第3話 告白

第3話 告白

2012.1.18 update.

信田さよ子(原宿カウンセリングセンター所長)

1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、現在に至る。臨床心理士。アルコールをはじめとする依存症のカウンセリングにかかわってきた経験から、家族関係について提言を行う。著書に『アディクション・アプローチ』『DVと虐待』(ともに医学書院)、『ザ・ママの研究』(よりみちパン!セ/イースト・プレス)他多数。最新刊は『さよなら、お母さん――墓守娘が決断する時』(春秋社)。

精神科病院は、刑務所と並んで合法的に人の自由を拘束できる数少ない場所である。前回は、そこに自由に出入りする権利の象徴である「鍵」を手にした瞬間の畏れや不安、そしてわずかの恍惚について述べた。

 

さて、もうひとつ取り上げなければならないことがある。それは、閉鎖病棟に足を踏み入れたとたんに私が抱いた強い恐怖感についてである。

正直にこう書くには勇気が要った。精神科病院に勤務する者が、「患者さんが怖い」と言うことはタブーである。少なくとも当時の私はそう考えていた。

 

連載前篇において、嘉子がノジマさんに抱く恐怖、そこから始まるフラッシュバックと保護室での経験は「カウンセラーは見た」の山場のひとつだ。

もちろんそれはフィクションであるが、現実に保護室で嘉子と同じ状況に遭遇してもそれほど怖くない人もいるだろう。病棟医が嘉子のことを「こわがり」として吹聴したのは、やはり怖がる度合いが大きかったからではないだろうか。

原稿を書きながらずっと私は考えていた。嘉子の恐怖は、そして私の恐怖はどこからやってきたのだろう、果たして淵源があるのだろうか、と。

 

●私は怖い

 

告白ついでに書いてしまおう。私は独語や空笑する人たちが怖いのだ。

しばしば電車でそのような人に遭遇することがある。なぜか女性より男性のほうが怖い。不自然な笑みを浮かべ大声で話しながら車両の端から端まで往復している男性に遭遇したときなど、次の駅で降りその電車をやり過ごしたり、別の車両に乗り換えたりしたことも珍しくない。

そして、アルコール依存症が専門だと豪語しているわりに、酔っ払いも怖い。終電間際の帰りの電車で酔っ払いと同乗するたびに、全身が恐怖で固まってしまうほどだ。平気で薄笑いを浮かべ、知らんふりのできる人が心底うらやましい。

ちょっと大げさだが、これらは本邦初公開の事実である。

 

もちろん、理由はいくつでも挙げることができる。意志疎通のできない存在、その行為や反応が予測不能な存在、おまけに男性で体格も力もはるかに勝る存在。

これらは私が恐怖を抱くのに十二分な条件である。たとえば、猛獣を前にした恐怖にも似ている。とすると、私は精神科病棟の男性患者さんや電車内の酔っ払い、独語空笑を繰り返す男性のことを猛獣と同じ存在ととらえていたのだろうか。

 

どうもこれらの理由だけでは不十分な気がしていた。いくらなんでも私がその人たちを猛獣と同一視していたなどと考えたくはない。

嘉子のフラバの場面を書きながら、そして後編にとりかかる前にその部分を何度も読み返しながら、私はいつのまにか記憶をたぐりよせていた。すると、カメラのフォーカスが徐々に絞られて像がくっきりと浮かび上がるように、小学五年生のある体験がよみがえってきた。

いや、よみがえるという表現は正確ではない。忘れていたことが不意に思い出されたわけではないからだ。私はそのことを忘れたことなどないし、ずっと覚えていた。

 

●秋の日のマツゴ掻き

 

晩秋の澄んだ青空のもと、小学五年生の私は仲良しのミナちゃんと、午後三時半に近所の空き地で待ち合わせていた。二人とも背中に竹製の籠を背負い、手には熊手を持っている。

 

私の生まれ育った町は、岐阜駅からまっすぐ北に、単線の路面電車で四〇分ほど揺られた終点に位置していた。線路と伴走するように細い街道がくねくねと走り、その道をさらにひたすら北へ北へと向かっていけば、いくつもの山深い峠を越えて越前の国(福井県)に至る。

