が本来の意味です。遅い時期までというのは表面の意味で、その場合は「遅れて」でよいのですが、愛する伴侶に先立たれた人を白菊にたとえたのが作詞者の意図ですから、死に後れて取り残されることを意味する「後れて」という意味が隠されているのです。原詩の「夏の最後の薔薇」と比較すれば、日本語の作詞者が、単に遅くまで咲き残っている白菊の健気な姿を歌っただけではないことが一目瞭然です。愛する伴侶に先立たれた者は、露の涙に濡れてうなだれます。しかし人生の艱難とも言うべき霜には決して負けることなく、毅然としているのです。「おごる」は「傲る」と書き、凶暴なものにも負けないことを意味する言葉で、決して驕り高ぶるという意味ではありません。作詞者は人生の晩年である冬に、独り後れても毅然と、かつ健気に生き抜く残された伴侶の姿を、白菊に譬えているのです。そうであればこそ、「ひとの操もかくてこそ」の意味が生きてくるでしょう。そもそもこのような深い意味をもつ歌を、小学生に歌わせることが無理なのです。年配になって初めて実感をもって歌える歌です。インターネットで「庭の千草」を検索すると、「遅れて」という漢字を当てているものばかり。「後れて」という理解をしているものは全く見当たりませんでした。残念でなりません。美しい曲と歌詞ですから、もちろん小学生が歌ってもよいのですが、伴侶に先立たれて力を落としている方が本当の意味を知れば、どれ程慰めになるかと思います。

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