第12回 つらい思いをしている人に「甘え」、「努力不足」と、原因を本人に帰しても、何も解決しません【やきそばさん】

第12回 つらい思いをしている人に「甘え」、「努力不足」と、原因を本人に帰しても、何も解決しません【やきそばさん】

2021.5.10 update.

横道誠(よこみち・まこと) イメージ

横道誠(よこみち・まこと)

1979年生まれ。京都府立大学の准教授で、専門はドイツ文学研究・比較文化研究。子どものころから「稀代の変人」として、生きづらさに苦しむ。能力の凸凹(でこぼこ)が激しかったが、研究能力に秀でていたため、長年医学的な診断を受けずにいた。だが40歳のときに二次障害を起こし、41歳でついにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受ける。
この5月に上梓した当事者研究の本(ほぼ自伝?)の『みんな水の中』(シリーズケアをひらく、医学書院)が初の単著単行本。

Twitterアカウント:
https://twitter.com/macoto_y(研究者・著者として)
https://twitter.com/macoto_1(自助グループ主催者として)

 

やきそばさんは25歳。北海道在住。大学4年生のときにADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けた。社会人3年目になって、ASD(自閉スペクトラム症)を併発していると診断が変わった。

 

幼稚園に通っていたころは、登園して座ると、同じ場所からじっと動かず、部屋の窓から外の景色を見つめていた。ほかの園児たちとの交流はなかった。年長組のときにパソコンに興味を持ち、家に帰ったらタイピングの練習をしていた。変わった子どもだと周りから言われた。

 

小学1年生のころから韓国のオンラインRPG『メイプルストーリー』に魅了された。この時点で、すでに学校の先生よりも早くキーボードを操作できたという。小学4年生から、やはり韓国のTPSオンラインゲーム『ガンズ』に夢中になった。小学校では授業をほとんど聞かなかったが、成績は3段階評価で「よい」が5割、「ふつう」が5割だった。

 

毎日、家に早く帰ってゲームをしたいと考えてばかりいた。だが、小学4年生のころに好きな女子ができた。授業中は、どうやったらその子とうまく話せるかと思案した。そこから、女子との会話の方法論一般について思考をめぐらせるようになり、いかなるルールにのっとって人間のコミュニケーションが作動しているのか、とも考察するようになった。

 

ゲームの世界で持ち金を増やす楽しさを覚え、特に欲しいものはなかったが、現実でも財産を利殖したくなった。やきそばさんが眼をつけたのは、2000年代当時のペン回しブーム。日本で買えるDr.Gripを、海外の顧客に転売する。グーグル翻訳を駆使して中国やインドからもペンを仕入れ、事業を拡大した。毎月1万円から2万円は稼いでいたという。

 

5年生のときから音楽ゲームが好きになっていた。ゲームセンター用のコントローラーを中国から仕入れて、日本の愛好家に転売する商売に目覚めた。2万円で仕入れたものが、6万円で売れた。だが、あまりの売れ行きから「やばいことをしているのではないか」と怖くなり、2か月くらいで事業を停止。こうして、少年時代のビジネス生活は終わった。

 

先に述べた好きな女の子とは良縁があった。なんと、中学生のときに3年間ずっと同じクラスだったのだ。その子のこと、ゲーム、部活のテニスでやきそばさんの頭はいっぱいになった。その子に好かれるためには、どうすれば良いだろうか。相手は優等生。女の子は自分より成績の悪い男は嫌いなはずだ、と考えて、勉強に打ちこむようになる。

 

ここで、困難があった。ASDによく付随する聴覚情報処理障害によって、授業が理解しづらいのだ。やきそばさんは、授業で頑張るのは向いていないと結論し、教室では省察に耽った。彼女から好意を寄せられる会話内容についてのシミュレーションを無限に展開した。どのような発言をすれば笑ってくれるか。自分がどのような人になれば、彼女に好かれるか。ほかの男子の魅力を観察して、どうやって盗み、またどうやってそれを自分の個性に合わせて改良することで、自分をおもしろい人として売りこめるか。

 

授業に集中できないやきそばさんには、自宅の学習が頼みの綱だった。脳を活性化させないと勉強を始められない、ということに気づいた。そのために、音楽ゲームを20分ほどプレイし、指を動かすことによって脳を活性化し、勉強に移行するというライフハックを得た。教科ごとに学習時間をスケジュール管理し、厳守することで、成績は伸びた。これらはいま思えば当事者研究だった、とやきそばさんは言う。

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彼女が進学したいと言っていた高校に、やきそばさんはみごと合格した。ところが、相手は併願していた私立の女子校に進学を決意。「そりゃないよ」と思ったが、このまま諦めることはできないと考え、卒業間際の3月に告白。晴れてふたりは交際することになった。

 

ふたりともJRで通学するため、電車の時間を合わせようと、やきそばさんは早起きした。ところが彼女は車内で勉強するため、会話が弾まない。中学生のころはよく会話したふたりが、高校生で恋人になると、口数を減らした。「相手は勉強に付いていくのが大変だったようですね」。自分は好かれていないんだと感じ、苦しんだ。夏休みに、一緒に札幌に出かけて映画を見たことが、唯一の思い出らしい思い出だという。彼女は櫻井翔のファンだったから、選んだ映画は『神様のカルテ』。やきそばさんは、10月に別れを告げられた。

 

おそろしい倦怠感に包まれ、気力が湧かなくなった。鬱状態になり、希死念慮が高まった。学校には行かなかったり、午後から授業に出たりした。半年ほどそのような生活を送った。親には高校に行くよと伝えて、実際には登校せず、高校近くの公園で寝そべって、ぼんやり時間を過ごした。ところが2年生の6月ごろに、別のクラスに好きな女の子ができた。8月から恋人同士になった。やきそばさんの、大復活。

