第18回 ADHD者がどうやって回復したら良いのかについては、あまり発信されません【ADHDなコッピーさん】

第18回 ADHD者がどうやって回復したら良いのかについては、あまり発信されません【ADHDなコッピーさん】

2021.5.31 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
今年5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 
ADHDなコッピーさん(以下、「コッピー」さん)は26歳、東京都内在住。ADHD(注意欠如・多動症)を診断されている。
 
幼稚園に通っていたころは、友だちとの距離の取り方に難しさを覚えていた。すでに恋愛感情を知っていて、好きな男の子に接触したがった。なんでもペラペラしゃべって、両親の出会いの話を園長に話した。母親から「なんでも話さないで」と叱られた。
 
小学校に入っても、特性は親しみやすさとして良い方向に働いていた。勉強に困ることはなく、学級委員長を務めた。
 
朝から夕方までじっと座っているのがだんだん苦痛になり、小学4年生のときに、学校に行くのを渋った。仮病を使って休もうとしたり、登校しても保健室に逃げこんだりした。
 
高学年になると塾通いをしたが、講師の話を聴けず、宿題をやらなかった。卒業や受験に具体的なイメージを持てないまま、進学先を私立の女子校に定めた。
 
中学校では1年生のときにいじめに遭い、自尊心が下がった。2年生になって、スクールカーストを分析し、カースト上位の気が強く容姿が整っている女子たちと一緒にいるように努めた。いじられキャラを演じることで仲間に入り、我慢をしながら交友関係を築いた。「人間関係の攻略法を覚えましたね。悪口を言わない、舐められない振る舞いをする、多少は一目置かれる程度の居場所に収まる」。3年生のときに衝動的に、担任に学校を辞めると言いにいったが、教師や親になだめられ、諦めた。
 
エスカレーター方式で高校に進学。反抗的で教師との折り合いが悪く、5段階の評価で実際の学力以下の「1」が付けられて、呼びだされた。校則違反のアルバイトをするようになったことで、親もさすがに学校を辞めることを止めなくなった。単位制の高校に編入したが、環境の大きな変化に戸惑いながらも、特性的には相性が良かった。「法律を犯さなきゃなんでもオッケーな学校で、自分には合ってました。ギャルかヤンキーか社会不適合者がいるところ」。入ったグループのメンバーからは「土下座コール」をされるなど「いじられ」がちだったが、いじめには至らなかった。グループのメンバーのことは内心で軽蔑していたが、孤立するのは危険だと感じて、交際していた。
 
そんなある日、タイの人身売買を描いた映画『闇の子供たち』(梁石日原作)を観て、自分の人生を「甘い」と感じた。自分の悩みってそんなに大きなものか? 自分に対する怒りや罪悪感が湧いた。高校の単位が揃ったため、高校には通わなくなり、予備校に通いつめた。入試の当日、紙をめくる音など周囲の刺激に気を取られて、集中することが困難だった。飛行機に乗っているような奇妙な身体感覚を得た。名前を書きわすれて、教卓に呼びだされた。第3志望の大学に進学。
 
国際協力関係の分野を専攻した。「大学生活はすごく充実していました。軽蔑しながら友だちと付きあう、ということがなくなりました」。友人には性格の良い子が多かった。ゼミに所属し、発表したが、頭が真っ白になり、呼吸ができなくなるという経験をした。心療内科に通い、社交不安障害の診断を受けた。途上国へのスタディーツアーに参加したが、集団行動に居心地の悪さを感じた。
 
大学では友人に誘われサークルに入ったが、集団に属すのが向いていないと感じて、脱会。インカレの国際協力系サークルに入っても、合わない。アルバイトもうまくいかず、クリニックで相談して、大学2年生のときにADHDの診断を受けた。3年生のとき、ボランティア系のサークルの初期メンバーになり、年長だったために周りが自分に合わせてくれて、人間関係がうまくいった。児童養護施設に行ったことがきっかけになって、関心が国内の貧困問題に向くようになった。
 
4年生のときにアメリカのカリフォルニアに1年間留学。アタッチメント理論やレジリエンスについて学んだ。英語力を向上させるために、海外ドラマを観た。日常生活を題材にしたヒューマンドラマを好んだ。帰国間際に親しいクラスメイトから冗談でからかわれて、かつていじめを受けた経験がフラッシュバックした。学校に行けなくなり、そのまま帰国。カウンセリングを受けて、辛かった経験を他人に話せるようになった。
 
帰国後は、ADHDの薬を常用するようになった。大学院受験のための予備校通いを進めた。専攻していなかった心理学を学んだ。薬によってADHDに関する困りごとも現れにくくなり、自身の目指していた大学院に合格することができた。
 
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大学院に入ったあと、別のクリニックで詳しい検査を受け、改めてADHDの診断を受けた。アタッチメント理論を勉強し、虐待経験のある人へのインタビューをおこなおうとしたが、うまくいかない。そこで当事者としてADHDの研究をすることにした。
 
「発達障害は、本来、発達特性の偏りとマジョリティ向けにデザインされた環境との不適合です。支援や配慮を受けるためのひとつの診断に過ぎません。でも、カテゴリーに対する社会的な負のイメージも強く、当事者であるということを隠しながら生活している人が多い。自分が顔を出し、特性についてニュートラルに語ることで、発達障害を隠さないでいいんだと思ってくれる人が現れたら嬉しいと考えています」。研究協力者を募集するためにTwitterのアカウントを作成し、ADHD者として思ったことをツイートしているうちに、フォロワーが増えた。
 
「私はADHDのレジリエンス(柔軟な適応性)について研究しています。ADHDのある人がハイリスク群だということは、よく発信されています。でもADHD者がどうやって回復したら良いのかについては、あまり発信されません。こうやるとうまくいったよ、という例や、自己理解を深めることや、選択した方が良い環境など、レジリエンスの要因について発信していきたいと思っています」。
 
最近の悩みは睡眠障害というコッピーさん。Twitterのアカウントは@kopo_adhd。

(横道誠「発達界隈通信!」第18回了)

 

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