かつてその町は、東海道から越前に抜ける街道の宿場町でもあった。私の実家は江戸時代の終わりから明治にかけて、その町で小さな旅館を営んでいた。旅館の宿帳には、明治維新の際、水戸の落ち武者が越前に逃げるとき立ち寄ったという記録が残っている。

 

私の記憶にある太陽は、いつも山から出て山に沈んだ。西には伊吹山、北には白山、東にはずっと先に木曽御嶽山がそびえているのだと言い聞かされて育ったが、目に入るのはもっと低い里山の数々だった。町と隣村の境界には必ず山があった。お盆のように丸くて低い緑の里山がいくつも連なり、そのあいだには隙間なく水田が広がっていた。

 

稲刈りの終わった晩秋には、山肌にはマツゴと呼んでいた枯れた松葉がふんわりと降り積もり、踏みしめるといい匂いがした。

当時の風呂の燃料は、薪や枯葉、稲わらだったので、秋の山は燃料調達の格好の場だった。なかでもマツゴは油分を含んだ松葉がパチパチと音を立てて勢いよく燃えるので、杉葉と並んで人気があった。風呂焚きもあの音が聞けると思うと楽しみで、そのための「マツゴ掻き」も、手伝いというより胸の躍る遊びのひとつだった。

 

●オッチャンかもしれん

 

私とミナちゃんは、しょい籠の中にいっぱいマツゴを詰めて帰ろうと計画していた。ひんやりとした空気のなか、私たちは手をつないで、陽が暮れる前に山を降りられるようにと、早足で山に向かった。金毘羅山と呼ばれていたその山は、見上げればこんもりと常緑樹に覆われている。

踏み固められていない乾いたマツゴを掻くために、二人はわざと登山道を避けて登った。何度も途中で立ち止まり、熊手でマツゴを掻いて籠に詰める動作を繰り返しながら登っていくと、秋の夕暮を知らせる冷気が徐々に山の上から降ってきた。ミナちゃんと私は無言でひたすらマツゴを掻き、籠に詰め、遠くから響いてくる風の音だけを聞いていた。

 

突然、「オオーン」という声が聞こえた。呼び声なのだろうか。なんと言っているのかわからないが、たしかに男性の声が山の下のほうから湧き上がるように響いてくる。

互いに顔を見合わせた私たちは、声のするほうを見た。

 

「あれ、オッチャンかもしれん」

 

ミナちゃんはつぶやくように言った。

 

オッチャンとは、私たちと同じ町内のはずれに住んでいた少し年上の男の子のことだ。オッチャンには知的障害があった。少し目のつりあがった風貌だったが、私の小学校の特殊学級に通っていたわけでもない。毎日をどのように過ごしていたのかはわからないが、学校から帰ってから、いつもお宮や公園でいっしょに遊んだ。

オッチャンには美人のお姉さんが付き添ってくることが多く、鬼ごっこやドッジボールに興じるのを遠くから見守っていた。同じ小学校に通っていないことは問題にならず、むしろ言葉があまりうまく話せないために、女の子がお姉さん役を奪い合うほどの人気者だった。

 

オッチャンの家にはお父さんがおらず、色白のお母さんが三味線を教えていた。お腹が空くと、四~五人でオッチャンの家に上がり込んでドロップをもらい、トランプをしてから帰った。シャボン玉を飛ばすのがとても上手なオッチャンは、皆がほめてくれるとうれしそうに顔を赤くした。

いつのまにか顔を見なくなったので気になっていたら、誰かが岐阜市の専門の中学校に入ったらしいと教えてくれた。「こないだ見たけど、オッチャン、背が高なってニキビができとった」という友達もいた。

 

●無言の逃走

 

「わたしらからちょっと離れて、オッチャンがついてきたような気がしたんやわ」

 

私の目を不安そうに見つめながらミナちゃんが言った。

そう言えば、手をつないで一心不乱に山を登り始めたころ、うしろのほうから人の気配らしきものが感じられたことを思い出した。マツゴを掻いているとき、何の物音もしなかったと思っていたが、ひょっとして熊手の擦れる音で聞こえなかっただけなのかもしれない。オッチャンが後をつけて山を登る足音を、私たちは聞き損ねていたのだろうか。