 

それなのに、やきそばさんはふたりの関係性をはぐくまず、自分の欲求を優先しつづけた。恋人よりもゲームのほうが、優先順位が高いように感じられた。相手の要望にはまったく耳を貸さない。「デートでどこかに行きたい」とせがまれても、「ゲームしたいから」、「ランキング入り、狙ってるから」、「強くなりたい」などと返答した。毎日ゲームセンターに寄って、シューティングゲームや音楽ゲームを練習した。軟式テニスも続けていた。

 

高校を出ると、地元の福祉系の大学に入った。福祉に興味はなく、通学上の都合を最優先した。テニスではこれ以上は強くなれないと感じ、続けなかった。生活はゲーム一辺倒になった。高校以来の恋人とは、1年生の6月に終わった。「なぜオレが振られる?」と驚き、問いつめた。「ひどいことばっかり言われたもん」との答え。理解できなかったが、いまでは、ASD者のパートナーに起こりがちなカサンドラ症候群にしてしまっていたのだと考えている。

 

大学の勉強でおもしろいことは何もなかった。認知症患者のケアにはやり甲斐を感じたが、卒業するまで、ついに福祉に関心が高まらないままだった。福祉業界は給料が安いため行きたくない、一般企業の、特に営業が向いていると自己分析した。

 

東京のベンチャー企業の社長が札幌に集まって、学生たちが彼らにプレゼンするという催しがあった。最終面接の前日、先方のための歓迎会があった。集合場所に50人ほどが集まり、揃って会場へと移動する予定だったのだが、やきそばさんは30分の遅刻。迷惑をかけてしまった、とうろたえたのが災いした。翌日の最終面接は、会場を間違えてまた遅刻。パニックになり、気がつくと財布とスマートフォンがない。歩いてきた道を戻って、コンビニで発見。通話して事情を説明し、汗だくでタクシーに乗った。

 

2日連続での失態。人事採用の人から「お疲れ様でした」と声を掛けられたこと、しかし社長の顔は引きつって見えたことが記憶に残った。自分で自分に衝撃を受け、泣きじゃくった。ほかの人にできることが、どうして自分にはできないのだろうか。そのあとの記憶が飛んだ。喫茶店に入って、自分の症状をインターネットで検索しはじめた。そうして初めて自分がADHD者だと気づいた。通院することになり、診断を受けた。

 

就職した先は、知的障害者のための支援施設の生活支援員。理由を尋ねると、「職場が家から近いのと、あとは給料ですね」。「でも、就職してから初めて福祉に興味が湧きました。自分が障害者だから分かることも、めっちゃあります」と語る。感覚過敏があるためにつらい思いをしている人たちが、自分自身と重なってくる。やきそばさんは思いを込めて語る。「障害の重さから、喋ることができず、自分のつらさを言語化することができない方がたくさんいることを知りました。周りの職員は、そういった方の生きづらさを減らすために、観察力がとても求められます」。

 

大学3年のときに同じ大学の女子学生を好きになり、交際し、結婚の約束もしたが、社会人になってから婚約を破棄された。自分の欠点として指摘された内容は、発達特性に関わることばかり。発達障害のせいだと呪わしかった。その3、4か月後、札幌で初めて発達障害バーを体験した。そこで知りあった女の子が、自己分析に長けていて惹かれた。発達特性のことで周囲に迷惑をかけたくない。好きになった彼女を真似て、自分自身の研究をしはじめた。

 

自分にはASDの特性もあると気づいていたが、診断はおりていなかった。それでも、せっかくだからとASDの勉強も始めた。NPO法人soarのツイートで当事者研究を知った。『ソーシャル・マジョリティ研究』(綾屋紗月編、金子書房)や、医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から出ている当事者研究の本を読んだ。

 

大学3年生から、ゲームへの関心はスマホゲームに絞られていった。社会人1年目のとき、FPSオンラインゲームで全国1位のスコアを残し、ゲームの世界からついに足を洗うことにした。ゲームの代わりのようにして、やきそばさんがいま夢中なのは、ひとりきりでの当事者研究だ。やきそばさんは、若い社会人として、いまや現実サバイバルゲームに挑む。そのゲームをクリアするための武器が、当事者研究だ。

 

インタビューの最後に、仕事をつうじて得た考え、聞いてください、と訴えてきた。

「障害を持ってる人は、世の中の偏見などがあり、自分のつらさを吐くのは良くないと思ってしまう人が多いと思うんです。そういう環境で生きてる人がたくさんいることを、もっと知ってもらいたい。誰かが「つらい」と話す機会を無意識に奪っていないかな、「つらい」と言ってはいけない雰囲気を作っていないかな、と考えることが大切なのだと思います。つらい思いをしている人に「甘え」、「努力不足」と、原因を本人に帰しても、何も解決しません。本人だってどうしたら良いか分からなかったり、昔はできていたけど、そのあとつらすぎてできなくなったり、という場面もあります。「あなたは甘い」と決めつけられた側は、その後は「つらい」と言えなくなってしまうのではないでしょうか。無意識レベルで、そういう状況作りに加担してしまっているのではないか、と自覚的になって、他人のつらさに対して真摯に向きあうことが必要だと思います」。

 

やきそばさんは、自身が障害者として、きょうも障害者を支えながら、日常という名のサバイバルゲームに向きあいつづけている。

(横道誠「発達界隈通信!」第12回了)

 

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