『毛のない生活』 山口ミルコさんに会う 前編

『毛のない生活』 山口ミルコさんに会う 前編

2012.5.15 update.

山口ミルコ イメージ

山口ミルコ

エッセイスト、出版プロデューサー
1965年東京都生まれ。
角川書店雑誌編集部をへて94年2月、幻冬舎へ。
プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで、幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。
2009年3月に幻冬舎を退職後はフリーランス。
ジャズ・吹奏楽関連の執筆や演奏活動もしている。
ミシマ社のウェブ雑誌「平日開店ミシマガジン」に「ミルコの六本木日記」を連載中。
http://www.mishimaga.com/mirko-roppongi/index.html
本に書かれなかった第33回「豆腐屋デート」は胸きゅん。泣ける。


『毛のない生活』

山口ミルコ著、ミシマ社、1500円+税

敏腕編集者、会社大好き、そんな著者が思いもよらぬ退社。その一ヶ月後、ガンを宣告され、突然闘病生活が始まる。

「まさか自分が坊主になろうとは。起きてマクラが髪の毛だらけで真っ黒だったあの朝のことは、生涯忘れないだろう」

何も「ない」日々のなかで見えてきた「これから」の生き方。

毎日を真摯に生きる全ての現代人に捧げる渾身のエッセイ。

(帯より引用)

 

 

 

取材:石川誠子 医学書院 編集者

 

5月初旬、『毛のない生活』を書いた山口ミルコさんに会う機会をいただける、ということで、版元のミシマ社さんへ向かった。

一体どういう人なんだろう、と正直、胸は不安でドキドキしている。

ミルコさんは、もと、幻冬舎で働いていた大物作家担当の敏腕編集者。46歳。

担当した本のリストを見せていただいたら、おお、五木寛之、さくらももこ、吉本ばなな、……うう、まぶしいなあー。

 

一方の自分ときたら、お堅い専門出版社で、最近担当したものが『幻聴妄想かるた』ときたもんだ。なんかもう月とすっぽんではないか。

ミルコさん全開のオーラやらパワーやらに当てられて顔面硬直、失語症になったらどうしよう。

ああ、でも、同年代の女性として、また分野は違えど編集をやっている者として、どんなふうにバリバリなのかも見てみたい(=怖いもの見たさ)。

そんな揺れ動く心をかかえながら、自由が丘の坂をのぼる。

 

 

「こんにちはー」。はじめて会うミルコさん。「前回は風邪でキャンセルさせてもらってすみません。やっと会えましたねー石川さん」「よろしくお願いしますー」。にこにこ。

 

いきなりお互いの名前の話になる。石川の名前は「誠子」。ちょっと変わった読み方で、これで「なりこ」と読む。

「ミルコも変わっている名前ですが、芸名じゃないんですよね? どういう意味なんですか?」

「商社に勤めていた父がつけたんですけど、ロシア語で平和って意味なんです」

「じゃあ日本名にしたら和子、とかになるんでしょうかねえ」

 

そんな話をしているうちに、あれ、なんか、すごーく低姿勢な、謙虚な人だなあ、と感じ始める。人の話はまず肯定してから答えてくれるし、なんというか、全体的に受容と共感の姿勢なのだ。

言葉も、早口じゃなくて、一言ひとことを丁寧に考えながら口にしている。

おーぜんぜん怖くないぞー。敏腕編集者だからって、ビンビンワンワンしているわけじゃないんですね。こんな私が言うのもおこがましいけれど、極めて常識的な人だ。

ほっ。

 

 

さっそく本の話に入る。

『毛のない生活』というタイトルについて。

「最初のタイトル候補は、章の名前になっている、「欠席、可。」だったんです。でも、最後の段階になって、ミシマさんから連絡があって、「『毛のない生活』にしますから」って。そのときは「あ、いいですよ」と即答しました」

おー。さすが編集をしていた人。編集者の意見は尊重するのだなあ。

 

「毛といえば、失礼なんですけど、いまは綺麗なボブですが、それはかつらなんですか?」

「いや、これ、自分の毛なんです。抗ガン剤をしたら、予告されていたそのとおりにきっちり2週間で抜けて、きっちり2週間で生えてきました。最初は、元の毛を忘れちゃったの?みたいな剛毛が生えてきて、あららーと心配したんですが、いまは元と同じ髪質になりましたよ」

 

そう言い終わって、ミルコさんはつけたした。「だから、いつかはちゃんと治るんですよ」。

 

抗ガン剤で失われた毛、そしてもう一度生えてきた毛。

毛は、ミルコさんの過去の生き方への決別と、生まれ変わりを象徴しているものだ。

 

過去のミルコさんの生活……。

「旬の人と最先端の本を作るのが私の仕事だと思っていた」と言うミルコさんの幻冬舎時代の生活ぶりは、本のなかにも垣間見られる。

 

――都心に住み、高級外車を乗り回し、GI値の高い食事を好み、ハイブランドのスーツを着ていた。

――20年におよぶ多忙な編集者生活のなかで私が溜め込んだ毒。

――いつもハレ、雨が降ってもハレ。

 

「頭の中は24時間編集のことで占められていましたね。いいフレーズが浮かんだら夜中だって起きて書きとめていたし」

 

会社大好き、編集大好き。

そんな彼女がなぜ会社を辞めたのか、そのあたりについては本を参照いただくとして、でも、20年に及ぶ編集者生活の最後には、

 

――精神的に追い詰められ、体調も悪かった。さらにいつも眠かった。ときどき割れるように頭が痛くなった。

とも。

 

「自分でもガンになったことを納得されているように感じる文章が、ところどころに見えるのですが」

「自分はガンになるべくしてなった、と思っています。だからガンを告知されたとき、なぜ私に?といった思いはまったく浮かばなかったですね……誰の体のなかにも常にガン細胞はある。それが、身体が弱ったときに、いまだーー!といって、活動しはじめるんだと思います」

 

しかし、そこからがスゴイのだ。

ガンの宣告を受けてからの生活の変貌ぶり、方向転換の“角度”が、普通じゃないのである。

オーガニックや野口整体など、およそそれまでの六本木在住生活とは縁もゆかりもなかったものを、取り入れていく。

それを読む私は、「いいぞ!その調子!」と応援したくなってくる。

 

――どんな事態になろうとも、さらっといこうと決めた。

 

くうー。かっくいいー。

治療の過程や副作用の吐き気などのツライ話もあるが、新しい生き方、考え方がミルコさんを支えていくのだ。(つづく)

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