 

「ウォーッ」

 

こんどははっきりと聞こえた。さっきより声は近くなっている。

ミナちゃんの顔は少し蒼くなっている。二人は口をそろえて言った。

 

「どうしよう……」

 

とっさに、私たちは登り始めた。降りるわけにはいかなかった。たぶんすぐ下まで、私たちが登ってきた同じ道をオッチャンが上がってきている。早く登らなければ、オッチャンに追いつかれてしまう。二人とも必死で、マツゴの降り積もる道を滑りそうになりながら、駆け上がる勢いで登った。

どれだけ経っただろう、やっと頂上にたどりついた私たちは、肩で息をしながら、今度は山の反対側の斜面を下り始めた。

 

ミナちゃんと私は無言のままだった。マツゴに足を取られて、ミナちゃんも私も何度か滑って転んだが、すぐに起き上がりひたすら下り続けた。オッチャンが追いかけてくるかどうか、確かめることすら怖かった。

 

夕闇が迫り、視野の先が薄紫色に霞んできたが、きっとどこかにたどり着くはずだと信じていた。しだいに斜面がゆるやかになり、木々の合間から、チラリと民家の灯りが目に入ったので、金毘羅山を下りきったことがわかった。

降りたところは、登り口から九〇度東側に寄った登山道のはずれだった。山裾を縫って走る小さな川が目に入った。二人はぜいぜいと息を切らし、顔を見合わせた。ほっとすると同時に、涙が出てきた。泣き始めるとどんどん気持ちが高ぶり、私とミナちゃんは二人そろって号泣しながら歩いた。

 

その後、家にどうやって帰ったのか、家族にどう説明したのかは覚えていない。たぶん何も言わなかっただろう。

 

●わからなさが怖かった

 

一連の出来事を、オッチャンの立場から想像してみる。

久しぶりに二人の幼馴染みを発見し、いっしょに遊べるかと思って後をついていった。ニキビもできて、声変わりしてしまったので、近くで声を掛けるのがはばかられたからだ。二人は思いもかけず山に登り始めたので、後をついて同じ道を登っていった。ところが突然、二人の姿が見えなくなったので、大きな声で呼んだ。

 

「オーイ!」

 

返事がないのでもう一度大きな声で叫んだ。

 

「オオーイ!」

 

しかし山の斜面でマツゴを掻いていた私たちには、周囲に誰もいない秋の山で、男性の声が下から吹き上げてくることが恐ろしかった。それがオッチャンだったとしても、かつての少年ではなく「男の人」になったオッチャンは、見知らぬ人と同じだった。野太い男の声で叫ぶオッチャンは、やがて木々をかき分けて私たちの前に姿を現すだろう。落ち葉を踏みしめながら登ってくる足音が聞こえる気がした。

それが何を意味するかはわからない。わからないけれど、きっと未経験の圧倒される何事かが起きるに違いないという直感だけが二人を突き動かした。わからなさが怖かった。ミナちゃんと私は逃げるしかなかった。

 

今から思えばそれは「性的」な恐怖感だったと思う。

震えるような恐怖、立ちすくみそうになる恐怖。それはオッチャンが男性であり、性的暴力を行使するかもしれないという危険性からわが身を守るために生まれたものだった。今となっては、そう思える。

小学五年生の二人の判断はぴったりと一致していた。逃げ始めた瞬間、同じことを考えていた。オッチャンには何を言っても通じない、あの叫び声はかつての遊び友達のオッチャンではない、未だ知らない世界の猛々しさを前に私たちは圧倒され、無力なまま「殺されて」しまうかもしれない、と。

 

ミナちゃんとは、その後同窓会で何度も会っているが、不思議にあのときの経験を一度も話したことはない。避けていたわけではないのに、なぜか目の前のミナちゃんと話していると、そのことは頭から離れてしまった。彼女があの日のできごとを、私と同じように覚えているかどうかを確かめたこともない。

つい先日も帰郷した折、あの金毘羅山のふもとを車で通ったが、記憶の世界に残っている山とは別物のように、おだやかに冬の陽を浴びていた。

 

●中空に浮かんだ絵

 

私の経験のこのメカニズムは、性暴力被害のそれと酷似している。私はレイプされたわけではない。そもそもオッチャンが実際に姿を現し、この目でオッチャンを見たわけでもない。

あのとき二人ははひたすら逃げたのだが、もし私一人だったらどうだろう。マツゴ掻きに一人ではでかけるはずはないが、ミナちゃんがもしそばにいなかったらどうなっただろう。果たして私はあのように逃げることができただろうか。

しばしば性暴力において、被害者が逃げなかったこと、抵抗しなかったことが合意の意思表示とされるが、あの秋の夕暮、ひとりぼっちの私は、山腹で足がすくんで動けなくなっていたかもしれない。それは決して何かを合意していたわけではない。恐怖ゆえに動けなかったのだ。

ミナちゃんがいたから、必死で山を登り、頂上から別の斜面を下りることができた。何かに突き動かされて、少女二人が決死で取った行動は正しかった。私たちは何ら被害を受けることはなかったし、私たちに逃げられたオッチャンは、「加害行為」に及ぶことはなかったからだ。

 

ただ、私の記憶に恐怖の痕跡だけが残された。それは五五年近く経っても消えることはなく、類似の状況に遭遇するたびに、同じくらいの恐怖が私を襲う。

痕跡を残した出来事の記憶は、鮮明なまま瞬間冷凍されて脳内の小部屋に保存されていたのだろうか。そうだとしても、それは決してその出来事=経験を忘却していたわけではない。

 

性被害、特に近親姦と呼ばれる性虐待の場合、「忘れていたことを思い出す」と表現されるが、正確ではないだろう。私の経験がそれに近いものであれば、鮮明なまま覚えているにもかかわらず、瞬間冷凍された出来事の記憶はまるで中空に浮かんだ絵画のようだった。時間軸から遊離し、つながりもなく、「意味」も「名前」もないままだった。名づけようもない経験は、記憶のなかに軟着陸させることはできなかったのだ。おそらく性虐待の記憶もそのようにして、暗い宇宙を漂っているのではないだろうか。

 

性被害の特徴は、出来事の記憶は茫漠として漂っているにもかかわらず、そのときの恐怖感だけが根深く残っていることだ。私の場合も、まるで生理的反応のように何かの拍子に喚起された恐怖は、叫び声、迫りくる足音、木々を揺らす不穏な気配を伴ってよみがえる。たいしたことではないと言い聞かせるのだが、身体は固まり冷や汗がにじみ出る。それは、まるで死の恐怖のようだ。

 

●言語に導かれて軟着陸

 

多くの性被害者は、ある場面に遭遇すると突然恐怖に襲われ、金縛りにあったような呼吸困難や発汗をおぼえる。フラバと言ってしまえばそれまでだが、小さな死を体験しているようなものだ。

その苦しさに加え、なぜ、自分にこのような反応が起きたかわからないという不安がさらに症状を増悪させる。そして、弱い自分はだめだ、意志で自分制御できないなんてだらしがないといった自責的な思考回路へと自分を導く。こんな悪循環を逃れることは極めて困難であり、多くの性暴力被害者が、その後の人生が根底から変わってしまったと述べていることに深く納得させられる。

 

嘉子のフラバと私の患者さんへの恐怖をつなげることで、一つの記憶がまるで中空から舞い降りてきたかのように鮮明に浮かび上がり、時系列のなかにしっかりと根を張った。「カウンセラーを見る」と、ときにはこんないいことも起きるのだ。

 

だからといって、怖がりの私は変わらないだろう。これからも、電車で酔っ払いに出会えば恐怖で身体が固まり、精神科病院を訪れることがあれば相変わらず閉鎖病棟の男性患者さんのことは怖いままだろう。しかし、わけもなく怖いわけではない。

晩秋の里山での出来事は、私によって言語化され、「そういうことだったのか」と深く納得できる体験として軟着陸したのである。

 

今の私は、小五のミナちゃんの顔も、オッチャンのお姉さんの横顔も、そして男の子だったころのオッチャンの顔すらも、目を閉じればまぶたにうっすらと思い浮かべることができる。

(信田さよ子「カウンセラーを見る」第3回了)

 

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